露傍の石

ロシアやソ連の文化とか生活とかについて、あれこれ。筆者はソ連生まれロシア在住だったけど2022年に日本に移住したぐーたら翻訳家。ツイッターhttps://twitter.com/isiken78 ではロシアもソ連も関係なく、基本的にロクなことを書かない。

露傍の石

ロシアやソ連の文化とか生活とかについて、あれこれ。筆者はソ連生まれロシア在住だったけど2022年に日本に移住したぐーたら翻訳家。ツイッターhttps://twitter.com/isiken78 ではロシアもソ連も関係なく、基本的にロクなことを書かない。

マガジン

  • ソビエトミュージアム探訪

    • 12本

    全世界に点在するソ連関連の博物館の訪問記。

  • なにソ連?おいしいの?

    • 40本

    主にソ連、時々ロシアの生活とかデザインとか博物館とか、そんな話題をお届けしたりしなかったり。

  • 映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』クロスレビュー

    • 14本

    ロシア語翻訳者、ライターなど複数の寄稿者による 映画『ドヴラートフ レニングラードの作家たち』 のレビューをお届けします。 6月よりユーロスペースほか全国順次公開予定。 http://dovlatov.net/(配給・太秦)

最近の記事

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一部記事有料化のおしらせ

 大変ご無沙汰しております。  みなさまもご存知の通りの出来事によりさすがに記事を書く気力も失せ切ったままになっております。  とはいえ、まだ書きたいネタが多少残っているので、いずれは不定期での更新を再開したい考えです。    さてタイトルの通り、5月10日あたりを目安に、一部の記事の公開設定を「有料」に切り替えます。  経済制裁の影響により本業の方で仕事が殆ど無く、少しでも足しにすべく、決断致しました。できるだけ多くの方にご覧いただきたかったので無料公開を原則としていました

    • 電話の歴史博物館

       今や「ダイヤルを回す」という表現など、すっかり死語だろう。通信の進化の結果、電話はもはやデバイスの中の一機能に。家庭の固定電話も、街の公衆電話も、数が少なくなった。  電話機が通話に限定された機械だった時代も長かったわけだが、1つの機能に特化した機械というのは、独特の重厚な存在感があるもの。モスクワの「電話の歴史博物館」は、ロシアや欧米諸国の電話機を数多く展示する博物館だ。私は2015年の開館直後に訪れたが、どうも見切り発車でスタートした感があり、収蔵品はまだ少なめで、展示

      • こんなCMがありました、こんな国がありました

        90年代ロシアのCMといえば、ひときわ印象深い一連の作品がある。 1998年の経済危機に呑まれて消滅した90年代ロシアの有力商業銀行の1つ、インペリアル銀行。 当時を知る人々がインペリアル銀行と聞いて真っ先に連想するのは、その豪華で格調高い「世界の歴史」シリーズと銘打たれたCMだ。 まだ若手だった映画監督ティムール・ベクマンベトフが手がけ、そのスケールの大きな作風に人々は圧倒された。厳かなナレーションと、華麗なBGM。役者の好演と卓越した演出手腕が、60秒のCMから一篇の

        • 拙稿を掲載して頂きました

           ご無沙汰しております。 3月のことになりますが、サライ.jpに拙稿を掲載して頂きました。 幕末、ロシアに密航した謎の浪人、橘耕斎について。素性もよく分からないし、動機も不明。諸説入り混じるも、虚実判じ難し。しかし、日露関係史に確実に足跡を残した人物。  本件、twitterでは宣伝しておりましたが、私の自己顕示欲は一向に満足せず、こちらでも宣伝することにしました。ご一読頂ければ幸いです!

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           ロシア政府による侵略行為に抗議します。  私にとって祖国でもあるロシアの歴史に血塗られた1ページが加わることは屈辱以外のなにものでもありません。このような状況にあってもなお、戦争反対を叫ぶロシア人たちと連帯します。  ご無沙汰しております。月イチ更新が途絶えて久しくなってしまいました。ネタ出しに苦労しております。まさか久々の投稿がこんな悲しい内容になろうとは思いませんでした。残念です。残念極まる。

          鉄分補給・鉄道博物館2

           今月は本当に忙しくて、いや今度こそ怠惰は関係なく忙しくて、しかも別に仕事で忙しいわけでもないから収入も少ないという、悲しみが月の影に星の影にという11月。月イチ更新のペースを守るために、省エネやむなし。以前投稿したモスクワの鉄道博物館の展示車両を雑多に紹介するだけの記事となります。鉄分補給にどうぞ。 前回の鉄道博物館紹介記事はこちら。禍々しい保線車両がおすすめ! この無蓋車は1917年、ドイツのリンケ・ホフマン社製。第二次世界大戦後、戦利品としてソ連に持ち帰られた。

          鉄分補給・鉄道博物館2

          A.E.フェルスマン記念鉱物学博物館

           鉱物というのは少なからず熱烈なマニアが存在する分野だが、門外漢には、その面白さは今一つ想像が及ばないかもしれない。かく言う筆者も、化石は好きだが鉱物は別に…という種類の人間であったが、A.E.フェルスマン記念鉱物学博物館を初めて訪れた時、鉱物の魅力とはこういうことか、と成程合点がいったものである。  もちろん、鉱物に興味のある方なら、この博物館は絶対に見ておきたいひとつだろう。所蔵する標本は約14万点、2300種に及ぶ。鉱物の博物館としては、世界最大級である。  建物自

          A.E.フェルスマン記念鉱物学博物館

          インド人を右に!

           今月は本当は博物館レポをするつもりだったのだが、多忙と怠惰が重なり、頓挫。やむを得ず、PCにあったソ連車の写真でお茶を濁すことにした。 月1回ペースを維持するには、こうするしかなかったのだ。 …気に食わない手段だったがな… …おかげで、いまはいい気分だぜ… 悟空「……ほんとうにそうか?」  ソ連の自動車産業については、その特殊事情を詳述できるほど私は詳しくないが、概ねその評価は芳しくない。生産効率の悪さによる供給不足、低い技術レベル、マイナーチェンジ偏重でモデルチェン

          インド人を右に!

          ソ連で出版された日本文学とか-4-

           今回で最後。80年代。例によって、たまたま我が家にあった古書を羅列しているのみで、ソ連における外国文学の出版傾向を反映しているとは限らないことに留意されたい。ついでに、本項末尾に、ロシア人作家による日本描写の一文を紹介する。 現代日本中編小説 1980年 10万部 4.10ルーブル 収録作は: 三浦朱門「箱庭」 翻訳:A.ドーリン 郷静子「れくいえむ」 翻訳:B.ラスキン 窪田精「死者たちの島」 翻訳:V.スカリニク、I.ボンダレチコ 野呂邦暢「草のつるぎ」 翻

          ソ連で出版された日本文学とか-4-

          ソ連で出版された日本文学とか‐3

           本シリーズを書くにあたっては、参考情報として発行年、発行部数、価格の他に、能う限りにおいて翻訳者の名も記している。情報としてどの程度価値があるかは分からないが、同業者として、先達への敬意として記載する。  歴史について少々。  1917年の革命以前、日本文学のロシア語翻訳は極めて少数。その多くは詩歌で、しかも欧州言語からの重訳であったという。  日本に対する関心はジャポニズムに牽引されて、美術方面に偏っていたようだ(参考文献:ジャポニズムから見たロシア美術 https

          ソ連で出版された日本文学とか‐3

          ソ連で出版された日本文学とか-2-

           どうにもモスクワの感染状況は相当に悪化している模様で、私はワクチン接種済みなるも、変異株に対する有効性には現状疑問が残ることから、外出は控えめに。従って取材は諦め、翻訳本紹介の続きを書くことに。  そう、先月とは違って怠惰ではなく、正当な理由があるのである。  前回はソ連で出版された日本の古典文学に限定したが、今回は時代を追って、露訳本+αを見ていこう。例によって、たまたま我が家にあった古書を羅列しているのみで、ソ連における外国文学の出版傾向を反映しているとは限らないこ

          ソ連で出版された日本文学とか-2-

          ソ連で出版された日本文学

           今回は、本当は博物館レポを書きたかったのだが、多忙および怠惰が災いして間に合わなかった。そこで、愚かで怠惰な穀潰しである筆者は、家から一歩も出ないで記事を書く方法を思いついた。自宅で埃を被っている、ソ連時代に出版された日本文学の翻訳本をご紹介したい。  なお、紹介にあたり発行部数を記すが、それぞれの数値がソ連の出版事情に照らして多い部類なのか少ない部類なのか、筆者は判断する材料を持たない。あくまで参考のための数値である。また当然ながら、ここに紹介する以外にも多くの日本文学

          ソ連で出版された日本文学

          サハロフ

           2021年3月2日、世界は大いなる感慨をもってミハイル・ゴルバチョフの90歳の誕生日を祝った。  来月、2021年5月21日は、アンドレイ・サハロフ博士の生誕100周年である。 1982年11月 ブレジネフ死去 1984年2月 アンドロポフ死去 1985年3月 チェルネンコ死去  かように書記長の死があたかも恒例行事化し、ジェロントクラシー、経済の停滞、アフガン戦争が社会の疲弊を浮き彫りにしつつあった。そこへ登場した、54歳の若い書記長は人々に密かな期待を抱かせる

          サハロフ

          芸術公園「ムゼオン」の彫刻群

           1991年8月21日深夜、KGB本部前のルビャンカ広場。クレーンで吊り上げられたジェルジンスキー像が台座から外れ、がたりと傾いた瞬間、群衆から大歓声が上がった。ソ連が急速に崩壊に向かう中の、象徴的なワンシーンである。  時代は不可逆的に動いていると思われたが、10年もしないうちに時流は旧弊回帰に転換。像の復活さえ検討される始末である。 (時事通信 2021年02月27日) ジェルジンスキー像は、ソ連崩壊につながった1991年8月の保守派クーデター未遂事件後に引き倒された

          芸術公園「ムゼオン」の彫刻群

          モスクワの灯り博物館

           街灯が、我々にとってすっかり当たり前の存在となって久しい。しかし当然ながら、それが当たり前ではなかった時代もあった。星と月明かりのみの夜の街は真っ暗。不便だし、なにより治安がよろしくない。街灯は、技術の進歩がもたらした、ありがたーいものなのである。  モスクワに初めて街灯が出現したのは、1730年12月。木製の柱にブリキのランプ。大麻油を使った弱々しい灯りでも、当時は画期的。もっとも、点灯は手作業なので手間がかかるし、上質な大麻油はよく盗まれるし、苦労は絶えなかった模様。

          モスクワの灯り博物館

          ソ連と言っても広うござんす

           ソ連を題材にした記事を書くにあたり、毎回、もどかしく思っていることがある。今更感MAXだが、それは、「そもそもソ連って何だ?」という疑問だ。御承知の通り、ソ連とは(最終的には)15の共和国で構成された国家であり、広大な面積に100を超す民族が暮らしていた。  国内の往来は様々に制約されていたため(プロピスカと呼ばれる住民登録制度など)、各共和国における民族構成の均質化は起きていない。ソ連時代を通して、各共和国では共通言語としてのロシア語教育が推進されてきたが、民族語の教育

          ソ連と言っても広うござんす