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鉄分補給・鉄道博物館2


 今月は本当に忙しくて、いや今度こそ怠惰は関係なく忙しくて、しかも別に仕事で忙しいわけでもないから収入も少ないという、悲しみが月の影に星の影にという11月。月イチ更新のペースを守るために、省エネやむなし。以前投稿したモスクワの鉄道博物館の展示車両を雑多に紹介するだけの記事となります。鉄分補給にどうぞ。

前回の鉄道博物館紹介記事はこちら。禍々しい保線車両がおすすめ!


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この無蓋車は1917年、ドイツのリンケ・ホフマン社製。第二次世界大戦後、戦利品としてソ連に持ち帰られた。


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革命前に、ロシアのプチーロフ工場で製造された有蓋車。第一次大戦時にドイツに残されたが、第二次大戦後に戦利品としてソ連に持ち帰られた。あらゆる貨物がこのタイプの貨車で運ばれたが、人間も40人を輸送できた。

手前のケロシン灯は、19世紀~20世紀初頭までプラットフォームの照明に使用されていたもの。

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タンク車。1935年ドイツ製で、第二次大戦後に戦利品として…多いな戦利品。

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蒸気機関車 Em740-57(Эм 740-57)。1912~57年にかけてロシア・ソ連で製造されていたE型蒸気機関車の1つ。E型は各タイプがおそよ11000台製造され、一部は1980年代まで現役だった。写真の車両は1935年製。

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蒸気機関車Su-214-10。前面にSuのロシア語表記(Су)を組み合わせたマークが見える。1925~51年までソ連で製造されたSuシリーズの1つ。Suシリーズの生産台数は2684台で、主に旅客輸送を担い、1970年代まで現役だった。

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蒸気機関車P-0001、1945年製。Pシリーズは第二次大戦直後から製造が開始された、大型の貨物輸送用機関車。Pは「Pobeda(Победа=勝利の意)」の頭文字だが、後に設計者のL.S.レベジャンスキーにちなんでLシリーズと改称された。

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蒸気機関車9P-17347。9Pシリーズは1936~57年まで製造され、入替機関車として使用された。写真の車両は1953年製。現在はどうか分からないが、私が訪れた当時は、運転台を見学できた。

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ちょっとブレているが、9Pの運転台。

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カマを開くことができた。

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ディーゼル機関車 TE1-20。1947~1950年にハリコフで製造されたシリーズ。このシリーズは、大戦中にアメリカからレンドリースで供与された、米国製RSD-1形のコピーである。

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ディーゼル機関車TEP10。1960~68年まで製造され、主に旅客輸送で1990年代初頭まで現役だった。「ストレラ」(矢の意)の名が付されている。屋外展示故の色褪せが惜しい。

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車両前面、СТРЕЛА(ストレラ)の表記。

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AMD-3。レールの状態を検査するための、探傷車両。1999年製で、2009年まで使用された。デザイン性とかナントカ、しゃらくさい発想を一切捨てた造形が潔い。

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1972年製のモーターカー、AS-1A。作業員や保線機材の牽引に用いられた。客車っぽいのに、一回り小さいのが可愛くてツボ。

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ER22型電車(右)。各タイプが1964~1976年まで製造された。写真の車両は1968年製。

以上、これらは全てリガ駅(リジスキー駅)隣接の鉄道技術博物館で屋外展示されていたが、現在は展示内容が変わっているかもしれない。サンクト・ペテルブルグに2017年開館した鉄道博物館の評判が良いので、現在はそちらがロシアの鉄道展示としては№1なのだろう。

繰り返しになるが、前回の記事も併せてご覧頂きたい。


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