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こんなCMがありました、こんな国がありました

90年代ロシアのCMといえば、ひときわ印象深い一連の作品がある。

1998年の経済危機に呑まれて消滅した90年代ロシアの有力商業銀行の1つ、インペリアル銀行。
当時を知る人々がインペリアル銀行と聞いて真っ先に連想するのは、その豪華で格調高い「世界の歴史」シリーズと銘打たれたCMだ。

まだ若手だった映画監督ティムール・ベクマンベトフが手がけ、そのスケールの大きな作風に人々は圧倒された。厳かなナレーションと、華麗なBGM。役者の好演と卓越した演出手腕が、60秒のCMから一篇の映画に劣らぬ充実感をもたらしてくれる。

歴史上の人物の様々な逸話がテーマだが、信憑性のほどはよく分からない。最初に紹介するコンラートⅢ世に関するものは、確かにそのような伝承が伝わっている。だが概ね創作と考えて良さそうだ。
各動画にYoutubeのリンク。その下にスクリーンショットとナレーション/台詞の訳を記す。各話のラストで、「〇〇〇(人物名)。世界の歴史。インペリアル銀行」とナレーションが流れて終わる。

☆コンラートⅢ世

「時は12世紀。神聖ローマ皇帝コンラート3世は南ドイツのヴァインスベルクを包囲した。執拗な抵抗に業を煮やした皇帝は、市内の女達に退去を勧告。その際、自力で背負える品のみ、持ち出して良いとした。

・・・門が開かれた時、皇帝が見たのは、手負いの夫を担ぐ女達であった。
列の先頭には若き公妃がいた。

もはやコンラートは、講和するよりほか無かった。」 

この一篇は、「ヴァインスベルクの貞淑な妻たち」の故事に基づいている。泥濘と城壁と冷たい鎧がひしめく暗い画面から、鮮やかな黄色い花に覆われた野の光景が開ける場面の転換が、抜群に美しい。しかし、その美しい野に消えて行く者達の後ろ姿は実に儚く、胸に迫るものがある。

☆アレクサンドルⅡ世

「申し上げます。ヘルソン県の農奴が勝手に土地を捨て、クリミヤへ続々逃亡しております。つきましては、軍の動員許可を願い奉ります」

「これは陛下!飛び去らぬよう、羽根を刈っているところでございます」

「しっかり食事を与えれば良い。飛び去ることもあるまい」

「いってしまった…」

(ナレーション)1861年、ロンドンで初めて地下鉄が運行を開始。同じ年、ロシア帝国では農奴解放が行われた。

農奴解放に代表される改革を断行したアレクサンドルⅡ世。英明な君主とされるが、この一篇では、立ちはだかる困難と、やや浮世離れした皇帝の孤独を想像させる余韻が感じられる。
なお、実際にロンドン地下鉄が開業したのは1863年1月である。

☆ナポレオン・ボナパルト

(ナレ)1812年11月17日、ベレジナ川付近でフランス軍は壊滅的な打撃を受けた。皇帝ナポレオンは残存部隊を捨ててパリに敗走した。秘密裏に、である。

「マダム、如何されましたかな?」

「私はただ、皇帝の御姿を、拝見したかったのでございます」

「マダム、これは貴女に差し上げます。私はこちらの方が、よほど良い姿をしておりますよ」

敗軍の将。落日が近いナポレオンは憔悴しきっている。幼児のような純粋さで皇帝を慕う老女と、自虐の中に気品を滲ませた諧謔味で答える皇帝。

☆ドミトリー・ドンスコイ


(ナレ)彼らはモンゴルに勝った事は無かった。父達も、モンゴルに勝った事は無かった。

祖父達もモンゴルに勝った事は無かった。
彼らも、モンゴルには勝てないと知っていた・・・

「モンゴル=タタールのくびき」と呼ばれる間接支配下にあった、13~15世紀の頃のロシア諸公国。1380年、クリコヴォの戦いでキプチャク・ハン国の大軍を打ち破ったモスクワ大公ドミトリーは、「くびき」からの脱却の第一歩を刻んだ英雄として知られている。
このわずか1分の映像から溢れる、気高さと高揚!民族の誇りを涵養するであろう映像の技。90年代の自由と創造の気運があればこそ生まれた名作である。今の独裁と軍国のロシアでは、かくも見事な愛国映画は逆立ちしても撮れっこないのだ。

☆ティムール

(ナレ)14世紀、ティムール王朝。

ティムールは遠征に際して戦士達に、路傍に一つずつ石を積み上げるよう命じた。

かくして、小山が現れた。
炎を経て、勝利を経て、彼らは戻り、石を拾い上げていった。

だが、石は残った…

最後に、ティムールが来た。重い石を持ち上げ、語りかけた。
かの者たちの名を思い出しつつ。

冒頭、馬上で肉を頬張りながら進軍する戦士たちが猛々しく精悍だ。果たしてティムールにかような情があったか大いに疑わしいが、戦勝の影で失った戦士の数を視覚化したこのストーリーは面白い。やめたら?この戦争。

☆インカ帝

(ナレ)その昔、アメリカ大陸にはインカ人がいた

彼らは金銭を持たず、黄金を使って、ひらすら、好きな物を作り続けた。
チョウや、カエルや、カタツムリ…

スペイン人が上陸した時も彼らは歓んで迎え、
偉大なるインカ帝は異人達にそのチョウやカエルやカタツムリを贈ったが…

スペイン人達は全て熔かして、黄金のレンガにしてしまった

処刑される日、偉大なるインカ帝はスペイン人達を赦したと云う
黄金のレンガ以上の悦びを知らぬ地に生まれた、彼らを。

実際のインカ帝国はコンキスタドールに侵略される直前まで内戦状態だったので、このように愉快な楽園では無かっただろう。だが、史実はともかく、本作の筋立てはなかなかに寓意的で印象深い。煌びやかな場面からの突然の画と音の転換はショッキングだ。

☆エカテリーナ女帝

「おや、スヴォーロフ伯爵が何も召し上がらないのは、どうしたことでしょうか?」

「復活祭で御座いますからね、陛下。星の見える時刻までは、何も口にしてはいけませんので…待っておりますよ。」

「スヴォーロフ・アレクサンドル・ヴァシリエヴィッチに、星を」

(※星は、勲章の意)

歴戦の将軍スヴォーロフ。老将の少々面倒くさい振舞いと、女帝の機転が、さわやかな印象を与える一篇。細かいことだが、女帝の指示を受ける近習が、目線を伯爵に一度移してから目礼するまでの流れが美しい。

☆ニコライ1世

「陛下、おそれながら申し上げます。

パリで上演されている劇が、エカテリーナ大帝を…陛下のお祖母様を、侮辱する内容とのことです」

「フランス皇帝に伝えよ。もし、ただちに上演を止めないならば、余は、灰色の制服を着た100万人の観客をパリに送り、

その劇を大いに野次らせるであろう、とな」

怒鳴るでもない、青筋立てるでもない。語気こそ強めながら、静かに、皮肉を込めて恫喝を口にする様子から、むしろ皇帝の激しい怒りと決意が伝わる。間に挟まれた、暗雲垂れ下がるペトロパヴロフスキー要塞の遠景も効果的だ。この迫力、まさに演出と演技の妙と言えよう。


☆イワン雷帝 ※流血表現があります

「闇がたちこめている…闇が!!

「貴族どもは、ロシアの地の富を奪い去った!」

(皇帝の言葉を伝える若者)「貴族が富を奪い去ったー!」

皇帝「将軍どもは、正教徒を守ろうともしない!」
若者「将軍たちは守ってくれないー!」

皇帝「ロシアの地をリトアニア、汗国、ゲルマン人の欲しいままにさせている!みな祖国を忘れ、己の富にのみしがみついている!

ここに余は、我が心の大いなる慈悲に従い、再びこの手で国を治め、絶対支配とする!」

若者「それは、どんな条件で?!

……どんな条件なんで?」

皇帝「いずれ、分かることだ」

(こだま)いずれ分かることだー!

なんでこんな重い映像を茶の間に流すんだよ、という感も無くはないが、それはともかく、短い尺に専制と暴虐の重苦しい予感を凝縮させた完成度は、一個の映像作品として真摯な鑑賞を強いるほどのパワーを持つ。
放映されたのは、1995年前後だったと記憶する。図らずもこの作品が予言的性格を持つことになろうとは、果たして誰が想像し得たであろうか。

なお、「どんな条件で?」は、当初は「何を約束してくれますんで?」と訳したが、さすがに意訳が過ぎる気がした。いずれにしろ納得いかない翻訳なので頭が痛い。

このCMシリーズは他にも何作かあるが、とりあえずここでは、私のお気に入りを選んでご紹介した。

90年代は、確かに混乱と迷走の時代だった。それは多分に、ソ連という奇病の後遺症であったとしても、多くの人々には苦難の記憶ばかりが刻まれたのは不思議ではない。その一方で、新たな表現の舞台と創作の自由を得たクリエイターたちが、野心と鬱勃たる創作意欲をもって世に出てきた挑戦の時代でもあった。無論、低迷する経済のもとで創作を商業ベースに乗せるのは困難で、ベクマンベトフなどは幸運な一例であろう。しかし、我々は自由だった。少なくとも、圧政からは。
ロシアの現政権は、90年代の全否定をそのイデオロギーのベースとしてきた。その行きついた先は、創作の対極、破壊であった。

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