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ソ連で出版された日本文学とか-2-

 どうにもモスクワの感染状況は相当に悪化している模様で、私はワクチン接種済みなるも、変異株に対する有効性には現状疑問が残ることから、外出は控えめに。従って取材は諦め、翻訳本紹介の続きを書くことに。

 そう、先月とは違って怠惰ではなく、正当な理由があるのである。

 前回はソ連で出版された日本の古典文学に限定したが、今回は時代を追って、露訳本+αを見ていこう。例によって、たまたま我が家にあった古書を羅列しているのみで、ソ連における外国文学の出版傾向を反映しているとは限らないことに留意されたい。

 さてソ連時代の前に、ちょっと珍しい1冊。

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フィリップ・クプチンスキー著「おいくさん」 オリオン出版 1911年 部数記載無し 1ルーブル

 1911年!革命前である。実に100年以上前の本。著者のクプチンスキー(1844~?)は日露戦争に従軍して捕虜になり、松山の妙円寺に収容されていたらしい。帰国後、松山が舞台の小説「おいくさん」("О-Ику-санъ")を著した。ロシア人捕虜と日本人女性の悲恋劇であるが、詳細は末尾の参考文献を参照されたい。

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 革命前の正字法で書かれている。

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 本書の挿絵は、著者の妹が手掛けている。

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 この男の名はヤシモトというらしい。

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裏表紙。

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ここからは、1950年代に出版されたもの。前回の古典編をご覧になった方には、いずれもべらぼうな価格のように思われるかもしれないが、これらは1961年のデノミネーション前の価格である。表示価格の1/10が、デノミ後の価格に相当する。

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左 徳永直「静かなる山々」 1952年 発行部数の記載無し 10.7ルーブル

翻訳:イリーナ・リヴォワ

本書の序文はP.ペトロフなる人物が書いており、「現在、日本国人民は米国と反動主義者の圧政に苦しんでいる。しかし、人民は祖国の解放と独立と再生に向けた不断の闘争に立ち上がっている」と述べ、かつ、プロレタリア作家たる徳永の功績を強調している。時代。

右 夏目漱石「坊ちゃん」 1956年 9万部 4.15ルーブル

翻訳:ライーサ・カルリナ

序文によると、「坊ちゃん」は本書がロシア語の初訳であるが、1935年に「こヽろ」が露訳されている。

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左 「東洋作品集」 1958年 1万部 11.45ルーブル

東洋の短編と詩を集めた作品集。東洋と銘打っているが、アフリカの昔話も収録されている。収録国はベトナム、インド、イラン、中国、朝鮮、レバノン、モンゴル、ネパール、アラブ連合共和国、パキスタン、スーダン、トルコ、セイロン、そして日本。林芙美子「晩菊」、島崎藤村「労働雑詠」、田山花袋「一兵卒」。作者に関する解説付き。翻訳はそれぞれ、I.リヴォワ、V.マルコワ、G.インメルマン

右 「日本の小説集」 1957年 1万5千部+6万部 8.30ルーブル

日本の進歩的作家の作品集、とある。部数の+6万が何を意味するのかは分からない。推測だが、前者が図書館や公的機関に収める部数と、後者が一般向けに販売される部数かもしれない。

収録作は:

小林多喜二「党生活者」 翻訳:イリーナ・リヴォワ

宮本百合子「播州平野」翻訳:アレクセイ・パシコフスキー

同「風知草」 翻訳:V. ログノワ

山田うた子「生きる」 翻訳:V. ログノワ

 面白いのは、挿絵である。情報が乏しい中、日本をイメージした挿絵というのは似非ニッポン、オモシロJAPAN的なテイストに至りがちなのは古今東西共通だが、本書の挿絵は人物の造形から衣服などのディティールに至るまで、違和感を感じさせないリアル志向。

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よほど良い資料があったのだろう。映画を参考にしたのかもしれない。

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街中に突如現れる櫓は、まァ、ご愛嬌。しかし手前の男性の和洋折衷の装いなども正確だ。

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この女性像も大変に美しい。挿絵画家は、P.カラチェンツェフとある。有名な俳優・ニコライ・カラチェンツェフの父で画家のピョートル・カラチェンツェフかと思われるが、確証は無い。

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ここからは60年代。

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左 堀田善衛 「記念碑」 1962年 奥付欠落のため、発行部数および価格不明 翻訳:Y.ベルリンとZ.ラヒム

右  中西伊之助「農夫喜兵衛の死」 1963年 5万部 0.2ルーブル 翻訳:N.フェリドマン

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とびら。「中央公論社」までコピーしなくても良かったのに。

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こちらは「農夫喜兵衛の死」

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山代巴「荷車の歌」 1963年 部数記載無し 0.47ルーブル 翻訳:T.ヴィノグラードワ

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遠藤周作  左が「結婚」 1965年 0.3ルーブル 部数記載無し  翻訳:Z.ラヒム

右が「海と毒薬」 1964年 0.25ルーブル 11万5千部 翻訳:P.ペトロフ 

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とびら。両者よく似た体裁の作りだが、版元は異なる。

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左 阿部知二 「白い塔」  1966年 部数記載無し  0.44ルーブル 翻訳:V.ログノワ

右 中本たか子 原題不明(訳題は「母」) 1964年 6万部 0.11ルーブル 翻訳:V.コンスタンチノフ

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「白い塔」のとびら。じが消えとるよ、二が!

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松本清張 左が「黒い福音」1967年 6万5千部 0.86ルーブル 翻訳:P.ペトロフ

右が「深層海流」 1965年  部数記載無し 0.87ルーブル 翻訳:S.グテルマン

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「中論社」とあるが、もちろん中央公論社のこと。なぜ央と公を抜かした。

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…コーヒーをこぼしたんだよね?

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尾崎秀樹「ゾルゲ事件」 1968年 21万5000部 0.18ルーブル 翻訳者名の記載なし

ゾルゲ事件に連座して処刑された尾崎秀実の弟、秀樹の著作だが、これはウクライナ語版。手のひらサイズの小さな本である。

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以下に紹介するのは翻訳本ではないが、いずれも日本関連の書籍である。

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「日本美術のはなし」 コンスタンチン・シーモノフ 1958年 1万部 2.3ルーブル

ソ連文学界の重鎮・シーモノフによる、日本の芸術に関するエッセイ。「京都」「わびさび」「家屋と茶碗」「東京の歌舞伎座」「京都の能座」「大阪の人形劇場」「詩人」の各章。

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表紙含む数ページが欠落していたが、ロシアの通販サイトOzon.ruで表紙画像を拾った。

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左 ニコライ・コンラド「西洋と東洋」 1966年 3400部 2.04ルーブル

日本研究・東洋研究の大家コンラドの論文集。日本を含む東洋文学、東洋文学史の研究書であり、500頁超の大著である。1968年に理論社から邦訳版も刊行されている。

右 キム・レーホ「M.ゴーリキーと日本文学」 1965年 1300部 0.51ルーブル

キム・レーホ(1928~2017)は本名キム・レチュン、朝鮮生まれの日本文学研究者。ソ連における日本文学研究に多大な実績を残した。

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ゲオルギー・コマロフスキー「五千体の円空仏」 1968年 4万部 1.03ルーブル

このような本はまったく予想外であったため、発見した時はテンションが上がってしまった。詳細な解説と多くの写真を収録。

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1962年、著者が名古屋は荒子の観音寺で円空の仏像に出会い、大いに感銘を受けた回想から始まる。遠いソ連で、このような良質な円空仏の本が出ていたことに嬉しさを感じる。

 繰り返しになるが、ここに紹介しているのはあくまで筆者の自宅にあった蔵書であり、当時の日本文学の翻訳・出版傾向を反映しているとは限らない。しかし、やはり50~60年代はプロレタリア文学に偏っていたのではないか、という推測は可能だろう。やはり蔵書からの推測だが、70~80年代ともなるとかなり多様化している印象を受ける。

さて、次回は70年代以降をまとめて紹介しようと思うのだが、これがまた結構な分量であり、取り組むには少々の決断を要する。


参考文献:リンダ・ガルワーネ「ロシア人捕虜の著書における日本人女性の表象:F・クプチンスキーの『おいくさん』を中心に」https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/27222/mrl_046_113A.pdf 


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