見出し画像

第89話 人に甘えることが相手への思いやりになることもある【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

なんとか歩けるようだった。

背中がビキッとならないように気を付けて歩く。

(どうか再発しないでくれ。)

そう願いながらヒッチハイクに向いている道を目指す。

元萩さんは、

「奥津和野にある堀庭園の楽山荘がいいよ。」

と言っていたので、そこに行けるかはともかく津和野を目指すことにした。

津和野という地名は聞いたことはあったが、「古い町並みなんだろうなあ」くらいに思っていて、特に行きたいとは思っていなかったから、教えてもらってよい機会になる。

しかし何と、雨が降ってきた。背中の痛みの後は悪天候。しんどい。

ヒッチハイク198台中107台目。

萩から津和野へ。中年男性と若い女性の車。

香川の人だった。特に津和野に行く予定はない方だったが、カーナビを頼りに行ってくれた。

「堀庭園?行ってみようか。」

(え?いいの?)

幸運はまだ舞い降りてくるようだ。

堀庭園に立ち寄ったあと、津和野に向かう。

なんでも津和野にはキリスト教の教会があったり、鯉が有名だったりするそうだ。それと源氏巻という和菓子もあるという。

まったく何も知らなかったのでありがたい情報だ。

しかしこの日は雨もぱらつき、あまり天気がよくなかったので、津和野に着いたらどうしようか不安がよぎる。

(教会を見学できるなら雨宿りができるかもしれない。)

ぼくは津和野に着いた。

津和野の古い町並み。大切にされている観光地という感じで、すごく整っていて野宿するのも難しそうだ。

それに歌って人が来るような雰囲気でもない。

誰も知り合いがいないとなるとやはり不安がある。

(ここになるべく留まりたくないな。)

ただ地理的にここはもうすぐ広島県だった。

つまり親父がすぐ近くにいるということだ。

たまたま津和野に来たが、津和野は萩から内陸に入った方、ようするに広島に近い方にあった。

この先のルートとしては行きに行っていない太平洋側の四国に行かなくてはならない。

だから広島を必ず通らなくてはならない。

まさに来るべき方向へ来ているのだった。

そう考えると背中の痛みも来るべくして来て、先に進む勇気があるかどうか神様がぼくを試したのかもしれないとも思える。

しかし広島に行くべきだろうか。

親父のところで骨を休めるのはずるくないだろうか。

ぼくは迷ったがここは親父のところに寄ることにした。

背中が痛くなったのは、広島に立ち寄れというメッセージともとれたからだ。

さらに津和野に教会があるというが、広島にいる祖母から我が一族はカトリックの家系になっていた。

それも何か縁を感じる。

しかも行きに顔を見せた義理で親父を無視して行くのもはばかれた。祖母もぼくのことを心配しているかもしれない。

親父のところを無視して進むことはかなり非情なことにも思える。

(おれは何か意固地になっていないか?旅のスタイルとか人に頼りたくないとかそういうことに意地になっているだけなのでは?人のことを大切にするのならここは立ち寄るべきなんじゃないか?)

そんな風に考えることは去年までならなかったと思う。

去年広島に立ち寄ったことが、親父との距離を縮めたのかもしれない。

そして、甘えるということも相手を思いやることなのかもしれない。

(今日いくらぼろぼろになっても何とかなる。)

そう言い聞かせてせっかくの津和野を観光することにした。

そして運転してくれた香川のお二人にお礼を言おうとすると、
 
「天気悪いね。今日どうするの?」
 
「野宿ですかね。」
 
「大変だね。次は広島に行くんだっけ?うちら香川に帰るから広島まで乗せて行こうか?」
 
「本当ですか?!」
 
まさに救いの言葉。もうこれは広島に行くしかない!
 
ぼくは荷物を車に置かせてもらい、いったんお別れして自由に観光させてもらった。

津和野の街並み

聞いたように津和野の通りの端には水路があり、そこを大きな鯉が泳いでいた。

街並みは古風だが、どこか作り物な風情であり、萩の方が自然でいいなと思えた。

ぼくは唯一の行く宛てである教会を探して見つけ出した。

津和野カトリック教会。

(カトリックの教会かあ。)

カトリックと知り、少し親近感が湧く。

ぼくは幼児洗礼で正式な信者ではなかったので、キリスト教とは微妙な距離感だった。

それでも小さいころは何度も教会に行っていたし、今踏み込もうとする教会がカトリック教会であることは、ぼくに安心感と運命みたいなものを感じさせた。

この教会の歴史を読んでみた。

津和野教会は長崎のキリシタン信徒の殉教の地として創設されたそうだ。

長崎では1597年に西坂で26人が十字架にかけられて殉教したことが有名だ。

その後、長崎での迫害を生き延びたキリシタン信徒を改宗させるために、幕府は長崎の浦上から信徒を一掃し、各地に配流したという。

その一つに津和野が選ばれた。

信徒たちは津和野の乙女峠で拷問を受けて棄教を強要され、殉教した者もあったそうだ。

そしてその殉教者たちをしのびたたえるために1931年にこの教会は建てられたというのだ。

なぜこの地にキリスト教の教会なのかと思ったが、そういう歴史があったのだ。

教会は基本的に誰でも入ってよい。ここもそうだが、ここは観光地にもなっていて、より入りやすい雰囲気だった。

(雨が降ったらここに戻ってくればいい。)

そう思ってぼくは津和野観光を続けた。

少し天気は余裕があるようだった。街には川が並走していてぼくはその河原で少し休憩をした。

のどかな景色を眺めながらタバコをふかしていると、何か目につくものがある。

(鳥居?)

小高い丘に朱色の小ぶりな鳥居がたくさん連なっている。

(あれは神社だよね。ひょっとしてけっこう有名なんじゃない?いってみようかな。)

天気は持ちそうだったのでぼくはとりあえず神社の方に行ってみた。

丘の麓の鳥居の入り口に行ってみると、鳥居がトンネルみたいになっている。

通ってみたい

そこは太鼓谷稲荷神社という神社のようだ。

(行ってみたいけど、上まで行くのはちょっとしんどいな。時間的にも体力的にも天気的にも。)

ぼくは気持ちを抑えて麓からの眺めで我慢した。

(よし。先へ進もう。教会を見れたことでここでしたかったことは全うした。)

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?