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第131話 自分で決めたことをやりきることに意味がある【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

京都での墓参りを終えると日本二周中の一周目の続きが始まった。
 
厳密に言うと全都道府県はまだ制覇していない。
 
神奈川、千葉、茨城は東京に近すぎてすでに行ったことのある県だから行かなくてもいいくらいに思ってもいた。
 
でも。
 
やっぱり行っておかないと気持ちがすっきりしない。
 
これはぼくの性格の問題なのだろう。
 
この旅の中で全都道府県の地を踏んでおかなければやっぱり気が済まない。
 
日本一周とは言えない。
 
というわけで、関東編としてぼくは神奈川・千葉・茨城に行くことにした。
 
この関東編ではヒッチハイクはせずに、なるべく歩き、電車も使った。
 
ぼくのルールとしては他県に行くときは公共交通機関は使わないことにしていたのだが、神奈川なんて交通機関どころか実家から30分も歩けばたどり着ける。
 
それとヒッチハイクをしないのには理由がある。
 
ぼくにとって都心部でのヒッチハイクほどやりたくないものはない。
 
なぜならまず物理的に車を急に止めにくい。
 
そして行き先がはっきりしない車ばかり。
 
そうすると乗せてもらえる確率がぐんと下がる。
 
反対に変な人に出会う確率、つまり危険も高くなる。
 
あとは、なんだかとても恥ずかしい。
 
「なんだあいつヒッチハイクしてるよ」という目線にさらされる度合いが強い。
 
車は停止しがち、渋滞しがちなので、止まって目線にさらされる時間が増えるのだ。
 
精神的な消耗が激しい。
 
びびりで繊細なので。
 
ということで神奈川・千葉への移動の多くは歩きにした。
 
まずは神奈川へ。
 
9月8日に「なんでもあり」というお店でライブをすることが決まっていたから、それまでにもどって来るのがとりあえずの目標。
 
8月27日。実家を出て登戸近くに住む村野さんと会う。
 
村野さんは去年の12月に沖縄の夢有民牧場に乗馬に来たお客さんだ。
 
村野さんは神戸出身でロッククライミングが趣味。
 
当時はキーちゃんとバイクで沖縄を旅していた。
 
そのあとカンボジアにも行ったとか。
 
この日はちょうどキーちゃんが東京に来ていて、ほかの旅仲間も集めてみんなで錦糸町で会うというので、ついでに連れて行ってもらった。
 
神奈川に入ったと思ったら錦糸町。
 
それも面白い。
 
そこはもう千葉が目と鼻の先。
 
このまま千葉に行きたいくらいだ。
 
村野さんのバイクに二人乗りさせてもらって錦糸町に行った。
 
錦糸町にはBEACH69で働いていた山本君がいて、キーちゃんやその仲間たちも泊まっていた。
 
山本君の実家はマンションの最上階であり、そこに旅人がたくさん集まってどんちゃん騒ぎだった。
 
そこに一泊して翌日はみんなでお台場にいってサイゼリアで安くお茶をした。
 
登戸にまた村野さんのバイクで帰ると、その晩ぼくは登戸を出発し、相模大野のちはるのところへ向かった。
 
30日は夢有民牧場で一緒に働いていた瀬谷区に住むだいすけと会う。
 
一文無しで牧場生活をスタートしたとき、タバコを毎日恵んでくれた「ヤニ神さま」のだいすけ。
 
だいすけはとてもやさしい。
 
そして「おれは旅人のような変わった人じゃないから。普通の人だから。」という割り切り方も好きだ。
 
だいすけは希望が丘でバーテンをしている。
 
オーナーの店がBENCH、だいすけのいる店がBRONCOで他に古着屋も出している。
 
BENCHは料理が売りで結構有名らしい。
 
一曲歌ってCDを買っていただく。
 
なんとBENCHではたらくシュンさんはぼくが熊本で友達になった古未運の陳君と同級生だった。
 
すごい偶然の出会いだ。
 
旅はこれだから素晴らしい。
 
2日間くらいだいすけに御世話になり、BRONCOでソフトダーツをやらせてもらったり、2人で江ノ島にぶらぶらしにいったりした。
 
出発の日、だいすけは逗子まで送ってくれた。
 
逗子から葉山へ。
 
葉山にはぼくの地元の飲み仲間たちが共同でお金を出して借りている平屋の家がある。
 
その中心になっているのが調布のバー「tete」のじゅんさんたちだ。
 
ちょうどその日は日曜だったのでじゅんさんたちも遊びに来ていたのだから、タイミングがよい。
 
また、これも偶然だが夢有民牧場で一緒にはたらいていたむーちゃんがその近所に住んでいた。
 
むーちゃんこそ、那覇の月光荘でぼくに「夢有民牧場に行ったら?」と誘ってくれた張本人。
 
むーちゃんは一色海岸の海の家「Blue Moon」で働いているそうなので、会いに行って、じゅんさんたちも連れて行って紹介した。
 
こうしてぼくの地元の飲み仲間と夢有民牧場仲間はつながっていき、後々200人くらいのイベントを開くまでになっていった。
 
葉山では何泊かして家の掃除をしたり、海に入ったり、イベントがない日にBlue Moonで歌わせてもらったりした。
 
そして、茅ヶ崎にも夢有民から帰ってきたばかりの、なみちゃんがいたので、歩いてCDを渡しに行った。
 
ほかにも夢有民牧場にお客さんで来たことのある人に会うなど、神奈川編は意外にも沖縄で出会った人達との再会の機会となった。
 
神奈川はあえて行く必要はないと思っていたが、やっぱり勇気を出して挑戦してよかったと思う。
 
やる気が出てきたぼくは、せっかくならここでまだこの旅でやったことのないことに挑戦しようと思っていた。
 
地元東京の周辺だからって、甘えて過ごしたわけではないということを示しておきたい。
 
「よし。せっかくならしっかり歩いてちはるのところにもどろう。」
 
葉山から相模大野までの約40kmを、荷物は減らさず、ギターを持って徒歩でもどることにした。
 
浜松—渥美半島の徒歩で往復120km3日間の時は、1日40kmを、ギターを置いて、荷物を最低限にして歩いたから、40kmを歩く負担はその時よりも重い。
 
でもゴールはちはるの家なので、たどり着けさえすればその後は十分回復できる。
 
遠方を移動している時は、その次のことも考えなければならないから無理はできない。
 
でも、地元ではその後のことを心配しなくていいから思い切って無茶ができる。
 
ぼくは自信をもって出発した。
 
4日の夜、葉山を出た。
 
涼しい時間帯の深夜を狙ってノンストップで相模大野を目指す。
 
約40キロ。
 
星空の下、ひたすら北へ歩く。
 
電車で行けばすぐにもどれるのに、ぼくは一体何をやっているのか。
 
東京や神奈川という大都市であっても、繁華街や国道レベルの道でなければ深夜の人通りはあまりない。
 
ただ月と星がぼくの上にまたたいている。
 
荷物はやはり重く、ギターを片手に持って歩くのは消耗を加速させる。
 
日本二周の普段にしろ、このスタイルで歩いているのだが、歩く距離は毎日平均10kmくらいだ。
 
20km行くことはほとんどない。
 
そんなに歩くまでもなくヒッチハイクをすることができる。
 
だからこの荷物で40km歩くというのは未知の世界だし、20kmくらい歩いた時の負担を思い出すと、40km歩くことは実は考えたくないというのが正直なところだった。
 
途中、湘南台の公園で仮眠した。
 
(なんでこんなことやってるんだ?
 
いや、自分で決めたことをやることに意味があるんだ。
 
ヒッチハイクすることから逃げているんじゃない?
 
いや、都心部のリスクを軽く見てはいけない。
 
ルール違反じゃないなら電車使えば?
 
それは自分の中のやり切ったという達成感を生まず、罪悪感が生まれる。
 
きっとこんなことをやるのは一生で一回だけだ。
 
今やらなかったらもうやる機会はないだろう。)
 
自分で決めたことをやることに意味があるし、やり切ることに意味がある。
 
そうすると幸運に報われる。
 
ぼくはそう思って、実際いくつもの幸運に恵まれてこの旅を過ごしてきた。
 
(今回もやり切ろう。)
 
12時間かかって、死ぬ思いでちはる宅に到着。
 
(もう二度としない!)
 
翌日、実家にもどり、神奈川編が終了した。

 
つづきはまた来週

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