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第127話 みんなと同じ道を歩むことになぜ疑問を抱かないの?~後~【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

ぼくの親父もサラリーマンだった。
 
親父は、自分の考えを持てず、学生運動の時代にまわりの議論についていけなかったそうだ。
 
学生時代はギャンブルに明け暮れ、結婚してサラリーマンになり、5人家族になった。
 
大学を出て企業に勤めるということが当たり前の時代だったから、それはおかしい生き方ではないのだが、そんな親父にぼくは自分の生き方を認めてもらえてなかった。
 
「大学を出てまず就職する」
 
それが、当たり前の事であり、「歌をやりたい」というぼくに親父は、
 
「それは社会に出て働いてからでもできる。サラリーマンを甘く見ている。サラリーマンだって大変なんだ。
 
お金を稼ぐって大変なんだ。その大変さを知らないからそういうことを言うんだ。
 
おまえに歌でやっていく力はない。歌で身を立てたるとかそういうことができる奴らはエネルギーが違うんだ。」
 
と認めなかった。
 
親父にはきっと何か自分の能力を生かして身を立てたいと思うほど熱く切実に思えることはなかったのだと思う。
 
それに確かに自分にはそういう力やエネルギーはないのかもしれなかった。
 
社会に出たことがなく、社会の大変さももちろん知らない。
 
そこに自信はなかった。親父はやはり父だ。ぼくの痛いところをついてもいた。
 
 
だけど、やってみなくてはわからないのだ。
 
いや、どっちにしてもそれはやってみなくてはわからない。
 
ただし、歌をやれるのは今でしかない。
 
30代、40代になって歌う?
 
それまでに自分に嘘をついて生きてきて、いったい何を歌うのだ?
 
ぼくが歌いたいのは、むしろ夢があるならかなえようというものだ。
 
自分の思いを大切にしようというものだ。
 
たとえば10年働いて、ぼくがまともになっている保証なんてあるのか。
 
それまでに死んでしまったらどうするのか。
 
社会の大変さを知らないと言うが、自分に嘘をついて生きる方が地獄なんじゃないのか。
 
いやそもそも保証なんてどんな道を進んでもないものだ。
 
それならやりたいことをやるべきじゃないか。
 
もしも就職してサラリーマンになってしまったら、ぼくは100%後悔すると分かっていた。
 
「あの時あーすればよかったのに。」
 
そう思って生きる大人には死んでもなりたくなかったし、死んだ目で生きる大人になることが目に見えていた。
 
一言で言うと後悔したくないのだ。
 
「歌をやりたい」。その思いに目をつぶり、蓋をして、見てみないふりをして、そんな自分に嘘をついてなんか生きていけない。
 
それは自分で自分を欺くことであり、自分で自分を切りつけることであり、踏みつぶすことであり、ないがしろにすることであった。
 
自分がかわいそうで仕方ない。そんな悲しいことはない。
 
ぼくはぼくを救わなければ。
 
 
きっとぼくはその自分の声に従わなければ、どうしようもない大人になっていただろう。
 
人を殺めるか、自分を殺めるかしていたかもしれない。
 
だから、ぼくは歌を始め、旅に出た。
 
そしてその後は・・・
 
 
ぼくが剛に無配慮に行ってしまった「サラリーマン否定論」。
 
剛から見たらぼくがどんな文脈で言ったのかなんてわからないだろう。
 
でもそれは、誰かほかの人に言ったのではない。
 
自分のやりたいことがあるのに、なんで背を向けて生きるのだという、自分自身への怒りなのだ。
 
 
やりたいことがあるのに、なんで嘘をついてまわりの人と同じ生き方をするの?
 
やりたいことがあるのに、ないふりをしてるのは戦うことから逃げてるからじゃないの?
 
それは勇気がないからなんじゃないの?
 
偉そうなこと語ってもやらなかったら意味がないんじゃないの?
 
だったらやるしかないんじゃないの?
 
やることでしか証明できないんじゃないの?
 
証明するのは生き方で見せるしかないんじゃないの?
 
 
ぼくはそういう自分のへ怒り、激しい自己否定の中にあった。
 
そして歌を始め、旅を始め、その自分への果たし状を多少はぬりつぶせていった。
 
それなのに、それでもぼくの心はまだ空虚に満たされていた。
 
なぜ?
 
 
自分の中に怒りがある人は、やはり外へもそれを投影してしまう。
 
自分の中の戦いに必死で、自分の中の戦いにやっきになっていて、他者へ目が、心が向かない。
 
本当は自分への怒りなのに他者への怒りにすり替わっていく。
 
自己否定から他者否定へと発展していく。
 
だから、当時のぼくに他者を否定する気持ちがなかったかと言われれば嘘になる。
 
そのトゲは、剛にも感じただろう。
 
ぼくなりに剛の生き方を否定しないように話したつもりだったし、ぼくは心の中でも否定もしていなかったが、他者に思いをはせる余裕がなかっただろうぼくは、無意識にトゲが出ていたはずだ。
 
だから当時の剛の心にぼくの言葉はささっていたのだ。
 
ぼくは剛を傷つけていて、その時の悔しさみたいなものをずっとひきずらせていたのかもしれない。
 
「サラリーマンになっちゃいけないの?」
 
とぼくに聞いてきたということは、そういうことなんだと思う。
 
剛はとても母親思いで、その後母ために家を建てた。
 
そして家庭を持ち、立派に生きている。
 
小恥ずかしいことを言えば、初めての富士登山を剛と二人だけで登れた思い出は、相変わらずぼくの中でとても愛しい思い出の一つだ。
 
 
ぼくはサラリーマンがいけないなんて思ってもいない。
 
ぼくが人生の回り道をしたのは、ぼくが未熟だからであり、その未熟な心を立て直すために神様が壮大な回り道を敷いてくれていたのだ。
 
それは富士登山よりもはるかにアップダウンがはげしく、変化に富んだものだった。
 
ぼくの心の弱さはぼくに授けられた生まれ持ったものであり、それゆえにぼくは豊かな人生を送らせてもらっているのだと思っている。
 
そしてだれもが自分の心に声を持っている。
 
だれもがその声に忠実に生きていけることをぼくは願っている。
 
その心の声を聞いた時、ぼくは死ぬこととそれをしないこと、どちらがましかを考えた。
 
その考え方自体がぼくの性格でもあるのだが、人はいつ死ぬかわからない。
 
もし今死ぬとして後悔しないか。
 
それを基準に生きて来た。
 
もししなくても平気だと思えるのなら、それはしなくてもいいのだ。
 
当時のぼくは自分の人生を生きるために必至だった。
 
ぼくの一番の敵は「恐怖」だった。
 
いかに自分の中の意気地なしと戦うか。
 
いかに勇気と戦うか。
 
自己否定。自己嫌悪。自分への怒り。
 
その霧に包まれて生きていた。
 
しかしそこは安住の地ではなかった。
 
日本二周という夢を叶えたとしても、恐怖との戦いには勝利できそうもなかった。
 
つづきはまた来週

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