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第86話 ヒッチハイクをしたら不良高齢姉妹に車の運転を託されたの巻【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

熊本に結局1週間ほど滞在した。

延岡のたいぞうさんのところへ行きたかったが、ここから延岡へ行き、本州に行くことになるとだいぶ時間のロスになる。

それにお金がたまっていく保証もない。

全財産2円で余裕だったくせに保証もなにもないのだが、さすがに色々な人にお世話になりすぎるのもよくない。

甘え切った後にお金が尽きたらそれが一番怖い。

だからちょっと稼いだ時点で次へ進んだ方がぼくの感覚では吉と出るのだ。

甘えるよりも前へ進んだ方がいいというのは、きっと支えてくれる旅の仲間の方だってそう思っているはずだ。

そう。ぼくは自分と向き合い、臆病に鞭打って夢をかなえる旅をしているのだ。

(たいぞうさんごめん。)

ぼくはいつかまた延岡に来ることを願いながら福岡に向かった。

ヒッチハイク104台目。熊本インターから福岡まで。

1台で福岡に着き、夜は例のごとく春吉橋で歌って野宿をした。

もうここまでくると習慣というか生活というか。春吉橋で歌って野宿するのがお決まりのパターンとなりつつある。

しかしそのパターンともしばらくおさらばだ。

いや、もう二度とないのかもしれない。

ぼくは勇気を出して翌日すぐに本州を目指した。

さらば九州である。

105台目。福岡から福岡インターまで。

同じ年のかずゆきさんと10歳年上のかずみさん。

かずゆきさんはスポーツクラブのインストラクターだそうだ。

106台目。福岡インターから。

本谷さんご姉妹。お二人はご高齢で、長崎で被爆された経験があるという。

「萩へ行きたいんですよ。」

「萩に何かあるの?」

「萩焼をしたいんです。」

「あらいいわねえ。私はこれからヘルシーランドに連れて行ってもらうところなのよ。温泉に。妹は博多に住んでて、時々連れて行ってくれるの。」

「いいですねえ。」

「私たち、被爆者でね。900mのところにいたのよ。爆弾が落ちた時。それで被爆手帳もってるんだけどね。こうして温泉に通ってるわけ。」

「そういうことですか。でもお元気ですね!実はぼくは父が広島で、祖母は被爆まではしてませんが、原爆で家の窓ガラスが割れたと聞いてます。」

「あら、広島なのね。今もご健在?」

「はい。父も祖母も今広島の廿日市に住んでいます。」

「私たち暇だから下関の先まで送っていってあげるわ。長門までなら行けるかしら。」

「え?!本当ですか?それはありがたいです。」

本谷さんご姉妹は被爆されたとは思えないほどとても元気な方だった。

温泉は毎月通っているという。また、アルプスに登ったり、海外の山にも登ったことがあるという。ベルギー、カナダ、アラスカ、スイス、フランス、中国など。

信じられないほどアクティブだ。「私たち不良姉妹なの!」と言っているのがうなずける。

「ねえ。あなた牧場の話してたけど、車運転できるでしょ?」

「はい。」

「免許持ってるわよね?」

「はい。」

「わたし提案があるんだけど、明日一緒に萩焼きしに行きませんか?」

「え。どういうことですか?」

「今日はうちに泊まったらどうかと思って。それで明日あなたが運転して萩まで行くってどう?帰りは私たちが運転しないといけないけどいいかしら?」

と妹さんにも投げかけた。

「いいわね。大丈夫よ。」

「じゃあ決まり。いいわね、青年。」

「は、はい!」

「じゃあ、今日は温泉に一緒に行きましょう。それでうちに泊まりなさい。」

まさか、こんな流れがあるのか。

お昼も一緒にいただいた。本谷さんご姉妹は、とても明るく、トークが絶えない。

ぼくはご馳走とトークとドライブを楽しませていただき、そしてこの旅14回目の温泉をいただいた。

かなり楽しい。

そのまま本谷さんのお宅にお邪魔した。

「うちはね、彦島というところなの。下関の一番先にあるところ。そこから宮本武蔵の巌流島が見えるわよ。巌流島は小さい何もない無人島なんだけど、彦島から行けるの。」

どうやら彦島はその名の通り島になっていて、下関から離れているようだ。

宮本武蔵はこの彦島の地を踏み、ここから巌流島に渡ったのかもしれない。

(本谷さんはすごいところに住んでいるな。)

歴史的な場所でもあるし、本州の一番西の端っこでもある。

ぼくは近所を散歩してみた。

本谷さん宅は関門海峡のそばで海岸に近い。対岸の門司も見えるようなところだ。

門司が見える

少し歩をのばすと島らしきものが見えた。

海に浮かぶその島が巌流島なのかもしれない。

翌朝ぼくらは早起きをした。

「じゃあ、運転お願いね。」

ぼくは本谷さんの車を任された。

100台を越すヒッチハイクをしてきたが、自分で運転するパターンは初めてだった。

昨日会った見ず知らずの若者に運転をさせるのだから、それは勇気のいることだと思う。

本谷さんたちはただ楽しんでいるようにしか見えないのだったが、でも内心は多少の覚悟はしていたのかもしれない。

「萩焼、私もしてみたかったのよ。いい思い出になりそうだわ。」

つづく

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