見出し画像

第130話 人を赦すということは、赦しがたいことだからこそ赦すんだ【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

今回墓参りのことを持ちかけてきたのはカンノだった。
 
後で分かるのだが、カンノはあの時の「弾劾裁判」のことを気にしてくれていた一人だった。
 
旅を終えた後のある日、カンノと二人で飲みに行ったことがある。
 
「おれからあのことについてみんなに分かってくれとか言うつもりもないし、それにおれからみんなに近付こうとも思わない。」
 
「そうだよね。このままだとSEGEとみんなの仲はどうにもならないとおれは思ってたよ。」
 
墓参りの時にはそういった話はしなかったが、カンノなりに仲を取り持とうと思って、当時ぼくにも声をかけてくれたのだと思う
 
カシの墓参りでもなければこうして卒業した後にバレー部で会う機会などなかったかもしれない。
 
そして心配してくれたカンノにも感謝だ。
 
とは言ってもそれが分かったのはそれから数年後のこと。
 
みんなで京都に行ったぼくは、まだまだホームではない気持ちであり、ただ一緒にはいるけど、まだみんなのことは赦せていなかった。
 
(いつか謝ってくんねえかなあ。おれの気持ちなんかおまえら分からねえだろ。おれはカシのために墓参りをしにいくんだ。おまえらのためじゃない。)
 
そういう気持ちがぬぐえていなかったのは確かだ。もちろん表にこそは出してはいないが。
 
それが大人げないことくらい分かっていて、場を悪くするようなふるまいはしなかったつもりだ。
 
無難な雰囲気のまま、ぼくは1泊2日の墓参りを終えた。
 
思えばぼくにとってのバレーボール部は、受け入れがたいことを受け入れる場だったのかもしれない。
 
というのももう一つ受け入れがたい出来事があった。
 
それは高2のある大会が始まるという時だった。
 
監督は練習の最後にいつものように部員を集めて話す。
 
その日もいつものように集合がかけられた。
 
「すまん。みんなに謝らなければならないことがある。」
 
(なんだ?)
 
「大会の申し込みを忘れてしまった。すまん!」
 
(え?!なんで?なんのためにおれたちは練習してきたんだよ。)
 
誰も何も言わなかった。
 
もちろん内心ではみんな同じようなことを思っていただろう。
 
あきれてものも言えないということもあるし、もはや何を言っても何も変わらないことくらい分かっているということでもあった。
 
練習後、監督がいなくなるとみんなは堰を切ったように口々に文句を言った。
 
無理もない。
 
もしかしたらぼくは、
 
「いくら何を言っても無駄だよ。切り替えよう。」
 
そんなキャプテン気取りなことを言ったかもしれない。
 
でもぼくの心は赦せていなかった。
 
赦せるわけがなかった。
 
ぼくはバレーボール部の部活において、これら二つの「赦せない」ものを抱えて卒業していた。
 
大会の申し込みをすっぽかした監督を赦せない。
 
弾劾裁判をした部員を赦せない。
 
そうやってぼくは何年も赦せないままでいた。
 
だからこの日本二周の旅の最中には、まだ両方のことを赦せないままでいた。
 
赦せるわけはないのだ。
 
なぜならぼくはまだ「自分を赦していなかった」のだから。
 
(誰だって間違えることはあるし、監督だって絶対苦しんでいたはずだ。赦せないのは赦せない自分の心の問題なんだよ。)
 
そんな風にその場で思える高校生はなかなかいないだろう。ぼくが思えたのは10年以上経ってからだ。
 
そう。それは自分の心の問題。

赦せないという心は自分の心をむしばんでいく。
 
「勇気のない自分を赦せない。」
 
「弱い自分を赦せない。」
 
ぼくは自分が嫌いでしかたなかった。
 
だからこそわざと勇気を振り絞ってこんな旅をしているのでもある。
 
自分の歌を人に聴いてもらいたいのに、人前で歌を歌うことだって苦手。
 
しゃべるのだって苦手。
 
だけど、それじゃはじまらない、やるしかないとムチをうってやっている。
 
ヒッチハイクだってもう百何十台とやっているのに、毎回心臓をバクバクさせながらやっている。
 
だから「日本二周ヒッチハイクの旅」とは聞こえは勇ましいが、毎日自分にダメ出しし、自分に落胆しながら歩んでいた。
 
強くなりたい。人として大きくなりたい。そういう一心で。
 
それは強烈な自己否定の裏返しでもある。
 
「おれ、よくやったな」と思うことはあっても、ついぞ自分を好きになることはできていなかった。
 
そして自分を赦せていないのに、人を赦せるわけはないのである。
 
ぼくが自分を赦せることができ、自分を好きになることができたのは、その数年後のことである。
 
夢をかなえた後の、その先にある本当の夢のありか・・・。
 
自分の力でなんとかできる。
 
自分でコントロールできる。
 
自分で解決できる。
 
そう思っている間は、そこに可能性を求めようとしている間は決して到達できないことがある。
 
それは何かができる自分に価値を置いているからだ。
 
だから何かができない自分や他人を否定するのだ。
 
でも、何もできない自分に価値など置くことができるのか?
 
当時のぼくにはそんなことはしるよしもなかった。
 

つづきはまた来週

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?