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第136話 住めば都的な、行けばホームタウン。【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

富山、秋田、岩手ときたら次は宮城だろう。
 
鈍行で宮城へ。
 
東北本線を一関、小牛田、仙台と乗り継いで槻木で降りる。
 
途中、電車の中で話しかけてくる女性がいた。
 
どうやらぼくの荷物などを見てどう見ても普通じゃないと思ったらしい。
 
その山越さんと色々しゃべってるうちに、あることが判明した。
 
なんと夢有民乗馬に来ていたお客さんの友達だった。
 
世界はせまい。人は人を引き寄せる。
 
ぼくは人には引力があると思っている。
 
磁石のように、似ている者は近づくのだ。
 
山越さんは埼玉人で、マッサージの仕事をしている。
 
休みを利用し東北に小旅行に来ているのだとか。
 
この後山越さんは仙台で牛たん、宇都宮でギョーザを食べて今日中に帰るという。
 
山越さんは面白い話をしてくれた。
 
「鉄分の濃い話なんだけど、知ってますか?」
 
「なんすか?鉄分?」
 
「鉄道マニアを『てっちゃん』と言うんだけど、てっちゃんには三種類いるんですよ。
 
音鉄はエンジンの音で聞き分ける。
 
撮鉄(とりてつ)は写真を撮りまくる。
 
乗鉄は乗りまくる。
 
それで、音鉄は車内に入るとエンジンを探してエンジンのあるところにすわって、エンジンの音にうっとりするんですよ。」
 
鉄道マニアについてすごく勉強になった。
 
そしてひまな車内で話相手ができたし、しかも友達つながりで楽しかった。
 
仙台で別れ、ちはるの実家に挨拶にいき、ちはるの幼馴染の小野の家に泊まらせてもらう。
 
宮城では小野をはじめ、ちはるの幼馴染たちがぼくの相手をしてくれて、いろいろなところに遊びに連れ出してくれた。
 
仙台市内や那智ヶ丘へ車で行った。
 
車内に入って血液型の話になった。
 
「SEGEさん何型?」
 
「AB。」
 
「まじ?おれも。」
 
「おれも。」
 
「おれも。」
 
なんと車内にいる5人中4人がAB型だった。
 
「まじで気持ち悪い!」
 
やはり人には引力がある。
 
ところで那智ヶ丘は別名「ハメヶ丘」というらしい…。
 
夜景がきれいでタワーが三つほど見えた。
 
そのうちの一つは明かりで天気を伝える。
 
他にも、みんなで白石蔵王にこけしの絵付けをしにいった。
 
こけしは東北が産地だが、小野たちは地元すぎてこけし屋に来たことがないという。
 
こけしは間引きの際にその子のかわりにつくられたのが起源という説があり、その後子供の玩具になっていったとか。
 
いずれにしても日本特有の伝統的な工芸品である。
 
絵付けは思った以上に難しく楽しかった。
 
職人のおじさんがめちゃめちゃ面白い人で、こちらの言うことをまったく聞いてくれない。
 
あのおじさんだから絵付けは楽しかったのかもしれない。
 
絵付けは筆使いが難しいし、表情を作るのも難しい。
 
みんな一人一人個性的で笑いながら仕上げた。
 
ぼくは清河さんの奥さんに、「お母さんに何かお土産でも買いなさい」と言われ、お金を頂いていたので、ここでいくつもこけしを土産に買う。
 
そのお金はちゃっかり残したりせず、しっかりと使い切った。
 
お金はどんな意味を持って使うかが大事だ。
 
心で頂いたお金は心のために使う。
 
音楽でいただいたお金は、音楽のために使う。
 
三日ほど宮城で御世話になり、出発。
 
ちはるの幼馴染たちは、本当に居心地がよかった。
 
幼馴染の彼氏という立場のぼくに対して、以前からの友達のように接してくれる。
 
接してくれるということだけでなく、それ以上に、あまり人に心をすぐゆるせないぼくが、自由でいられるのだ。
 
もしかしたら彼らはぼくに気を使っていたかもしれない。
 
でも、本当に感謝している。
 
そして、その数年後、ぼくとちはるとの別れの時が訪れた後も、彼らとの交流はずっと続いていくのだった。
 
 
大河原から電車に乗り、夜、宇都宮に着いた。
 
宇都宮は一周目で2番目に来た街。
 
ぼくが尊敬する藤原さんや林さんたちがいる。
 
ぼくはまた藤原さん宅に泊めさせてもらい、奥さんと子供たち2人にも再会した。
 
子どもの1年は大きい。
 
ちょっと成長しているのが見てすぐ分かる。
 
下の妹は明らかに言葉が増えていた。
 
藤原さんに言われた。
 
「SEGE、明日日光に家族で行くんだけど一緒に行かない?」
 
「いいですよ。」
 
「君が運転してよ。」
 
「へ?ぼく?」
 
「できるでしょ。」
 
「ええ、まあできますけど。いいですよ。」
 
「じゃ、そういうことで。」
 
(できるけど、お子さん2人乗せて運転するから、ちょっと責任重大というか、緊張するなあ。)
 
でも、まあいつも乗せてもらっている身だから、こういうことでお礼にもなる。
 
助手席の藤原さんは、ぼくの運転する横で寝ていた。
 
(そりゃ疲れているよね。きっと恩返しになったよね。)
 
その日の夜は一周目でも歌わせていただいた「yellow」でライブをさせてもらった。
 
林さんも来てくれたし、藤原さんご家族一同も来てくれたし、ほかにも藤原さんがいろいろ声をかけてくれたようで、たくさんお客さんが来てくれた。
 
しかも今回はギャラもいただいてとてもうれしかった。
 
他の日には一周目同様、林さんのお店「ムジカリズモ」や「スノーキーレコード」の前でストリートライブ。
 
もはや「オリオン通り」も「ユニオン通り」もばっちり頭に入っていた。
 
「すごくいい歌ですね!」
 
足を止めてそう言ってくれたのは、大学生の篠原君たち3人。
 
「今度ぼくの大学祭で歌ってください!」
 
「いいんですか?ぜひ!」
 
そしてそれは後日本当に実現した。
 
さて、宇都宮の後、ぼくは高崎へ行くつもりだった。
 
しかし、CDのストックがなくなってしまった。
 
それはとてもありがたいことなのだが、行き先でCDを渡せなくなることはダメージが大きい。
 
また、調布のバーteteのじゅんさんが企画するカレーキャンプこと「カレキャン」が野川公園であるとのことで、ぜひSEGEも来てよと言われていた。
 
「カレキャン」とは、teteや下北の飲み仲間が集まって、野川公園でうまいカレーを作ってみんなで食べる。飲んだり騒いだりするデイキャンプだ。
 
(東京にいったん戻るべきだということだな。)
 
藤原さんのお子さんたち2人は、だいぶぼくになついてくれた。
 
特にギターが気に入ったようで、よくいじっていた。
 
「SEGEくん、子どもたちがさみしがるから気づかれないように出発しようか。」
 
と奥さんの提案で、ぼくは子どもたちが昼寝をしている間に内緒で出発。
 
奥さんは近くの駅まで車で送ってくれた。
 
「『母へ』って歌、また聴きたいな。」
 
そう言って、別れ際、奥さんは涙を浮かべながら、ピースのワンカートンをぼくに手渡してくれた。
 
藤原さんたち、ありがとう。
 
大阪のトシのところもそうだし、熊本の古未運、沖縄の夢有民牧場、新潟も、宮城も、宇都宮も、住めば都。
 
いや、行けばホームタウンか。
 
また来ます。
 
つづきはまた来週

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