見出し画像

第124話 自分のしばりをといて自由になること【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

7月27日、新潟へ向けて正光寺を出発。
 
ヒッチハイク163台目。鳳来まで。
 
浜松在住のご夫婦。水を汲みに鳳来に行くところだという。
 
164台目。湯谷温泉まで。
 
バンドをやっている若者カップル。
 
165台目。湯谷から東栄まで。
 
娘3人と東栄にキャンプに行くところ。
 
166台目。東映から飯田インターまで。
 
豊川から飯田の実家へ行くおじさん。
 
167台目。飯田インターから駒ケ根サービスエリアまで。
 
新潟での約束が2日後だったので、インターでヒッチハイクをして高速道路で移動した。
 
マンション建設の仕事をしている伊那在住のおじさん。
 
ぼくの父が広島だという話をすると、
 
「広島は船乗りが選ぶ都市だ。」
 
と言っていた。
 
そしてこの日は駒ケ根サービスエリアで野宿。
 
翌日168台目。駒ケ根サービスエリアから姥捨サービスエリアまで。
 
中津川に結婚式に行ってきた帰りだという、おじさんとおばさん。
 
「わたし(おじさん)は、安全派なんだけど、こっち(おばさん)は、スピード派。」
 
ふむふむ。おばさんの方がなんとなく話し方にケンがある。
 
「息子は今27歳なんだけど、代官山でトスカーナというイタリアンのパティシエやってるよ。」
 
色々おしゃべりしていると、「お兄さん歌ってよ」という流れになり、車内で歌わせていただいた。
 
そしてその流れでおばさんの歌も聴かせていただいた。
 
169台目。姨捨サービスエリアから、新潟駅南口。
 
名古屋からのトラックだった。
 
娘さんが3人、息子さんが1人。
 
今は名古屋に住んでいるが、佐世保出身で、元郵政省に勤めていたという。
 
トラック歴は20年で、自分のトラックに乗ってからは10年。
 
「山形から船で札幌に行くこともあるよ。」
 
このトラックの方が長距離を乗せてくれたおかげで、予定よりも1日早く新潟に着くことができた。
 
そして新潟には友達のちあきがいる。
 
数日ちあきの家に泊めさせてもらうことになった。
 
翌日は、沖縄のBaech69で出会った何人かと、新潟駅近くにあるBeach69出身の人がやっているお店に行った。
 
そして長岡の花火は8月2、3日にあり、そのメンバーと行くことになっていた。
 
長岡の花火大会は2日間にわたって行われるのだ。すごい規模だ。
 
ぼくは花火に行くような服を持ち合わせていなかったので、彼らに「甚平」と扇子を借りて見に行くことができた。
 
甚平も生れて初めての経験だったので、「ジンベエ」って何?と思ったのだが、それは言えなかった。

初めての甚平

あいにく強い雨が途中から降り始めてしまったので、仕方なく途中で帰ることになったが、有名な長岡の花火大会を経験できてよかった。
 
しかし、「遊びの約束をして、数百キロ先の場所までヒッチハイクでかけつける」。
 
なんとも快感だ。
 
勢いに乗り、もうぼくは日本一周を終わったも同然だったので、これで味をしめてついでに富山に行くことにした。
 
というのも、宮城の前歯の長い末吉くんが富山に転勤で来ていると聞いていたからだ。
 
末吉くんは、ぼくの彼女のちはるの地元宮城の幼馴染で、宮城でもみんなで飲んだ仲だし、彼も一人でさみしいかもしれなく、転勤先で会うというのもいい機会だなとぼくは思ったのだ。
 
連絡をすると、「合掌造りをいっしょに見に行こう」と言う。
 
世界遺産だし、行ったことがないし、行きたかった所。願ってもない機会だ。

 また、富山の宇奈月にはインドで出会ったトシもいる。
 
ついでにトシにも会いに行きたい。
 
考えてみると、また会いにいくにしても、わざわざ東京に一度戻って、きっちり一周をしてから新潟や富山にいくのは手をかけすぎる。時間がかかりすぎる。
 
それにお金もそれなりにかかる。
 
誰かに合うというのはタイミングというものがあって、待っていられない、今会いに行かなければならないということだってある。
 
(もう自由にやってしまおう。その方が面白い。)
 
シルクロードの旅や、花火の約束がなければこんな自由には考えなかっただろう。感謝したい。
 
8月3日、ぼくはちあきに新潟西インターまで乗せてもらい、ヒッチハイクで富山に向かう。
 
170台目。栄パーキングまで。
 
なんとこちらが行き先を見せるまでもなく、あちらから声をかけてもらった。
 
30歳くらいのご夫婦だ。
 
「湯沢の方に写真を取りに行くところなんですよ。」
 
171台目。大積パーキングまで。仕事中で柏崎に行く車。
 
172台目。米山サービスエリアまで。
 
上越の人で、新潟まで競馬をしに行っていたという。
 
「新潟は北から下越・中越・上越になっているんです。大阪に向かって近い方が『上り』なんですよ。」
 
なるほど。元は都が京都だから、そっちが「上」なのだ。
 
上方漫才と同じだ。
 
173台目。富山駅まで。
 
佐賀と大阪で生まれ育った松本在住の方。
 
「卒業旅行で2人で九州をヒッチハイクしたことあるんですよ。」
 
富山駅に着いた時にはもう夜だったが、なんと街では盆踊りをし

ていた。

もうちょっとお祭りを堪能しても良かったが、末吉くんに迎えに来てもらい、彼のアパートへ。
 
地元を離れ、消防士の仕事を富山でしているという。
 
いつも歯が長いことでからかわれている、いじられキャラの末吉くんが、消防士という熱い仕事をしている、命をかける仕事をしているということに驚いた。
 
そしてうれしかった。
 
翌日は白川郷の合掌造りを二人で巡り、上平村のくまの湯に入った。

 8月5日。今度は宇奈月のトシに会う。
 
インドでは3人の「トシ」に会い、3人全員にこの旅で会おうと思っていた。
 
一人は大阪の大親友トシ。もう一人は富山のトシのぶ。2人にはすでにこの旅で会っていて、トシのぶは2回目だ。
 
もう一人のトシは海外から東京に戻っているとしたら、東京で会えるだろう。
 
富山のトシは、地元の善巧寺というお寺にお世話になっていて、前回来た時にはそこにぼくも連れて行ってもらった。
 
善巧寺は住職の雪谷さんの先代のお父様が元劇団四季出身ということで、雪ん子劇団という子供劇団をしていた。
 
トシは雪ん子劇団出身なのだ。
 
今回その劇団の子供たちの活動も観させてもらうことができた。

また、本堂の横にある部屋がバーのようになっていて、ぼくはよくトシにそこに連れて行ってもらい、雪谷さんや地元の友達と共に飲んだり、ぼくの歌を聴いてもらったのだ。
 
今回も同じように歓迎され、前回はなかった歌を歌ったり、ギターケースにたっぷり落書きしてもらった。
 
こんな空間があるなんて本当に素敵だ。
 
若者がどういう場所に集まりたいか、よく分かっているし、それをお寺に作れるところがすごい。
 
トシはドラムを練習しはじめたのが驚きだったが、考えてみると以前来た時は10か月くらい前なので、いろいろな変化が起きていてもおかしくはない。
 
トシの実家に数日お世話になり、その間、宮崎ヒスイ海岸を見せてもらったり、ちょうどこの時期にある入前祭りにも連れて行ってもらったりした。

9月頭には風の盆があるというし、お祭りラッシュなわけだ。
 
ほかにも、
 
「変わった人が近所にいるんですけど、SEGEさんにも紹介したいと思っていたんですよ。」
 
と言われ、近所の芸術家、清河さん宅の草むしりをいっしょにお手伝いし、ファミレスで食事を御馳走になった。
 
この清河さんは、自称、
 
「世界でおれのような芸術家は5人しかいない。おれは世界で5人の指に入る芸術家だ。おまえが世界中探しても10の指には入るだろう。」
 
と豪語するおじさんで、変わった方なのだが、後々縁が続くことになる。
 
どうもこう変わったおじさんにぼくはよく会うのだ。
 
そしてぼくは新潟・富山編を終え、東京についに戻ることにした。
 
出発が2001年の8月12日。
 
東京に戻ったのが2002年の8月8日。
 
ほぼまる一年をかけて、東京へ戻った。
 
でもやはり気がかりなのが、この旅の中ではまだ行っていない県があるということだった。
 
(もう達成したでしょ。)
 
と言い聞かせても、ぼくの性格上、
 
(きちっとやっておきたいな。)
 
という気持ちがくすぶっている。
 
どうしよう。

 
つづきはまた来週

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?