第139話 日本二周の旅の終止符はどう打つべきか【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】
茨城から東京へもどる。
その後は、調布のバーteteでのライブと、ロケットさんがブッキングしてくれた大塚のライブハウス「CAVE」でのライブが控えていた。
さらにその後宇都宮で歌を聴いてくれた篠原君たちの大学での学祭で歌うことにもなっていた。
思えば、日本二周の旅を始める前と比べると状況は明らかに変わっていた。
旅の前は知り合いのイベントにちょっと出させてもらうのが関の山だった。
DJイベントで、多くが泥酔、または寝てしまっていたり帰ってしまったあとの、朝の6時から登場させてもらったこともあった。
それが今や、自分がメインのイベントを、自分がお願いしなくても誰かが企画してくれるということが起きている。
もはや日本二周の旅はその目的を果たしたのではないか。
もうその後へ進む段階に来ているのではないか。
それに、日本を回りながらお世話になった人などに歌を届けに行くという旅の趣旨もすべてかなった。
また、日本二周というのはそもそも、「一周以上をしたい」というねらいだったから、それもかなっている。
だからぼくの中ではもうこの旅は終ったも同然だった。
このまま旅を続けるということも一つの選択肢だったが、もし続けるとしたらそれはずっと旅人歌うたいであり続けることを意味する。
または何らかの新しい目標を決めて、それがかなうまで続けるということになる。
目標?
歌で成功すること?
歌が売れて、有名なアーティストになること?有名じゃなくても音楽で飯を食っていけるようになること?
このまま旅は続けたくない。
なぜならぼくには彼女が、ちはるがいたからだ。
彼女のためにも戻りたい。
もうずっと、インド・ネパール・パキスタンの旅の時から日本二周の最中まで、ちはるには待ちぼうけさせている。
ちはるの近くにいたいというのは僕の本心である。
もしも旅を続けるために、「あと1年以内にメジャーデビューする!」みたいな目標があればぼくは旅を続けたかもしれない。
それなら待ってもらうこともありだと思うからだ。
もちろんちはるが「もう待てない」と言うならば話は別だし、その時は別れるしかないのかもしれない。
とにかく彼女の思いを尊重したいし、今まで東京で待っていてくれたことが奇跡のようなものだ。
ただ、ぼくの目標は本当にメジャーデビューなのだろうか。
歌だけで飯を食っていくことなのだろうか。
わからない。
だからそんな判断がつかない状態で旅を続けて彼女を引き続き待たせるわけにはいかない。
それともう一つ旅を終わらせた方がいいと思う理由があった。
それはロケットさんという支援者がいたことだ。
ロケットさんは、
「SEGE。日本二周が終わったら東京でライブやっていこう。CDも作ろう。ロケット打ち込んでいこう。旅はいつ終わる?」
そう言ってくれていたからだ。
彼はプロデューサーとしてぼくを育てよう、売り込もうとしてくれていた。
ビッグなアーティストにしようとしてくれていた。
そんな支援者に出会えることなんてめったにないことだ。
ぼくは幸運に恵まれているとしか思えない。
ロケットさん以上の進め方がぼくの中にあるわけではないから、ロケットさんの思いをはねのける理由なんてない。
だから歌の活動を進めていくという道は、自然と東京でロケットさんに委ねていくということになる。
すでにロケットさん企画のライブは大塚のライブを含めて2つ。
もうこの後も春にライブをすることになっていた。
春からは本格的に東京でライブ活動をするというのがロケットさんのプランだった。
つまり、プラスに考えると、ぼくは日本二周の旅を終える理由があったし、ちはるの近くにいながら音楽活動を進めて行けるということなのだ。
要するに旅を終えて東京でやっていくことは、ぼくにとって必然なことだったし、むしろ日本二周をしたことによる、かなり大きな成果ともいえる。
それがぼくの目標とあっているならば・・・。
この旅で学んだことの一つは、その先がどうなるか分からなくても、戻ることなく、とにかく勇気を出して前に進むことだった。
そして進んだ先に答えがあるということだった。
ところがまるまる一周をまわり、その後は縁があるところに行くことになり、回り方の指針がなくなっていた。
よく言えば形にしばられない自由な移動だったが、悪く言えばその場その場のことに流されているとも言える。
どう回るかはぼくの気持ち次第だったし、まわりに振り回されやすくもなっていた。
そして東京にいる日が増えることで、「日常的な生活」に侵されつつあった。
次の瞬間どうなるか分からないような野宿とヒッチハイクの生活をしていた者にとって、故郷での生活に甘えが生まれないわけがない。
緊張感はどうしても持ちにくくなる。
だから奮い立たせて関東を回っていたのだが、このままではいけないという思いと、この生活に戻ってしまうのかという思いと、戻っていきたいという思いとがないまぜになり膨らんでいった。
ヒッチハイクと野宿の旅を続けて、一番スリリングな道をとるのか。ヒッチハイクと野宿ではなくても、歌いながらの旅を続けていくのか。はたまた東京に居座って活動していくのか。
「進んだ先に答えがある」。
それに従えばぼくに用意されているルートは、やはりロケットさんと共に東京で活動していくことしかない。
ちはるがいなければ話は違ったのかもしれないが、それ以外にぼくの心が乗っかるルートはなかった。
ぼくは日本二周を終えることにした。
その終わりは沖縄の夢有民牧場で迎えよう。
牧場にもう一度行っておかなければならない。
牧場での生活を終え、沖縄にさよならをしたあの日、鹿児島に帰るフェリーの上で、ぼくは泣いた。
「いろんな人生があっていいと思う」とつぶやきながら、涙が止まらなかった。
夢有民牧場は、ぼくが自分の人生で初めて自分の心に出会えた場所だった。
ぼくがぼくらしくあり、ぼくがやること、考えていること、表現することが否定されず、認めてもらえる場所。
だからぼくはあそこが自分の第二の故郷だと想っている。
ムーミンさんが、第二の父だと思っている。
「二周目にまた来るから」という約束をしていたから、絶対に行きたい。行かなくてはならない。
さあ、それには車の免許をオートマからマニュアルにしなくては。
牧場の車はマニュアル車だったのに、ぼくの免許はオートマ限定だったからだ。
その話は73話にのせてある。
ただその為には数万円のお金が必要になる。
それを音楽で稼いだお金でまかなうことはさすがに不可能だ。
大塚でのライブの後、ぼくはやむを得ずアルバイトを始めることにした。
沖縄に出発するまでは、しばらく東京ライフである。