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腕の中に巡り合わせ

筆者は幼稚園の時分から本が大好きな子どもだった。ドリトル先生の冒険を眺めながらきらきらワクワクした気持ちでいたし、ガラスの仮面を読みながら演劇とはかくも恐ろしいものかと幼いながら圧倒されていた。漫画好きな母。詩集や文学を好む父 。実家には読書家が生まれるのも納得の蔵書が所狭しと並んでいたと記憶している。

もちろん今だって本を読む習慣がある。ありはするのだが。20歳を越えた辺りから知らない本を選ぶことに抵抗感を覚えるようになり、選べたとしても読了できなくなってしまった。この頃はもっぱら好きだった本を何度も繰り返し借りるのみ。この体たらくで読書家と名乗ってよいものか…。人前で読書が好きとは中々言い出せなくなっていた。
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そんな筆者が最近読了できた本がある。
寺地はるなさんの「ガラスの海を渡る船」
いつもなら敬遠し通りすぎてしまう未知の本なのだが。気づけば腕に抱えていた。

祖父からガラス工房を継いだ姉弟。
幼い頃からずれたところのある弟、何者かになりたいと焦る姉。お互いのことは好きではない。衝突の絶えない毎日。けれども決して自分にはないものを持っていると認めあっている。様々な別れに触れる中で、少しずつお互いに向き合っていく物語。

ガラスの骨壺を扱う工房なだけあって、この本には様々な別れや死が登場する。お客様の身内であったり、姉弟の祖父であったり。
筆者自身この秋に同居していた祖母を亡くしている。あまりに急なことで悲しむことを通り越し、何も思えずにいた。そんな折に三者三様の悲しみ方があり、悲しみ切るにも時間が必要なのだと教えられた。そうであってよいのだとこの本に肯定された気がして安らいだ気持ちになれた。今このタイミングで出会えたことが運命的にも思える。もう祖母とはできないけれど、あの姉弟のように誰かと膝を付き合わせて話をできたら、悔やむ気持ちも少しは小さくなるのではないか。そうも思わせてくれる今の筆者が求めていた物語だった。
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本を閉じる。ふと文字盤を見やるともう40分も経っている。久しぶりに没頭していたようだ。

未知のこの本を手に取れたのは、何かのめぐり合わせだろうか。そうだったらいいな。祖母が会わせてくれたのだとしたら、それはステキなことかも。
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余談ではあるが、ここまで書いた後3冊の未知を読了できた。読書が好きだと胸を張って言える時は近いのかもしれない。


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