【Merry】樋口円香を考える――理解への欲求、感情と理性
はじめに
注:総文字数4万を超える記事です。PCで読むことを強くおすすめします。
注2:ネタバレしかないです。円香の他のSSRコミュ(プロデュース、サポート問わず)の話もしますし、一部他アイドルのSSRの話が出てきます。
こんにちは、noteでシャニマスの記事を書くのは久しぶりです。
最近のシャニマスといえばやっぱりアレ。トワコレ樋口円香【Merry】実装ですよ。期間内ギリギリに滑り込み天井でお迎えし、ゆっくりと読ませていただきました。
気付けば、今回もキーボードを叩くことになっていました。火力がすごい。
と、ここで問題が発生しました。私の最近の記事を軽く見直してみると、過去記事の内容を前提に話を進めることが多く、ごちゃごちゃとしてしまっているんです。今回の記事も、過去の記事で書いたことを前提として書くつもりなのですが、その前提がそもそも複雑で、量も多いのです。
私自身ですら【ギンコ・ビローバ】【ピトス・エルピス】についての記事についてはかろうじて核心部分を覚えている程度なのに、読み手の方が私の過去記事を覚えているはずもなく。前提を知らないまま話を始められても困るのは当たり前ですよね。
そこで【Merry】について語る前に、軽く今までの樋口円香をまとめておくことにしました。私自身も今まで何を考えていたのか思い出したいので。【Merry】については、このまとめを読み飛ばしても問題ないように書くつもりではありますが、やはり読んでもらったほうが面白いと思います。
なお、まとめの章では文章が「だ・である」調になり、箇条書きも取り入れて書きます。文としては淡々としてしまいますが、ご了承下さい。
今までの樋口円香まとめ
樋口円香とシャニPは対照的な人間であり(無論全てが正反対というわけではないが)、よく2人が対比される構造が取られている。
対比構造は、最近のコミュでもよく見られる。
円香は言葉に対して非常に慎重なスタンスを取る人物。そのため「知らないけど」などのワードでぼかすことが多い。常にコミュニケーション、表現における「正解」を探している。
円香はシャニPが自分の代弁者になることを拒む。自分の言葉、自分の心が他人の口――特にシャニPから発せられることには忌避感がある。
自分のことを言語化されることを拒むということは、そのまま理解されることを拒むことでもある。
自分が発する言葉だけでなく、他人が発する言葉に対しても非常に敏感で誠実。シャニPのちょっとした発言も覚えていることが多い。人や物事をよく観察しており、理解しようとしていると言える。シャニPの発言に関しては特に、疑ったり皮肉を返したりする。
円香は大切なものについて、あまり言葉にしたくないという価値観を持っている。
円香は自身の本心を偽る言葉を発することを好ましく思っていない。そして、この美徳は時折問題を引き起こす。
円香は人を思いやることができる優しさと厳しい現実をシニカルに捉える冷たい思考の両方を持っている。この優しさと現実的な思考の両立ができなくなり、どちらかを偽らざるを得なくなることがあるのだ。
Trueの「プロデューサー」ではない一人の人間としてのシャニPを知りたいという欲求及びその他複雑な感情による「ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまえばいいのに」という名台詞。
現実的な思考を持ち合わせていながら、理想を追い求めてしまうという二律背反を抱えている性格が現れている。
円香と透は、最低限の言葉でやり取りが完結する関係性にある。
透に対して、私(円香)は浅倉透のことを(スタッフなどの他人よりも)分かっているという優越感に近い感情が描かれている。
「私だけは皆が見ているような浅倉透像ではなく、本当に『浅倉透』という人間を知っている」という自負は樋口円香という人間のアイデンティティの結構な部分を占めている。
※【UNTITLED】という題の捉え方について
記事において、私は英和辞典を引いて「無題」という意味に加えて「(人の)権利がない」という意味を採用し円香は「私以外の人に透を理解する権利はない(それゆえ私は透にとって特別)」と考えているのではないか、と書いているが、修正する。
①の「称号のない」を取って、「アイドルという肩書のない」浅倉透を知っている、という意味が含まれているのではないか、と考える。【ギンコ・ビローバ】や今回の【Merry】で描かれた「プロデューサーという肩書きのないシャニP」に関する描写に繋げる上で、こちらの方が圧倒的に美しく、納得できるはずだと思うのだ。
このコミュにおいて、円香とシャニPは「子供/大人」という部分が強調されて対比されている。子供と大人という対比は他アイドルのコミュでもよく見られることではあるが、円香のコミュは特に強調されている部類に入る。
一方で、円香は【ギンコ・ビローバ】の部分で言及したように「正解」を求めようとする傾向が強く、そういう部分は極めて純な子供であると言って差し支えない。
なお、シャニPは円香やノクチル以外のアイドルに対しても各々の「純」を大切にして伸ばすように願い、そうなるように促すことが多い。
この「正解」志向は非常に強く、特に歌唱においては妥協を許さない。もはや完璧主義、潔癖といった言葉で表現するべきレベルのものとすら言える。シャニPはこれを「激情」と表現する。
円香は「たった1つの正解」という完璧を求めるが、シャニPは複数の正解を認めており、部分点も認める(「正解なんてない」というGRADにおけるシャニPの発言などから)。
人間が近づくと驚いて去ったカラスは、そのまま円香を象徴している。シャニPが踏み込もうとすると円香は逃げてしまうため、踏み込むことは難しい。そのため、シャニPは円香との距離感には気を配っている。
樋口円香のコミュにおいては、シャニPも「正解」を(他のアイドルのコミュよりも、特に必死に)探す立場になるのである。
要約すると、円香の「正解」志向に「時間と美」の観点からアプローチしている話。
円香は衰退と終わりというものを敏感に感じ取る。現実的思考は、時に諸刃の剣となる。コミュに登場する廃墟やドライフラワーは、円香の中にある「美の正解」からは外れた概念であると言える。
その理由は、欠けたもの(より美しかった過去/美しくなるであろう未来)を想ってしまうから、である。
円香はシャニPのことを「欠けたものをそのままに愛する人」と表現する。これは、シャニPは目の前の人間が「アイドル」であろうとなかろうと慈しむことができる、そういう人だと認めているようなものである。
もはや、円香はシャニPの善性を疑うことが難しくなってきている。
「欠けたものをそのままに愛する」=「今を見る」である。我々は常に「今」に生きるしかない。過去は固定された終わったものであり、未来とはいつか過ぎ去り、過去となる消費物である。一方、今という時間は不定形で、決して途切れることがない。
円香は人生の絶頂以外は「正解」ではないと捉えていると言え、しかしその絶頂ですらも「オイサラバエル」ものであるがゆえに愛しきれない。愛というパラメータがあるなら、シャニPの方が懐が深く、圧倒的に高い数値になるだろう。
【オイサラバエル】では「視点」がかなり大事になってくる。シャニP、その他仕事関係者、学校の人間、そしてシャニマスのユーザーである我々。各々に「その人にしか見えない樋口円香」があり、「その人では見られない樋口円香」がある。
「欠けたものをそのままに愛する人では」といった言葉は円香の脳内を描いたモノローグであるため、シャニPには伝わっていない。ユーザーだけが知ることを許されている。
また、円香はプロデューサーの見えないところを脳内で補って想像しており、これはシャニPの言葉である「そこに無いものを見ようとしてしまう――欠けた部分まで見ようとしてしまうから完璧になる」を実践しているのである。
「欠けたものをそのままに愛する人」であるシャニPと円香の対比が行われているシーンでもある。
【ピトス・エルピス】をシャニPが円香の核心を垣間見る話だとすると、【オイサラバエル】TRUEはシャニPの持つ価値観の核心を垣間見る話と捉えることもできる。
2人が心を通じ合わせるというよりは、お互いがお互いの心をを一方的に覗くという関係性が基本であり、ごく稀に通じ合うことがある。
ドライフラワーは円香にとって「美の正解」からはかけ離れた存在であるが、美だけが価値の基準ではないことも同時に理解していた。そのためシャニPの「いいものをもらったな」という言葉に素直に頷くことができたのだと思われる。
当然だが、そのカードのシナリオ(テーマ)はそのカードの中で完結している。「他のSR、SSRシナリオを読んでいるとより深く理解できたり楽しめる部分」は多いが「他のSR、SSRシナリオを読んでいなければ楽しめない」ようにはなっていない。
感謝祭、GRAD、LPなどのメインシナリオについてはPSSRシナリオに絡んできたりするが、必ずしも必須情報ではなく軸は掴める。
SSRなどのカード群の関係性は、実装が古いものから順番に階段のように上っていくというものではなく、段差のないフラットなものだと捉える。ただし、WING→感謝祭→GRAD→LP……というメインシナリオに関しては階段のように捉えても差し支えがないと考えている。
「モチーフ」は気にしすぎないようにしている。モチーフを深掘りして得られるものがどれほどあるかと言われると、あることはあるだろうが、地に足がつかない解釈に繋がりがちなので、自分の心の中にしまっておくことにしている。
【Merry】の軸について
思っていた以上に長くなりました……だいぶ文字数抑えたのですけどね。改めて自分の記事を読み返してみると、失敗もあったり、新しい発見もあったりで意外と楽しかったです。
さて。【Merry】はトワコレということもあってか、WING、感謝祭、GRAD、LPを思わせる演出が盛り込まれた、今まで円香を見てきたユーザーへのサービスという面も大きいコミュである、と感じました。
とはいえ、もちろん【Merry】というカード単体に込められている一貫したテーマも間違いなくありました。ということで、まずは【Merry】において最も大事なキーワード、テーマは何かということについて、私の考えを書いておきたく思います。
それは「理解」です。
理解すること、理解されること、理解できない/しないこと、理解したいこと、理解したくないこと、理解されたくないこと――これら様々な「理解」への想いが円香、シャニPの双方の視点から描かれているコミュ。それが【Merry】なのです。
理解というテーマは【Merry】全体を通して描かれています。
ひとつずつ見ていきましょう。
「理解」1:「NREM」――シャニPが理解するという事
「NREM」では、プロデューサー側の「一体、何がわかっていたのだろうか、彼女の何が」というモノローグが描かれます。
相手のことを理解する必要はないと考えるのであれば「何がわかっていたのだろうか」などと憂うことはありません。間違いなく、彼は「彼女」のことを理解しようとしています。
では、そもそも「相手のことをわかっていない」という状況を、シャニPが問題であると捉える理由は何でしょうか。答えを出すためには「頼れるプロデューサー像」について考える必要があります。
「まだ夢……?」を除く2つの選択肢において、シャニPは寝起きであることを隠そうと努めています。また彼は、寝起きであることが円香にバレていたと知ると自戒します。自戒するのは、シャニPが円香の前では常に頼もしいプロデューサーであろうと心がけているためです。
これは他のコミュからも読み取れます。例えば【カラカラカラ】やGRADにも、シャニPが自身の油断について反省するシーンがありますし、自戒するような言葉こそ描写されていなくても、シャニPの油断から始まるコミュは少なくありません。
もちろん、シャニPはどのアイドルたちの前であってもしっかりとした頼れる存在でありたいと努力しています。ただ、円香の前では明らかに、特別な緊張感を持って強く「頼れるプロデューサー」を意識するシーンが多くなっています。
円香を相手にしている時の緊張感は、別アイドルのコミュでシャニPが油断しているシーンを見てみるとよく分かります。今回は甘奈の【お散歩サンライト】を見てみましょう(限定を持ち出してきたのは申し訳ない)。
このコミュには、シャニPが風邪で倒れて甘奈に看病され、その後寝ている姿を見られるというシーンがあります。寝起きの姿や事務所での居眠りどころか、体調を崩してぐっすり寝ているという、最も無防備な姿をシャニPは見せているのです。これが「油断」でなくて何でしょうか?
さて。このコミュにおいて、熱が出ても甘奈の撮影に立ち会おうとする姿は立派で頼れる「プロデューサー」でしょうが、看病されるシーンは弱々しい病人以外の何者でもありません。
シャニPは看病されることに対して「申し訳ない」と言いつつも、なんだかんだで甘奈の優しさに甘え、買い出しに行くという甘奈に買ってきてほしい食べ物をリクエストします。
このシーンのシャニPには、看病をさせて申し訳ないという気持ちや体調管理はしっかりしなければという反省こそありますが、円香との関係性において生じているような緊張感は感じられません(好意に甘えて寝ちゃってるわけですから)。
では、それは何故でしょうか。
甘奈とシャニPとの関係においては、シャニPが多少だらしないところを見せたとしても、甘奈から見たシャニPが「頼れるプロデューサー」であり大切な存在であることは揺るがず、信頼関係は続く……シャニPの中にそういう安心感があるためでしょう。
甘奈GRADにおけるシャニPのセリフにも、その安心感は反映されています。
「ちゃんとしなくてもいい」
この言葉は、シャニPが甘奈の前で「ちゃんとしてない」姿をさらけ出せる関係性を構築しているからこそ、甘奈に説得力をもって響くのです。
他ならぬ甘奈こそ、シャニPが失敗してしまった時にシャニPを「支えたいと思う人」の一人なのですから。それを特に強調しているのが上にある【お散歩サンライト】のシーンなのですが、別にあのコミュを読まなくても甘奈のシャニPへの好感度が爆高であることは分かりきってますね。
このように、シャニPからすると甘奈が相手であれば多少ダメなところを見せても問題がない。この安心感は、甘奈がシャニPに対する思いやりや好意をあまり隠さない――仕事上においても、個々人としての付き合いにおいても目に見えて良好な関係を築けている――ところから来ています。
一方、円香はシャニPに対して好意を示すどころか、常に彼を拒みビジネスライクな関係であろうとします。そんな円香とのコミュニケーションの中では安心感が生まれることは少なく、常に緊張状態にあります。だから円香と自分をつなぐ数少ない要素である「頼れるプロデューサー像」が揺らいだ時、他のアイドルの前でその像が揺らいだときよりも強い危機感を覚えるわけです。
次はもう少しだけ掘り下げて、シャニPが「頼れるプロデューサー」である必要があるのはそもそも何故なのかということについて考えてみましょう。
ノクチルのコミュに限らず、過去の様々なコミュにおいてシャニPが望むプロデューサー像が「アイドル個々人の意思を尊重する」ものであるということは一貫して描かれてきました。
そして当然、相手を尊重するためには、相手のことをよく知る――理解する必要が出てきます。相手のことを知らなければ、確実に相手のためになる(相手が望む)行動を能動的に起こすことはできないのですから。
相手を理解することで相手を尊重する……と、ここで問題になるのが樋口円香という少女の態度です。何度も書くように、円香は彼女について理解しようと踏み込んでくるシャニPに対して、明確に拒否を示します。
他のアイドルであれば直接尋ねれば(必要以上にパーソナルな部分を含む)回答を得られるところを、円香とのやり取りにおいては尋ねても答えてもらえなかったり、仕事において必要と思われる最低限の回答しか得られないことが多いのです。
そのため、相手のことを理解する手段として、直接尋ねるという行為は使いにくくなっています(あくまで使いにくいというだけで、どうしても必要だと考えた時には躊躇いながらも踏み込んでいますが)。
そこでシャニPは円香との関わりにおいて、円香が少しでも仕事やプライベートの相談事や自分のことを話してもいいと思えるような「頼れるプロデューサー像」を作ることに(他のアイドルたちとの関わりに比べて)重きを置くようになっているのです。
「頼れるプロデューサー像」の作るという方法だけでなく、シャニPは円香の言動の細かい部分から円香の性格や意思を、細い糸を手繰るようにして必死に読み取ってきました。そうしてきた理由は、先述の通りプロデューサーとして円香のことを理解する必要があったからです。
と、そこで一歩立ち止まって考えてみましょう。いま私は「プロデューサーとして円香のことを理解する必要があった」と書きました。それはおかしな話だと思った人もいるのではないでしょうか? プロデューサーという「仕事」のことだけを考えるなら、相手のことを理解する必要はないはずでしょう。嫌われていても淡々とプロデュースの仕事をこなせばいいはずだ、と。
……確かに「仕事」と「仕事以外」を分けるならばそういう理屈になるのも無理はありません。しかし「仕事」と「仕事以外」だなんて、そう簡単に分けてしまっていいものでしょうか?
答えは明確にNOです。「プロデューサーではないシャニP」が「プロデューサーという仕事」に憧れているという事実が大前提として存在しているのですから。シャニPのアイドル個々人を尊重するという理念は彼が本来持って生まれた優しさから来ていると考えるのが自然であり、「プロデューサーという仕事」そのものと直接結びついているわけではないのです。
もう少し端的に言うと、(少なくともシャニPにおいては)「仕事としての自分」と「仕事以外の自分」はシームレスに繋がっているのです。
「プロデューサー」は多義的な言葉であるとも言えるでしょう。
また、シャニPは「嫌われるのはそんなに得意じゃない」と明言してもいます。ここからも、彼はあらゆる人付き合いにおいて良好な関係を求める人間だということが分かります。
例えば、雛菜であれば相手に嫌われていても「へ~?」で済ませるのでしょう。彼女は合わない人間と進んで付き合おうとはしません。
また、仕事と割り切るのであれば「嫌われるのは得意じゃない」と相手に直接伝える必要もありません。先程も述べたように、嫌われていても仕事はできるのですから(それは昔の天井社長に近い在り方です)。
それでも彼は「嫌われるのは得意じゃない」と明言します。つまりこれは「プロデューサー」ではなく彼本来の人間性から出てきた言葉なのです。
「NREM」の中でも、彼自身が持つ良好な関係を構築したいという方向性はしっかり描写されています。そして、きちんと向き合うということは樋口円香という人間を尊重するということであり、円香の意思や情熱、彼女が抱えている問題といった多くの情報を知らないとできないことなのです。「相手を尊重する」とは簡単に言えますが、非常に難しい行為であるといえます。
適度な距離を保ったまま、しかし尊重するために相手のことを理解していく。そのバランス感覚から「好かれたいとは言わないが、せめてきちんと向き合いたい」という言葉が出てきているのです。
今までずっと描かれてきた「樋口円香を理解する、そのために何を行うべきか」がシャニPにとっての最重要課題であるということ、そして今回のコミュもその延長線上にあるということが読み取れるでしょう。
シンプルな結論に至るために、だいぶ入り組んで分かりにくい説明をしてしまいました。ここで一度、簡単にまとめておきましょう。
「理解」2.1:「WEEKDAY」1――「勘違い」という罪
次に「WEEKDAY」。ここでは「勘違い」という言葉を通して「理解」について触れられます。この章では円香の視点こそ入りますが、大事なことの根本は「NREM」の章で書いたことと大差はありません。見ていきましょう。
全部載せると非常に量が多くなってしまうので一部省きますが、コミュ冒頭だけではなく、全選択肢において、選択後に「勘違いしそうになる」という言葉が発されます。
中高の国語の授業で死ぬほど聞いた、繰り返されるワードには要注意というやつです。それだけ重要であり、このコミュで伝えたいことが託されているからこそ、繰り返されているのです。
そして、このコミュにおいて一貫して「勘違い」はネガティブなものとして書かれています。まあ元々ポジティブな言葉ではないのですが、普通に使われるよりもより重く、より悪として書かれているということです。
それは何故か。勘違いという言葉が理解とは反対の――「NREM」の章でも書いた「相手のことをわかっていない」状態を表す――言葉だからです。勘違いというのは「相手がこういう人間である」という考えの押し付けであり、傲慢なのです。言ってしまえば、この傲慢は人間同士が関わりあう以上常に付きまとう問題であり、誰もがこの傲慢を多かれ少なかれある程度は飲み込み、許容して生きています。
……ですが、その傲慢を我慢することができない人間もいます。言わずもがな、樋口円香はそのタイプです。
例に出したこの発言は、要は「私の気持ちをお前が勝手に決めるな」という忠告です。過去のコミュにおいても、円香はシャニPの「勘違い」――自分の気持ちを勝手に決めつけるシャニPの傲慢――を強く非難しています。
円香がシャニPの「勘違い」を嫌悪していることは分かりました。ここでもう一歩進め、円香にとって「勘違い」という罪の軽重を決めるのは何かということを考えてみたいと思います。
この【ギンコ・ビローバ】「信」は、女子高生の噂話(円香に対するちょっとした悪口)を発端とするコミュです。女子高生の噂話も、円香のことを何ら理解していない「勘違い」であることは明白です。
シャニPが言う通り、「あの子たちは円香のことを何も知らない」わけですから。
しかし、円香は彼女たちの噂話を「気にするだけ無駄」と平然としています。もちろん愉快なものではないでしょうが、割り切ることが出来ています。それなのに、円香はシャニPの勘違いをスルーできませんでした。
女子高生の「勘違い」の罪は比較的軽く、シャニPの「勘違い」の罪は重いのです。
このシーンの解釈の説明は過去記事まとめの部分に書いていますが、再度引用しましょう。
……この結論はシャニP側の理屈から作った結論です。ここまでで読み取ってきた円香側の思考を合わせ、もう少しこの結論を深めてみましょう。
まず、「勘違い」の罪の軽重を決めるものは何か、という疑問がありました。結論から言うと「相手のことを理解したいと思う気持ち/相手のことを尊重したいと思う誠実さ(これらがあるほど罪が重くなる)」と答えられるでしょう。
皆さんにもあるんじゃないでしょうか。「善意で傷つけてしまった/傷つけられた時のほうが、悪意にさらされた時よりも感情の行き場がなくて困る」とか「自分のことを何も知らない人から偏見を言われても気にならないが、親から見当違いのことを言われるとショック」とか。
例えば、円香とシャニPの初対面の時のことを考えてみます。この時、シャニPは円香にとって明確な敵であり、悪とすら呼べる存在でした。本当にシャニPや事務所が悪どい存在であったのなら、それが透を連れて逃げる理由になるので、円香は楽だったでしょう。
ですが、実際はそうじゃなかった――勘違いだったのです。もちろん業界には問題も少なからずありましたが、シャニPは善人で、事務所も決して悪い場所ではありませんでした。
善意から出た攻撃性が、善たる存在(シャニP)にぶつけられた結果生まれる、なんとも割り切れない空間。透を守るという善意から起こった敵意は行き場なく蟠り、円香は今も割り切れない感情を抱えることになりました。
この「割り切れない」気持ちを抱えるということが、円香にとって大きい苦痛となりうるのです。割り切れないという言葉を言い換えるのであれば、そうですね、「すっきりしない」とか「濁った」とか。
とにかく。シャニPが円香に対して誠実に(善意で)接し、理解を深めようとすればするほど、シャニPが「勘違い」してしまった時にお互いの胸に残るもやもやとした気持ちは大きくなってしまうのです。
だから、円香としてはシャニPが悪い人であるか、善であるなら円香について何も知らない状態でいる(そして、そのまま行動を起こさないでもらう)方が楽なのです。
LP編「yoru ni」でも同じようなことが書かれているので、見てみましょう。
ここでは、円香がファンの「樋口円香のことを知りたい」という、言ってしまえば傲慢な、しかし悪意のない純粋な欲求に曝されて、ついに限界を迎えてしまっています。
ファンですから、そこに悪意はありません。本当に、好きだから樋口円香という人間についてもっと知りたいと思っていることでしょう。ですが、ステージ上の彼女や彼女がファンに向けて放った言葉、雑誌のインタビューなどの断片的な情報では樋口円香という人間を理解することなど到底不可能です。それこそ、彼らが見ているのは偶像なのですから。
断片的とはいえ、円香の様々な場面における思考そのものや夢の内容まで知ることができている私たちシャニマスユーザー(神視点)ですら、みんな頭を抱えているわけで、作中のファンが彼女のことを理解するなんて絶対に無理なんです。
それでも、作中のファンは円香に関する断片的な情報をつなぎ合わせて彼女について語り、どうして自分が彼女のことを好きなのか、彼女のことをどう考えているのかといったことをSNSに書き込むのでしょう。
それが、「勘違い」であるにも関わらず。
…………この記事の話か?
ごめん。マジでごめん。でも書くね……
このLP編のファンたちには、先程書いた円香を尊重しようという誠実さはそこまでないのかもしれませんが、円香のことを理解したいという欲求の方は極めて大きく強く、鋭い。
そしてその先には仮初の理解――樋口円香という人間はこういう存在だ、という解釈の押し付けという傲慢が待っているのです。その傲慢を、円香は直視することができません。しかしファンたちには悪意がないからこそ、彼女は膨れ上がる感情をどこにぶつけることもできず、爆発してしまうのです。
結構長くなったので、一応まとめておきます。
それが【Merry】冒頭の「あなたはこれ以上、優しくあるべきではない」「勘違いしそうになる」という円香の言葉に含まれている意味の1つだと、私はそのように考えます。
「理解」2.2:「WEEKDAY」2――「どっちも嫌」
また、さっきまとめた理屈を用いることによって「WEEKDAY」におけるこの円香の言葉も説明できるようになります。
なぜ円香は「どっちも嫌」と言ったのか、感覚的に何となく分かっても、説明しろと言われるとなかなか骨が折れるところではないでしょうか。
この疑問に答えるために、まずは「プロデューサーらしいあなた」と「それを放棄したあなた」がそれぞれどういう存在なのかを考えてみましょう。
「プロデューサーらしいあなた」と「それを放棄したあなた」。これを言い換えると「仕事」と「仕事以外」になります。
少し前に書いたことを思い出してください。
……そう。シャニPを「仕事」と「仕事以外」に分けるという考え方には無理があるのです。
前の章ではシャニPだけにスポットを当てて話しましたが、私はそもそも「何かを二つに分ける」という行為自体が大雑把すぎると思うのです。
もちろん、二分するという行為が全く無意味で悪いとは思いません。真っ向からツァラトゥストラに喧嘩を売るほど愚かではありませんとも。ただ、この考え方は取り扱い注意だということを言いたいんです。
シャニPは、プロデューサーの仕事に憧れていました。野球好きなだけのまだ何者でもない少年が野球選手になりたいと思うのと同じように、まだ何者でもなかったシャニPがプロデューサーに憧れていたのです。
何かになりたい/何かをやりたいと思うのは、まだそれになっていない/それに取り掛かっていない時なのです。
つまり「プロデューサーという肩書を放棄したシャニP」の中に「プロデューサーであろうとする意思」が存在している。そう言えるというのは前章でも扱った通りです。
円香は「プロデューサーを放棄している姿」のことを「あなたが絶対にあげられないもの」と表現しています。これはシャニPは円香の前で油断したりできないということを言っているのかもしれませんが、「あなたからプロデューサーという肩書を剥がしても、あなたの根っこはプロデューサーだ」と言っていると捉えることもできそうですね。真実は不明ですが。……さて、「どっちも嫌」なのは何故か。もう分かったかと思います。
「プロデューサーらしい」シャニPを円香が嫌だと思う理由は明確ですね。円香のことを理解しようとして踏み込もうとしてくるからです。今まで散々書いてきたので、特にこれ以上の説明は必要ないと思います。
そして「プロデューサーを放棄している」シャニPもまた同様です。だって「プロデューサーを放棄している」シャニPの中に「プロデューサー(でありたいという意思)」が存在しているわけですから、こちらのシャニPも「プロデューサーらしい」良い人の行動をとってしまうのは自明でしょう。
ごちゃっとしたので、少し単純にまとめます。
どっちのシャニPも結局同じことをやろうとしてしまうのです。
「どっちも嫌」と言うわけです。
「理解」2.3:「WEEKDAY」3――円香が理解するという事
「WEEKDAY」について、まだ解消しなければならない疑問が残っています。
シャニPが「勘違い」することが何故問題になるのかという疑問については「NREM」の章を含む今までの部分で答えました。 しかし、円香の方が「勘違い」することが何故問題になるのか、ということは、完全には説明できていないままなのです。
これを説明するため、3つのキーワードを提示したいと思います。
理解することへの欲求
「正解」志向
誠実さ、優しさ
まずは理解することへの欲求について説明します。
円香はシャニPやファンから(雑に、傲慢に)理解されることを拒んできました。しかし、円香自身は人や物事をよく観察して理解しようとします。
まず1枚目。これは言わずと知れた【UNTITLED】。円香が浅倉透を理解している自分にプライドを持っている様子が描写されているシーンです。
そして2、3枚目。これは円香がシャニPについて分析したり、シャニPの言いたいことを断言し、言い当てるシーンです。
特に大事なのは3枚目。円香はこの画像と同じカードである【ギンコ・ビローバ】の別コミュ「信」において「私の代弁者になろうとしないで」と言ったにも関わらず、彼女はシャニPの言葉を代弁しているのです。
円香がシャニPの真意を尋ねたり、考えを言い当てるシーンは珍しくありません。しかも言い当てる時は、ほぼ確実と言っていいほど当たっています。シャニPがまっすぐで比較的分かりやすい人間であることを差し引いても、本当によくシャニPのことを「理解」していると舌を巻かざるを得ません。
円香は基本的にシャニPについて、勘違いしないのです。
あの出会いから少しの間以外は。
そして4枚目。メイクスタッフに質問をしようとして思いとどまる円香。相手の言葉の真意を知ろうとしています。これは「理解しよう」という動きが透やシャニP以外に対しても行われているシーンの一例です。
当たり前のことを言いますが、問うという行為の目的は、回答を得ることです。答えが欲しくないのに問うということは基本ありません。
円香は何かに問いを投げかけることが非常に多い人物であり、そしてそれは何かを理解したい、知りたいという欲求から立ち現れてくる行動なのです。
ここで上げた例は多くの「円香が誰か/何かを理解しようとしている」シーンの中から適当に選んだごく一部のものであって、全てではありません。
これだけ素材が揃えば、断言しても良さそうですね。円香は理解してこようとする相手は拒むが、相手のことはちゃんと理解しようとする人間であると。
円香も多くの人間と同じように、相手のことを理解したいという欲求を持っているのです。そして、その欲求は時に自分自身や人間以外の事物にも向くことがあるような、強いものです。
複数の場面で描かれているシャニPの言葉を代弁する行為については、円香が「私はこの人のことを理解している」と確かめるための行動であると受け取るのが妥当なところでしょう。
当然、欲求が満たされている状態は安定していますよね。特に、シャニPのようなある意味で警戒対象である存在について把握できている状況というのは、非常に安心できるはずです。
ゲームで例えるなら「わからん殺し」は怖いって話です。知ってれば対処できるので、怖くなくなりますよね。
相手――特にシャニPや透のことを理解しているというのは、円香の心を支える大事な要素なのです。
理解していることが安定に繋がるということは、逆に理解できていないという状態は不安定であり、避けるべき状態だと言えるでしょう。
そして、理解したい(安定状態でいたい)という欲求が強ければ強いほど「勘違い」していた時に受けるダメージは大きくなってしまう。そういう理由で、円香にとっては「勘違い」は大きな問題となるのです。
次は「正解」志向という観点から説明を試みましょう。かなり話が入り組んでしまいますが御容赦を。と、その前に大切なことを書いておきます。
円香が多くの物事に「正解」を求めるということが特に分かりやすいシーンがこの2つです。そしてその正解は世界にたったひとつ。最上、最良を探そうとしているのです。過去記事まとめの章でも書いていることですが、円香は潔癖とも言えるほどの完璧主義者と言えます。
正解を求める人間が忌み嫌うものは間違い(不正解)ということになるでしょう。円香は同じ番組に出演したアイドルが自分を下げることで盛り上げていたことに対して、これは間違いだと思い、間違いを間違いのまま流すこともできませんでした。
アイドルの間違い、嫌だという気持ちを偽ってこれをスルーしようとする円香自身の間違い、そして、この状況を平然と受け入れている皆の間違い。
幾重にも重なった間違いに我慢ができなくなり、彼女はこれらの間違いを修正しようと立ち上がります。しかし、その行動もまた円香にとって「間違い」と言うべきものでした。
番組の進め方としては間違い、ということは「アイドルとしては間違い」と言い換えられます。
「アイドルの正解」を立てれば「樋口円香の正解(仮)」が立たず、後者を立てれば前者が立たず。完全なデッドロック状態だ……ということになります。それでも、どちらかを選ばなければなりません。
どちらかを選ばなければならないということは、上の2つに加え「どちらを選ぶのが正解か」という問題が加わるということを意味します。
正解が、間違いが、命題が、問題が氾濫してきました。
この2つのうち、片方が重要でもう片方が重要でない場合であれば、簡単に正解できます。複数の命題の中から簡単に正解している例がこちら。
ここで透はスポンサーのことを全く考えずに発言しようとしています。もしこの発言がそのまま通っていれば、おそらくMCが拾って面白くしてくれたでしょう。言うなれば「お笑い(盛り上がり)における正解」です。ただ、面白くしてくれるだろうというのは希望的観測で、後で怒られるリスクもあります。そのため、円香は透を遮って「番組進行における正解」となる発言をします。透が出した選択肢に比べるとリスクが少ない方を選んだのです。
ぶっちゃけ、透が食べたいものの話とか放っておいても大丈夫ですよね。透もこれで怒るわけないですから、本当に些細な問題です。それよりも番組進行の方が大事だったのですね。
ですが、円香GRADの状況では話が違いました。少なくとも円香にとっては、どちらも同じくらいに無視できない、重い問題だったのです。
日常生活においても、こういう事例は毎日のように起こります。複数の「正解」が同時に表れて、「正解」同士で潰し合う。正義の敵は別の正義とよく言われますね。そういうことです。だから、大抵の人は及第点を探して折り合いをつけるのです。部分点制度を採用するのです。
シャニPは「正解は無い」と言います。ここで言う正解とは「完全」とか「完璧」という意味のそれでしょう。それでも円香は完璧を捨てられません。彼女の「正解」志向は、樋口円香の核心に近い所に根付いている「激情」と同類のものだからです(【ピトス・エルピス】を参照ください)。
それに、これは読解ではなく、あくまで私の言葉ですが……
世界に無数の正解が溢れているなら「(その場にある)無数の正解の中での立ち回りにおける正解」というのも、きっと存在するはずだと。それはもはや、天才数学者でも解けない程に難しい選択問題でしょう。何でしたっけ、リーマン予想? そんな感じ(適当)。それかラプラスの悪魔。
ともかく。「正解」がある以上、それを選ぶのがどれほど難しいことだとしても、円香はそれに近づかずにはいられないのです。
もうそういう癖なのだから仕方ない。
円香は考え続け、問い続けます。
私は、問うという行為について「理解することへの欲求」の項目でこのように書きました。問うという行為の目的は、回答を得ることであると。
以上の場面での問いは「代入」に近い行為と共に行われていると言えるでしょう。式にしてみるとこんな感じです。
円香は、無数にある言葉の変数に無数にある言葉を代入して正解を探っていきます。実に地道で骨の折れる作業ですが、それでも逃げずに考え続けるのは、ひとえに彼女の誠実さ、優しさによるのでしょう。
と、まあ円香の「正解」志向についての詳しい話はこんなところで。シャニPと円香の関係に話を戻しましょう。円香が「勘違い」するのが何故問題になるのか、という話でしたね。
答えはシンプル。
「勘違い」とは相手のことを理解できていない状態なわけですが、今まで述べてきた正解志向という点から見ると「勘違い」とはすなわち「間違い」です。間違っている状態は正解志向の強い円香にとっては苦なのです。
ここで一度、正解することで理解は深まり、理解することでさらに正解できるようになるという循環に目を向けてみましょう。相手の事を理解していればしている程、正解しやすくなるというと当たり前でしょうが、大事です。
例えば、誰かとどこかに外食に行くというシチュエーションを考えてみましょう。相手のことを知らなければ、店の候補は無限にあります。しかし、一緒に外食に行く相手が、魚を食べられない人だと知っていた場合は?
寿司や海鮮丼の店を選択するのは「間違い」だとして、候補から消すのが普通ですよね。相手を理解するということは特定の場面において「正解」するために必要な数値を手に入れるということなのです。
WING編のシーンをいくつか抜粋してきました。GRADの自問とは役割が異なる、外(シャニP)に向けられた問いの数々。これらの問いの役割は、シャニPという人間を理解するための情報を集めることですね。
円香はこれらの問いに対するシャニPの返答から「シャニPはこういう時にこういう事を言う/考えている人物だ」という情報を入手しているんですね。
そして、得られた情報を適切に使うことで、円香は自信を持ってシャニPの考えを先読みし、言い当てる――「正解」するわけです。それが「理解することへの欲求」で書いたように安心につながっていく。
一方、「二酸化炭素濃度の話」や「心臓を握る」における円香の問いは、円香自身が正解するための情報収集というよりも「理解できない事がある不安を解消したい」という欲求を達成するためという意味の比重が大きいです。特に「心臓を握る」の問いでは、円香がどうこうではなく、シャニPが正解すること(誠実に、かつ適切に答えること)が求められています。
果たして、この「的外れ」なプロデューサーの言葉は正解だったのか「勘違い」でしかないのか。まあ表情をみて想像するしかないわけですけれども。
「正解」とは、本当に複雑で面倒なこだわりで、難しく……しかし、だからこそ人を惹き付けるのかもしれません。
また話が脱線していってないか? まあいいか。次に行こう次。
最後は円香が持つ優しさ、誠実さという観点から説明を試みましょう。
さて。……敢えて触れませんでしたが、今までの内容を読んでこのように思った人も少なくないのではないでしょうか。
自分のことを理解しようとする存在に対して忌避感を表しながら、相手のことを理解しようとする円香は、あまりにも傲慢なのではないかと。
一面的には、その通りです。
円香の欲求は、円香自身が嫌悪すべきところへ円香を誘導する類のものです。ただ、円香は無自覚に傲慢であるのではありません。円香は聡明ですから(流石にここにNOを突きつける人は少ないと思います)、自分自身の傲慢を自覚し、しっかり向き合っています。
……正確には、向き合わざるを得ないと言うべきでしょうか。
この手の人間にとって、他人の傲慢は感じながらも目を背けることができても、自分自身の内にあるそれは、目を閉じてもなお目を背けることができないものですから。
では、自らの傲慢と正面から向かい合うために、円香はどうするのか。
言葉に誠実であるように心がけるというのが一つの答えではあります。自分の言動のひとつひとつをチェックし、反省し、正解を探す。正解しているという状態であれば、解釈の押しつけという傲慢は発生していませんからね。
この説明を読んで「ん?」と思った人もいるかもしれません。そうですね。これは少し足りない回答です。ですが、今はこのまま先に進みます。後の章で、この疑問に改めて触れるのでお待ち下さい。
さて。ここで誠実さという言葉が「正解」とつながった時点で、円香の方が「勘違い」することが何故問題になるのかという疑問には答えられたも同然ですね。円香は、自分自身が可能な限り(自分が嫌っている)傲慢に身を置かないために、自分やシャニPの言動に誠実に向き合うのです。「勘違い」しているということは、自分自身が傲慢に身を置いている状態ですから、そりゃ問題になります。
これを念頭においた上で、以下のシーンたちを見てみましょう。
はい。円香最大の傲慢であり、やらかしです。
正直、シャニPと事務所に対する勘違いよりも圧倒的にキツいシーンだと思います。シャニPとの初対面においては、理由があったので一応は正当化できるんです。ただ、このアイドルに対しては……。
円香自身が自分の言動に誠実であるからこそ、「カメラ・レンズに笑う」における自分の言葉やそこで踊っていたアイドルのことを覚えていて、「二酸化炭素濃度の話」でダメージを受けるのです(普通、その辺で見たアイドルに吐き捨てた言葉なんて覚えていませんし、顔だって忘れるでしょう)。
そして、言葉に誠実であろうとすればするほど、何かを言うことに対して慎重にならざるを得なくなります。究極的には、何も言わないことが最も誠実であるとすら言えるかもしれません。
しかし。既に述べたように、円香GRADのような場合、黙っていることすら(ある観点から見たら)不正解――それも、円香にとっては極めて重大な――になってしまったりする。困ったものです。
また、この誠実さは「責任感(責任を取る)」と言い換えることもできます。自身の言動から目を背けず、過ちは過ちとして認めるというのは、自身の言葉に責任を取るということでもあるからです。
三方向から円香と「勘違い」について考えてきました。
円香にとっても「勘違い」することは問題であり、苦痛を伴うということはかなり確実なこととして言えるでしょう。
「HOLIDAY」―――対比構造の確認、オンとオフ
「HOLIDAY」には、理解という概念そのものにかかわる新しい要素はあまり出てきません。コミュの見どころの1つはシャニPが「勘違い」して円香を助けようとするところですが……まあ今まで書いたことで考えられるので、説明は省きましょう。
では何故このコミュを取り上げるのか。それは「WEEKDAY」とこのコミュの関係性を把握しておきたいからです。
「平日」と「休日(祝日)」。ここに対比構造があることは明白で、2つのコミュの間には非常に密接な関係があることもまた同様です。では、これらのコミュはどのように響きあっているのでしょうか。
重要になってくるのはこの記事における「WEEKDAY」2章の記述です。コミュ間の対比構造を把握することで、その部分で書いたことをより一層深く考えることができるようになります。
あの章で書いたことを改めて簡単にまとめます。何度も書いて申し訳ないとも思いますが、とにかく大事なことなので強調しておきたいのです。
さて、「WEEKDAY」「HOLIDAY」がそれぞれ、比喩表現としてどういった意味を持つのかを記述すると、このようになります。
対比の中で「仕事」と「仕事以外」が分かれてしまいました。
ですが、これはあくまで形式上のもの。「仕事」と「仕事以外」がシームレスに繋がっているという見方はそのままに、読み進めていきましょう。
帰り道からはオフであり、自由の時。プロデューサーの方はこれから一旦事務所に戻るのか、帰宅するのか分かりませんが……まあグレーということにしておきましょう。
その後、円香は青年に話しかけられます。その様子を見かけたシャニPは円香がナンパされていると勘違いし、2人の間に割って入る。
プロデューサーは「職務上、看過できない」と言っていますが、プロデューサーという職務にアイドルのプライベート(=オフ)への干渉はどこまで含まれているのでしょうか。
プライベートへの干渉はほとんど必要ない、というかできる限り避けるべきでしょう。仕事に差し障るような不健康な食生活はしないよう忠告するとか、精々がその程度。
今回のシャニPの行為は、「職務上」のことと言いながらも、その実質は「プロデューサーではないシャニP」によるものなのです。
彼自身が、クリスマスくらいは円香を休ませてあげたいと願ったのです。ただ、前に述べた通り彼は樋口円香の前ではプロデューサーでなくてはならないので、一応はプロデューサーとして振る舞います。
しかし、「職務上、看過できない」と言った次の瞬間には仕事として必要なファンサを放棄させる発言をするという手のひら返し。円香の言うように論理破綻しています。ボロを出すのが早すぎる。
「自分はプロデューサーである」という論理が破綻したシャニPは、新たに「お節介な家庭教師」という論理・肩書きを身にまといます。
論理が破綻したことで、彼はもはや「プロデューサーではないシャニP」でしかないのですが、彼はそれでも、少しでも頼れる「プロデューサー」に近い存在であろうとしたのです。
家庭教師として家まで送る、というのはどのように捉えれば良い言葉でしょうか。シンプルなようで、これまた面倒くさい言葉です。
円香を気遣って休みの日に彼女がこれ以上束縛されることがないように、と望んでいるのは「プロデューサーではないシャニP」でしたね。
自身のその望みを叶えるために、彼は円香を家まで送っていきたい。しかし「プロデューサーではないシャニP」では家まで送る理由(また、円香が受け入れる理由)がありません。
事務所や家まで送るという行為は今までプロデューサーの仕事の一部として書かれてきました。逆に、プロデューサーという肩書を持っている状態であれば、それが家まで送る口実になる。しかしプロデューサーという肩書は奪われてしまっています。そこで、シャニPは「家庭教師」という肩書で、プロデューサー的な仕事を行おうとした……というわけです。
(そして、円香もロールプレイ的な形でシャニPに応じる。ただし、円香の中で円香が何の役を演じているのかは明かされない)
この部分は「プロデューサー(という肩書)を放棄したシャニP」の中に「プロデューサーであろうとする意思」が存在していることがよく表れている場面であると言えます。
少し早いですがTRUEコミュを先取りしてみましょう。
全部が全部『仕事として』じゃない
…………。
とりあえずこの章を終わらせちゃいましょう。
シャニP自身の、自身に対する「身の丈に合わないところまで精一杯/『プロデューサー』でありたい」という願い。それもアイドルたちの願いと同じくらい大事にしていってほしいですね!
まとめが1番大事なはずなのに、そのまとめが最も雑なのは許してくれ。
「REM」――比喩と対比構造の確認、感情と理性
さて、ようやっと4つ目のコミュです。しかし、コミュと「理解」との関わりという本題について考える前にやっておかなければならないことがあります。このコミュが「NREM」とどう関係しているのか説明することです。
「NREM」はノンレム睡眠、「REM」はレム睡眠のことですね。前者ではシャニPが、後者では円香が夢を見ているのでこの解釈で間違いないでしょう。では、このタイトルの意味は? 何を象徴しているのでしょうか? そして、2つのコミュはどのように対応しているのでしょうか?
まずは、適当に検索したら出てくる範囲の情報でノンレム睡眠とレム睡眠の違いをまとめてみます。
さて、この情報を比較して考えていくわけですが、その前に。比喩表現について考える時に大事なことを書いておきます。
比喩は例えるものの特徴の一部を抽出することによって成り立つ。
例えば「猫のような人」という比喩表現を考えてみましょう。この表現が意味するところは、大方「自由」「気まま」「媚びない」という性格や、状況によってはすばしっこい動きです。「猫のような人」という表現を耳にした時に、猫の食事シーン、猫の生殖、猫と人間の関わりの歴史……etcといったことを連想することはあまりないと思います。
このように今回も、ノンレム睡眠とレム睡眠の特徴から、解釈に必要な要素と不要な要素を分けて考えなくてはならないのです。
さて。「NREM」においてシャニPは夢の内容を覚えていました。つまり「夢を覚えているかどうか」はコミュで書きたいこととは関係がない。
次に、体温と血圧ですが、これもそこまで気にしなくて良さそうですね。直感的に。一旦放置しましょう。眠りの深さについても、それ自体が直接関係してくるとは考えにくいですね。外しましょう。
単純な夢かどうか、というのは判断に困るので放置。
「単純」とか「複雑」とか言われても、その言葉自体が抽象的だからね!「単純」って言葉そのものが複雑だと思う。そういうの良くないと思う。
……と、残っている有力候補は目覚めの良し悪しですね。
シャニPは悪夢と呼ぶべき夢を見ていましたし、台詞回しを見ても間違いなく目覚めが悪い部類に入るでしょう。円香の方はどうでしょうか。
シャニPは悪夢を見て、寝覚めが悪くなっているのですから、対比関係が成り立つためには、円香が見ているのはいい夢で、目覚めは良くなくてはならないですよね。
画像だけでは伝えられない部分なのですが、「REM」では目覚ましの音と同時に、瞬間的に背景が天井に切り替わります。円香が一気に覚醒したのは間違いありません。悪夢を見て飛び起きるというのも急な覚醒ですね。ただ、そういう場合は大抵呼吸が浅く、荒くなったりする描写が挟まるものです。
円香は「ぅぐおああああぁ……」の前に息を(多分)吸っていますが、その呼吸は深く、乱れてもいません。こう見ると悪夢ではなさそうな気がしてきますね。
しかし、円香は「嫌な夢を見る」と言っています。
ただ、そもそもの話、円香の夢を覗くことができたユーザーのほとんどは、彼女が見ていた夢は非常に甘美で、いい夢だと思ったはずです。何故これが「嫌な夢」になるのでしょうか。
下の画像が、この問題について考えるヒントになります。
ここでも「最悪」と言っていますが、これ信頼度12なんですよねえ。
ここまで来た円香は、シャニPにいつも通りきつく当たりながらもシャニPの善性を疑うことはできない……要は文字通り信頼度がMAXの状態にあります。そんな状態で見るあの夢を悪夢と表現するのは、やはり見当違いでしょう。「嫌な夢」と言うのは別の理由があると考えたほうが自然です。
恐らく、円香はこの夢をいい夢だと(感情的には)捉えており、しかしいい夢だと思ってしまった自分自身の感情に対して(理性的に)嫌気が差しているといったところでしょうか。
感情的な円香を、冷めた目で見る理性的な円香。後者からすれば恥ずかしいことこの上ない。嫌な思いをする夢でしょう。
このように考えれば(一面的には)円香が見ているのはいい夢であり、対比が成立します。いい夢を見ている……安心しているということは、体はリラックスするでしょう。リラックスしながらも、円香の夢は傍から見ていても「ドキドキする展開」と言って差し支えなかったので、じんわりと心拍数や体温の上昇はありそうです。
やはり、比喩の起点は目覚めの良し悪しと考えるのが良さそうです。
端的にまとめると、円香を知ろうとし続けて悪夢を見たシャニPと、シャニPを知ろうとし続けていい夢を見た円香という対比ということになります。
また、「NREM」と「REM」にはタイトル的な対比以外にも、内容的な対比が行われています。
「NREM」において、円香はシャニPの夢の中で自身が「アイドル」ではなくなった時を想定して「そうなったら、ようやく――あなたの顔を見なくて済む?/あなたと他人になれる?/あなたとさよならできる?」と語りかけてきます。ここでの円香はまだ「アイドル」であり、シャニPに相対している状態ですから、(オフに対して言うなら)オンの円香です。
一方「REM」では家のベッドで寝ている、つまりオフの「アイドルではない円香」がシャニPの夢を見ています。これが対比です。もはや円香の中にはシャニPの存在(また、アイドルという活動をしている自分)が奥深くまで食い込んでしまっており、オフであってもシャニPと「さよなら」できていないのです。
例えば、引退することで「アイドル」でなくなることはできます。しかし、過去は変えられない以上「アイドルではない円香」にも「アイドルだった人」という属性がついてしまいます。この属性からは、死んでなお逃げられません。
現に「REM」で円香がシャニPのことを夢に見ているように、アイドルを引退してシャニPとの関わりが薄くなったとしても、円香は定期的にシャニPやノクチルのことを夢に見てしまう可能性が高いのでしょう。
「NREM」におけるシャニPの夢で円香が語ったあの言葉は、物理的な接触という意味では実現できても、精神的な意味ではどうあっても実現し得ないことだったということですね。これに関しては夢と現実の対比、と表現するのが妥当でしょうか。
対比はまだあります。
「プロデューサー」であるということを決して手放そうとしないシャニP――「NREM」においては油断への自戒として表現される――に対して、円香の夢には「この時間だけはプロデューサーをやめる」と発言するシャニPが登場しているのも対比でしょう(夢と現実の対比の一部でもあります)。
何度も書いてきたように、シャニPから「プロデューサー」を完全に引き剥がすことは不可能ですから、これも現実には起こり得ないやり取りだということになります。円香が夢想した「本当の俺」はシャニPの実態とは異なっているのです。そして円香(の理性)は、ちゃんとそれを理解しています。
「ないないないない」というのは、理性的な円香の判断。
夢は感情的、感傷的な円香の幻想。
理性的な円香が「勘違い」しないようにブレーキをかけている構図です。つまり、この部分は夢と現実の対比の一部でありながら、感情と理性の対比にもなっているわけです。
さて、夢と現実、感情と理性の対比について理解したところで、2人の夢と現実への向き合い方に関して面白いものを見つけたので紹介しておきます。
「夢は現実の投影だとか言うけど」
「この夢はフィクション 現実とは一切関係ありません」
こういうところも反対なんですね、この2人。
相容れないように見える、シャニPと円香の夢へのスタンス。円香の方が冷静に夢と現実を分けて考えていて、正しいように見えます。しかし、実はシャニPの考えも決して間違ってはいません。
夢は「現実そのものの投影」とは言い難いかもしれませんが、間違いなく「その人が見ている現実の投影」の一部ではあります。個々人が見る現実は主観によって捻じ曲げられているため、ありのままの現実ではありません。同じ物事に対しても、人によって捉え方は変わるものです。
円香は「自分の主観によって捉えた世界は必ずしもありのままの現実ではない」というような価値観を持ち、一歩引いて思考する。そして、触れることが難しいと理解しながらも、それでもありのままの現実に近付こうという意思を持つ、そういう人間なのです。
シャニPも主観の世界と現実の差は理解している人間ではありますが、それでもなお主観を押し通し、踏み込むことが多い印象ですね。
このスタンスの違いについては後々触れるかもしれません。
この章の内容をまとめましょう。
「理解」3:「REM」――相互理解と円香の望み
前の章で書いたことを踏まえつつ、このコミュと「理解」の繋がりについて考えていきます。「REM」において理解という要素に最も関係しているのは、冒頭のシーンでしょう。
「WEEKDAY」冒頭でも2人のやり取りがありますが、そこでは円香が婉曲的な表現を使っていました。また、あの章では「勘違い」への注目に重きを置きましたね。一方で、「REM」冒頭は非常に直接的でシンプルです。
わかったか、わからないか。
シンプルに「理解」の話です。
ただ「理解の話」では大雑把すぎますね。これまでも「理解」について「シャニPが理解すること」「円香が理解すること」といったように(ある程度、ではありますが)細分化して考えてきました。「REM」についても同様に、「理解」の一側面からアプローチしていきたいところです。
そこでこの章では「お互いに」という言葉に注目し「理解しあうということ」という観点から円香と「理解」について考えていくことにします。会話から、2人とも相手のことを理解できているとは思っていない事は明らかですが……
と、このあたりで「そもそも他人のことを理解することなんて可能なのか」ということが気になってきました。
なお、これから言う「理解」はその個人の全て、100%を理解するという意味では捉えません。その人の根幹を過不足なく知るくらいの意味合いで捉えたいと思います。
……と、少しばかり「理解」へのハードルを下げたところで、これでもまだ不可能であると答えるのが一般的だと思います。先程も書いたように、人が見る世界は主観によって歪んでいますし、心の根幹というのは雑に触れられたくないところですから、そもそも見ることも難しい。
しかし。
そうですね。「他人を理解するなんて不可能である」なんて言ってしまったら、円香を否定することになってしまいます。もちろん、透の発想や不意の言葉に面食らったりする場面はありますが、円香にとって「浅倉透の根幹にあるものを知っている」というのは譲れないアイデンティティです。
円香自身、透という成功体験がある以上不可能だなんて言えないはずです。つまり、円香は「人同士が理解しあう(一方的に理解する)ことは不可能ではない」と考えているはずなのです。
無論、理解することがどれほど難しく、薄い可能性であるかも身にしみて理解しているでしょう。幼なじみのメンバーである小糸や雛菜ですら透を理解しきれていないのですから、その難しさは推して知るべし。
それでも、砂漠の中から一粒の砂を見つけるような確率であろうと不可能ではないからこそ、彼女は問いかけるのです。「何かわかった?」と。
人が人を理解することは不可能であると考えるのであれば、問う必要も意味もないんですから。
まあ、この時点で「わかった」なんて言っちゃう奴はとんだ勘違い野郎なのですが。……と、こうやって透との関係や「何かわかった?」という言葉に見られる価値観、この記事の今までの記述の一部を照らし合わせると、ぼんやりと円香の理想が浮かび上がってきます。
円香にとって理想的な関係は「わかりあっている」状態なのではないかと。
いやいや待て、「円香が相手を理解している」状態が理想的というのは分かる。でも円香が自分のことを理解しようとする行為を拒んでいる以上、円香が相互理解を望んでいるというのはおかしな解釈ではないか?
そう思う方も多いでしょう。その疑問と向き合うため、「WEEKDAY」の3章で敢えて放置した問題をここで取り上げます。
私は、あの章でこのような疑問を投げかけました。
そしてその後、(要約すると)このように記述を進めました。
そうですね。
円香が「勘違い」してなきゃええやろ、となかば逆ギレ気味に論点をずらしているんです。円香が相手を理解したいという欲求を持つのは円香の中で矛盾するようなことではないと説明しただけで、「自分は理解されたくないのに相手を理解したいという欲求をもつのは身勝手で傲慢ではないか」という指摘そのものに対しては回答しておりません。
詭弁ですねえ! というわけで、今からこの問題を解消しましょう。
この傲慢を解消する方法は2つあります。
1つは「人にやられて嫌なことはしない」精神で、相手のことを理解しないように努めること。もしくは理解しても触れないこと。これは、円香の言動を見る限り、円香には当てはまりませんね。
もう1つは、前提をひっくり返すこと。円香が「理解されたくない」と思っていなければ問題ないわけです。思い出してください。円香が嫌がっていることは何だったでしょうか。
そうです。「勘違い」――解釈の押しつけという形の、誤った理解です。
円香が心に踏み込もうとしてくるシャニPを拒むことからは『踏み込まれて交流が中途半端に増えると「勘違い」される機会が増えるというリスクがあるため、そのリスクを厭っている』ということしか分かりません。
つまり、円香に対する真の理解――「正解」されることが円香にとってどういうことであるか。その点についてはまだ一切触れていないんですね。
円香が「理解されること」に対してどういう感情を抱いているのかは不明であるとなると、次はこれについてきちんと探っていかなければなりません。
比較的新しいコミュの中に「円香が理解されること」について明確に触れている数少ない箇所があるので見てみましょう。
「……あなたは、『ほんとにわかってる人?』」
この言葉は「あなたはそうじゃないでしょ」という意味の皮肉、牽制です。
ここで大切なのは『ほんとにわかってる人』が明らかに好意的な言葉として使われていることです。『ほんとにわかってる人』が良いものでなければ、それを否定することがシャニPに対する攻撃にならないですから。
言うまでもなく『(円香が)ほんとにわかってる』のサンプル1号は浅倉透であって、透は円香にとってかけがえない存在です。透と同等のものであるという点からも円香は『ほんとにわかってる』状態を極めて好意的に捉えていると考えるべきなのでしょう。
少々大げさに言えば『ほんとにわかってる人』とは理想……白馬の王子様とか、そういう類の存在ですらあるのかもしれません。
提示したのは円香は「正解」されることにどう思っているのかという問いでしたね。答えは出ました。『ほんとにわかってる人』はもちろん円香の根幹を理解し尽くしている存在なわけですから、円香がこれを好意的に捉えているのであれば、円香は「理解されること」を望んでいる――少なくとも、本当に理解してくれる人がいるなら拒まないといって差し支えないでしょう。
では、シャニPが円香を理解しようとする行為を円香が拒むのは何故でしょうか。上に書いた理由以外にも、まだ理由がありそうです。
これについては、理性的な円香の思考に目を向ければ理解できるかと思います。円香は極めてリアリスティックな思考を有した人間です。その思考からすれば、2人の他人同士が理解しあうという事象は「ごく僅かだけどありうる可能性」ではなく「ごく僅かしか無いのだから無視すべき可能性」になります。
ごく僅かな可能性を信じて失敗してもノーダメージならまだ良いですが、失敗すれば嫌いな「勘違い」が量産されます。特にシャニPのような誠実な人間からの「勘違い」は深い傷になりうるわけで、合理的に考えれば手を伸ばす理由はありません。辛い思いをするくらいなら希望を持たないほうが楽ですから、円香はその理性で、自分の中にいる夢見がちな少女を殺そうとするのです。既に出てきた言葉で言い表すなら、夢と現実の対比でしょうか。
しかしそれでも、どうしても僅かな可能性に手を伸ばしたいと思う欲求を止めきることはできておらず……というのが今の樋口円香なわけです。
円香は理解したい。
円香は理解されたい。
それは難しいことで、恐ろしく嫌なことでもある。
だから基本的に自信がある時にしか相手のことを語らない。
だから自信がないときは「知らないけど」の保険をつける。
だから伸ばされる手を拒む。
それでも、理想はそこにある。
そして結局、理想を捨てきることは(少なくとも現状は)できない。
円香は理解したい。
円香は理解されたい。
仮定は多いですが、これで円香にとっての理想的な関係は「わかりあっている」状態なのではないか、という考えについて最低限の説明はできたかと思います。
で、ここはどう捉えればいいの?
誰もが一瞬は「お、恋かな?」「告白か?」とか思ったであろうこのシーン。しかし、ここまで書いてきたことと以下のTRUEの描写から、そう捉えるのは不自然だと考えられます。
(まあ、円香からの好意が表れているシーンでもあるし、シャニPが伝えようとしているのも好意ではあるのですが)
ここ、明確な対比ですね。TRUEのシャニPは現実の存在であって、夢のシャニPとは別ですから、両者は逆のことを言ったと考えた方が妥当で、綺麗な対比構造になります。
夢の中のシャニPを『ほんとにわかってる人』とするならば、続くべきだった言葉は「円香のことをわかってやれる/わかっている」あたりでしょう。
円香が「本当の理解」を求めているなら、それは非常に甘美な言葉として聞こえるはずです。それこそ「愛の告白」レベルです。
「勘違い」している人から同じことを言われても不快なだけでしょうけど。
現実世界のシャニPは、少なくとも今のところは『ほんとにわかってる人』に到達していないので、TRUEのこの発言は正解ですね。
次は、円香が求める「本当の理解」の性質について考えていきます。
「浅倉に?」
「でなければ、幼馴染のアイドルユニットに?」
ここから『ほんとにわかってる人』発言に繋がるわけですから、大事なポイントですね。ここで円香が言いたいのは、浅倉透だけを通したノクチルでも「幼なじみのアイドルユニット」でもなく『ノクチル』というたった1つのありのまま――『ほんと』――を見ろということでしょう。
これは円香から透への理解のように、UNTITLEDな(肩書のない、そういったものを通り越した)理解が求められていると言い換えられるでしょう。
「私は誰にも縛られない」
ここからは相手の理解によって円香が束縛されてはならないということが読み取れます。
冬優子や愛依はファンからの「この子はこういう人」という理解に沿う形で自分を表現しています。彼女らは納得し、望んでそう振る舞っていますが、そういう在り方は円香にとっては苦痛なのです。というか、自分を偽るのは苦痛だって人の方が多いと思うんですよね。そう考えるとストレイが凄い。
例えば、「WEEKDAY」3章で述べた「アイドルとしての正解」とは、「樋口円香はアイドルとしての行動(正常な番組進行)を全うする」という理解(約束事)による束縛の産物です。その理解によって円香は厳しい2択を迫られることになってしまいました。
また、サポートSSR【射陽】における円香を見ると、理解による束縛を嫌うという円香の性格がさらによく分かります。ここで円香は小学生である果穂相手に、あらかじめ「あなたが思うような『優しいお姉さん』としての振る舞いはしない」ことを丁寧に説明します。
『優しいお姉さん』という理解に束縛されると、そういう接し方ができない事が悪い事として認識されてしまうので、そうならないように手を打っているわけです。懇切丁寧に説明している点で誠実ではあるのですが、小学生相手にこれだけ先手を打つのは怖いよ。最終的に仲良くなれてるしいいけど。
美的センスからも「理解」について考えてみましょう。
円香にとって美しいものは、「透明」な目に見えないものです。
「理解」も恐らく「透明」でなくてはならないでしょう。理解が「透明」とはどういう事かというと、「言葉を介する必要がない」ということであると同時に、肩書のヴェールに惑わされないUNTITLEDな見方があるということだと思われます。あくまでこの辺は推測多めですが。
言葉は文字に起こせますから、一応は「目に見えるもの」です。それがなくなるのが「透明」なのではないかと。お互いに知っていることならわざわざ言葉にして説明する必要もないわけですから(あえて今さら言うまでもないことを言葉にする、というコミュニケーションもありますが、あくまで円香の理想的にはどうなのだろうという話なのでそのあたりは置いておきます)。
相互理解の究極は、互いに何も言わない、それでいて通じあっている状態なのです。
少し単純化しすぎているところはありますが、偽りの理解(押し付け)→言葉などを介する表層的な理解→言葉を必要とせず心で通じ合っている理解という段階的な考え方です。円香とシャニPは現在、表層的な理解のあたりをうろうろとしています。最終段階までいくのはとてつもなく難しいですが、努力は続けなければなりません。
もちろん言葉を一切必要としないのは極まりすぎているので、目指すところは最低限のやり取り(それをどの程度とするのかは人の匙加減)で通じ合う関係というのが無難なところではあります。
なお、円香は承認が欲しいわけではありません。理解と承認は全く異なるものです。理解していなくても承認はできますし、理解しているからこそ承認できないこともありますから。
(そのあたりをごっちゃにしないために、一応言及した次第です)
円香は自分のことを「理解」させるために自分をさらけ出すことを良しとしません。言葉を介さない「言うまでもない」理解が理想なわけですから、当然だと言えます。
ただ、言葉を介す関係の段階を飛ばすことはできないので、円香が自分で理想への道を閉ざしているような形になっています。「勘違い」を嫌だと思う気持ちのほうが強いのだと思われます。
また、このシーンからは円香が求める「理解」は量より質なのだろうという推測もできます。質が良くてもそんなに多くは要らないのでしょう。
多すぎても抱えきれないですからね。
そして質が大切であるということは、互いにとって互いの存在が大切であり、尊重しあえる関係性が構築されていなければなりません。それこそ、浅倉透との関係のような。
こんなところでしょうか。円香が求める「理解」の条件をまとめてみます。
「正解」率が100%に極めて近いこと。それが常態化していること(これは大前提であり、そうでなければ以下の条件も意味がない)
UNTITLED(肩書きなどのヴェールを介さない)な理解であること
理解による束縛がないこと
最低限のやり取りで通じ合うこと
承認ではなく、あくまで純粋に理解であること
大事な人間からの理解であること
しかしこう見ると難易度が高い。普通に考えたら無理でしょこれ。
まあ理想ってそういうもんよ。そりゃ理性的な円香も赤信号を出しますわ。
TRUE「GIFT」
さて、ようやくTRUEに辿り着いた訳ですが......ここまでの章で小分けにしてTRUEのシーンを出していたおかげで、書くことは少ないです。
今までの要素も一部おさらいしつつ、雑感も交えながらプレゼントを渡すまでの流れを見ていきたいと思います。
まず、シャニPは仕事として「プロデューサー」でいるわけではなく、「プロデューサー」ではない彼の中に「プロデューサー」であろうとする意思が存在していました。
そして、シャニPは善意の塊でありながらも「勘違い」を繰り返す人間。
タチが悪い男ですよホント。
「騙されたふりをしてあげただけ」というのは、噛み砕けばシャニPの望む、シャニPの理解に合わせてあげているだけということです。
あなたの勘違いを受け入れてあげているだけ、と。
円香の理想とする相互理解とは異なる、しかし間違いとは言い切れない、関係性の新境地が拓けそうで拓けないこの微妙さがもどかしい名シーンです。
「後悔があるってことか? アイドルになったことに……」
「どうなんですかね まだ言語化できない」
言語化できないのは、円香がシャニPの言葉に、自分の心に、自分の言葉に誠実に向き合っているからです。このシャニPの問いには答えを出せないながらも「事務所に行かない気がする」と言い切るのは、後悔とは別の領域の何かがあるのでしょう。
事務所に行かなければ行かなかったで【ハシルウマ】ルートが待っている可能性が極めて高いので完全に詰んでるんですけどね、この子。
まあ、シャニPが迎えに行くということなので安心しましょう。安心できるのは我々ユーザーだけですけど。円香はぐらぐら揺れてますけど。
んでもって「知ってる」らしいですよ。
シャニPが探しに来ることを「知ってる」らしいですよ。ふあ~。
……さて、ここからプレゼントを渡すシーンに入ります。
今回のプレゼントはシャニPからの気持ちの押しつけです。
LP編の「間違いだとしても」を彷彿とさせます。
ここでシャニPは「俺に教えてくれなんて言わない」と発言していますが、これは巧妙な台詞回しですね。あくまで「円香の方から伝えなくてもいい」だけであり「シャニPから理解しようと動く」ことは否定していないのですから。
恐らく円香も承知の上でそれを指摘していないのでしょう。
そして、これは円香にとって理想的な理解の形の条件「言葉を介さない」に一部合致します。
常にではありませんが、シャニPと円香が瞬間的に通じ合うことは過去コミュでもよくありました。そういう時ほど口数が少ない。
このシーンにおいて、2人は一瞬だけ相互理解の領域の端を掠り、そして再びそこから離れていくのでした。
次は宝石箱について、これがどういう意味を持つのか考えていきましょう。箱、宝石箱と言えば【ピトス・エルピス】ですが、今回はできるだけそこに直接触れることなく考えてみたいと思います。
まず、箱とはどういうものか。中に物を入れるための物です。では、箱の中に物を入れるとはどういうことか。中に入れられた物を外界から守るということです。
つまり、この「円香の全てを守れるように」というシャニPの願いが箱という形で反映されていると考えられます。そして、この箱はただの箱ではなく「宝石箱」なのですから、中に入れるべきものは宝石ということになります。
はい。樋口円香はダイヤの原石――宝石です。わざわざ「ダイヤの原石だって」という言葉を回想に含めたのは、そういう意味があったのです。円香は宝石ではありますが、剥き出しの宝石です。外から守る箱が必要なのです。
これによって、大きな比喩が成立しました。
箱=シャニP(の願い)、中に入れられる宝石=円香という比喩です。
円香にとっての箱は1つではなく、時に幼馴染の4人であり、時に自宅(両親)であって……そこにシャニPが加わることになるのでしょう。
「帰るべき巣」と言い換えても良いかもしれません。
これは「天檻」において「陸でいたい」というシャニPの言葉でも表されていました。あのコミュの場合は、ノクチル全員に対しての言葉ではありますが。
「シロウは、私の鞘だったのですね」ならぬ、「あなたが私の箱だったのですね」ということです。2人の出会いはFate。
そして、2人はここでまた相互理解の領域から離れ、日常に戻ります。「帰るべき巣」から飛び立っていくイメージです。
「あなたへのプレゼントは事務所なので 今度適当に探してください」
こうしてシャニPは、円香を理解しようと頑張る日常に(そして円香はシャニPを試し、自分の根幹を隠す日常に)戻っていきます。
『かぐや様は告らせたい』における「四宮の考えを読んで四宮を探せゲームのことか?」状態にも近いですね。円香ならどこにプレゼントを隠すか、円香の考えを読んで探すのだ、シャニP。頑張れ。
そして最後に。こうやって書いてきた私の解釈を見て、いわゆる「Pドル」……恋愛的な要素を思い浮かべた方も、もしかしたらいるかもしれません。しかし私はあまり恋愛とは読み取っていません。
愛はあって恋は無いと言いましょうか。いや、「愛」という言葉すら俗っぽく見せる「理想」――しかし俗ではなく高尚でもない――がそこにあったように思います。
「NREM」の章からここに至るまで、「理解」と円香の繋がりを様々な観点から見てきました。色々な要素に分けて。
これらの要素全て、そこに記事では語り尽くせなかった要素が加わって、全部が混濁しているのが円香の脳内であり、樋口円香という人間です。
人間はそんなに単純ではないですからね。人の心という複雑なことに触れるためには、常に考え続けなくてはなりません。それは忘れないようにしておきましょう。正直、話し尽くせてはいませんが、この辺りにして、まとめに入りたいと思います。
まとめ:やはり彼女の青春アイカツは間違っている。
このまとめの章タイトルはもちろん、かの名作ライトノベル『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』をもじったものです。もともと円香から『俺ガイル』みを感じていた方も多いんじゃないかとは思いますが、そういう部分を改めて言語化しようということでこういうまとめになりました。
『俺ガイル』を読んでないならここから先は飛ばして与太話のおまけコーナーへ行くか、『俺ガイル』を読もうぜ。ちなみに私はというと、実はまだ9巻を読み終えたところです。9巻を読み終えてから続きを読むのが怖くてね。この記事を投稿したら10巻に入ろうと思います。
さて。私が【Merry】と価値観が通じていると感じたのは、小説9巻の名台詞と、その周辺の心情描写からです。9巻では主人公、比企谷八幡の苦悩と願いが書かれています。
「本物」と「ほんと」。比企谷と円香は似たようなことを言っていますね。
では比企谷の言う「本物」とは一体どういう意味なのでしょうか。
このように、比企谷の「本物」も円香の「ほんと」と同じく人が人を理解することに関係する言葉ですが、比企谷の「本物」において大事なのは太字で引用した「醜い自己満足を押し付け合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性」です。
これは円香が理想とする理解とは異なります。円香の透に対する理解は、知りたいという欲求や知ろうとするプロセスなしに「わかっていることが当然で自然」なもの(実際にどこまで真に理解しているかはともかく)であり、それが円香にとっての理想に最も近い在り方だからです(そしてこれが円香における「ほんと」の意味でしょう)。
ここまで、同じ「理解」を問題にする比企谷と円香でも向いている方向は全然違うということを述べました。では私がどこに『俺ガイル』を感じたのかと疑問に感じた方も多いと思います。
私が注目したのは円香ではなく、シャニPの言動です。「GIFT」とLP編「yoru ni」を見てみましょう。まずは「GIFT」から。
この言葉は比企谷の言うような「理解したい」という気持ちの押しつけでこそないけれど、自分の気持ち――「俺の想いを知ってくれ」という押し付けです。
LP編「yoru ni」では比企谷の言葉そのまま「理解したい」という欲求を円香にぶつけています。
つまり、「自己満足を押し付け合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性」に向かおうとしているのは他ならぬシャニPの方です。円香自身からも『俺ガイル』みは感じられますが、それを濃くしているのはシャニPだと言えるでしょう。
と、比企谷の望む「本物」は、シャニPが円香に行った行為に近いところにあるものであり、円香が思い描く理解とは異なったもの――円香の理想よりもはるかに苦しい「酸っぱい葡萄」なのです。
円香はリアリストのように描かれていますが、円香が求める「ほんと」の理解と比企谷やシャニPが向かっている理解の在り方を比べると円香の方が夢想的だと思います。
【ピトス・エルピス】について書いた記事のから大人と子供の対比という表現を持ってくるとしっくり来るかもしれません。対比がそこにあって、比企谷やシャニPが描く理解の方がどちらかといえば「大人」なのです。
比企谷と円香には共通しているところもあります。知っていたいという欲求を持つことです。円香にとって透のことはわかっていて当然であり、そこに知っていたいという欲求はもはや存在していない(そしてそれが理想的な在り方である)というのは既に述べた通りです。しかし、これまでで書いてきたように、円香もその欲求はちゃんと持っています。
比企谷と円香、二人のスタート地点は同じ知っていたいという気持ちだということです。二人は似たような道を辿りながらもある一点で分岐して、全く違う理想に辿り着いています。そして、その分岐点とは言うまでもなく浅倉透――自分が完全に理解できる相手――を得られたかどうかでしょう。
基本的に人はみな「知っていたい」「理解されたい」という欲求を根本に持っています。とはいえ、その欲求は常にある程度は充たされているという人が大半で、よっぽど人間関係で思い悩むような事態にならない限りは重要な問題として取り上げることもあまりないでしょう。
しかし比企谷の場合は「ぼっち」であり、捻くれてしまったがゆえに理解という問題が極めて重要なものとして浮かび上がってきました。孤独によって欲求が充たされないまま思春期を過ごし、こじらせたわけです。
では、円香の内面において理解が重要な問題となるのは何故でしょうか。少なくとも、彼女は友人たちがいて、人付き合いもそれなりに上手いという意味では孤独ではないように見えます。
しかし私は、樋口円香も本質的に孤独を抱えている人物だと思っています。
このように、樋口円香は恵まれた人間であるが故に疎外されることがある人間なのです。これはGRAD編「無能アイドル」との関係にも影響しています。
円香が「孤独」について直接言及したことはありませんが、以下の言葉や、円香のメタ認知の程度を合わせて考えると、それなりに自覚的であろうという推測は大きく外れてはいないのではないでしょうか。
この発言において重要なのは理解というより「共感」の方が近いと思いますが、似たような領域の問題なので取り上げました。共感できなければ理解できないということはありませんが、共感が理解の第一歩になることもまた事実です。そして円香と「無能アイドル」は互いに共感できない存在です。
努力しているとはいえ「できる」側の人間である円香の言葉は「できない」側の人間にはなかなか届かず、軽いものとなってしまいます。自分が相手を理解できていれば、相手が自分を理解してくれていれば、両者の間で交わされる言葉は自ずと重みを持つのですが。
円香の言葉が重みを持って届く相手が少ないということは、円香が理解できる相手が少なく、またなかなか理解されない(不可能ではないが、難しく手間がかかる)ということであり、それはすなわち一種の孤独だと言えます。
この孤独には、透という理想的な「理解」の在り方を知ってしまったせいで人間関係に求めるハードルが上がっているということも影響しているでしょう。また、理解されることを望みながらも潔癖症的な「間違い」への嫌悪から本心をあまり見せないようにしている在り方の影響も大きいと思います。
ともかく、円香は良くも悪くも一般的な人々の輪からは少し外れたところにいて、それに自覚的であるということは間違いないでしょう。
円香は孤独であるがゆえに「理解」の価値を高く設定していて、またその理想も著しく高い。そんな円香に別の方法――「自己満足を押し付け合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性」――からアプローチするのがシャニPである……というのが本記事のまとめになります。
果たして、円香が苦しく傲慢な「本物」を愛せる日は来るのでしょうか。
シャニPが「ほんとにわかってる人」になる日はくるのでしょうか。
これからどう転ぶかは分かりませんが、どちらの可能性もゼロではないのでしょう。【Merry】を読むとそう思えます。少なくとも、円香はたった一瞬とはいえ宝箱という「本物」を拒まずに受け取っているわけですから。
(記事のまとめは実質終わり。ここからちょっと蛇足)
ところで。
『俺ガイル』はラブコメです。ラブコメのタイトルをもじってまとめのタイトルを付けたんだから、ラブについても多少は語らないといけませんね!
私はこれまで円香とシャニPの関係に恋愛を交えて語るのは避けてきました。恋愛に囚われすぎると、コミュの読解という部分では大事なところを見落としやすいと思っているからです。
それでも、そういう風に見たくなってしまうPドル勢もいますよね。
ただ、ここまでこの記事を書いてきた個人的な感情として、シャニPと円香の関係を「安易な恋愛」に落とし込むのは憚られます。
そこで『俺ガイル』の出番です。
アイドルとプロデューサーの関係性って「生徒と教師」に似てね?
『俺ガイル』において私が最も好きな人物、平塚静先生。
シャニPは『俺ガイル』における平塚静のような存在であると捉えると、「ほどよく恋愛の香りが漂う関係」として円香とシャニPを見られるようになるんです。
比企谷と先生の会話の引用をどうぞ。
この「立場やタイミングが違えばあったかも」というバランス!!
これが1番良い。個人的な好みでしかないけど。
でもなんかすごくしっくりくる!
円香とシャニPはずっとほんのりと甘酸っぱくあってほしい~~~~~。
おまけ:雑談「樋口円香に歌って欲しい曲を探す」
今更ながら、これシャニPにとっても円香にとっても呪いになってないか? (絶妙に触れる機会を逃したからここに書く)
それは置いといて。円香に歌ってほしいなと思った曲の話をしよう。皆やるよね、アイドルカバー曲妄想。なお、歌唱難易度などは考慮に入れないものとします。
しばらくシャニマス関連の記事書いてなかった反動でこういうおまけでも文量多くなりそう。
敬称略です。
1.心絵/ロードオブメジャー
2.LOVE SONG/SEKAI NO OWARI
3.オッドダンサー
/seeeeecun feat.suisa,shino
4.ララバイさよなら/米津玄師
5.ゆめうつつ/米津玄師
6.うつつ/ヒトリエ
7.濫觴生命/Orangestar
8.ヒビスクス/スピッツ
9.まいご(となりのトトロより)/井上あずみ
10.Bedtown/king Gnu
11.愛に奇術師/koyori(電ポルP)
12.抜錨/ナナホシ管弦楽団
13.ロックスター/Tele
このあたりにしておきましょうか。
もしここまで読んだ人がいらっしゃるなら、ありがとうございました。
それではまた。
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