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シャニマスのコミュを読む時の基本スタンスの話&【オイサラバエル】の構造の話

※この記事では、途中から【オイサラバエル】樋口円香の内容に踏み込んだ話をします。

 春夏秋冬、「シャニマス考察」の記事は日々増え続けています。賑わっていて良いことですね。実を言うと、自分はほとんど他の記事も読まないし、二次創作も(自分は書くけど)読まないという閉じた人間ですが、少し前にふと思い立って他の人の記事を読んでみたことがありました。
 いくつか読んでみた感想。

「あっこれ、全然スタンス(シナリオを見る時の思考)違うな……」

 別の方の他の記事もいくつか読んでみると、実は私のやり方のほうがアウェーだった可能性が浮上しました。つまり、他の記事の思考がスタンダードになっている人たちが私の記事を読んでいるわけです。
 どうせ記事を出すなら、自分が書いた文章をより理解してもらったほうが嬉しい。そういう訳で、自分の基本的なスタンスを書いた記事を書くことにしました。この記事は他のスタンスの批判ではなく、ただ、私の記事を読む時にはこの記事のことを頭の片隅に置いてもらって、読み終えたら忘れてもらえれば、くらいのお話です。本記事はさっぱりとした短い記事になる予定だから、気楽に読んでもらえれば。

 それと。今回の記事を読んでもらえば、私の過去記事を読むのに役立つかもしれなかったり。


1.時系列は気にしない7割、気にする3割

当然ではあるけれど、そのカードのシナリオはそのカードの中で完結しています。余白があって考えたくなるような部分があっても、そのカードの話なりにスタートがあり、物語がすすみ、オチがついているんです。そこには「他のシナリオを読んでいるとより深く理解できたり楽しめる部分」はあっても、「他のシナリオを読んでいなければ理解できない描写」はほぼない。

その理由は単純で「ゲームを始めたての人がどのSSRを最初に引くか分からないから」です。ゲームを始めたての人は『W.I.N.G.』しかプレイできませんから、「イラストが好き」「この子の見た目が何となく好き」といった理由で選んだカードで別のSSRシナリオを前提とした話を見せられても訳が分からなくなってしまいます。
だからこそ、「そのカードにおいて描きたいアイドルの魅力(一面)」はそのカードの中で描ききっていなければなりません。

例えば、【オイサラバエル】ではLP編で描かれたことと共通することが書かれていますが、【オイサラバエル】でシャニマスを初めた人は『W.I.N.G.』で【オイサラバエル】をプレイすることになります。

その人はLPの知識がなくても十分に楽しめるはずです。【オイサラバエル】のコミュそのものが樋口円香という人間の魅力を伝えていますから。

特定のアイドルを初期から追っていて、公開された順にシナリオを読んでいる人もいるでしょうが、多くの場合はそうじゃありません。偶然引けた順番に読んでいくものです。樋口円香の事が気になって初めた人が【オイサラバエル】を読んでから【ギンコ・ビローバ】を読んでも【カラカラカラ】を読んでも、理解にはなんら影響ないわけです(上の部分とほとんど一緒のことを言っていますが、重要なことなので2回言いましたってやつです)。


・【カラカラカラ】→【オイサラバエル】の順番
「水、風、緑」の描写的にこういうのが好きなのかな→ああ、やっぱりな

・【オイサラバエル】→【カラカラカラ】の順番
TRUEのモノローグ的に、円香が好きなのはこういうものなんだな→ああ、ここでも書かれていたんだな

このように順番が変わって整理のしかたが変わるだけで、根本的な理解そのものはあまり変わらない。

最初から順番に追っているユーザーは、1つめのSSRを1段目、2つめを2段目……と階段をのぼっていくようなイメージで捉えがちだと想いますが、実際のカード群の関係は段差があるものではなく、フラットなもの(一方通行的な関係ではない)なわけです。なお、共通シナリオやイベントは誰でも読めるので「階段的なもの」と捉えてもらって問題ないと思います。

SSRのコミュを「階段的」に捉えてしまうのは「順々に追ってきたユーザー視点」の話でしかないということをお話しました。「視点」という言葉、この前の記事を読んでいただいた方ならピンとくるかもしれません。

まあ自分の記事でも、説明するのが便利なので「順々に追ってきたユーザー視点」を取り入れて、過去のコミュを取り上げて説明することも多いのですが、私の根本にあるのは「そのカードで初めてアイドルに触れた人でも理解できるような、カード内で完結していることの読解」です。あとの細かい解釈や捉え方は「ひとりひとりの円香」として皆さんの中で作ってもらえればいいでしょう。

各カードには「今回はこのアイドルのこういう魅力を伝えたい」というテーマがあります(曖昧な記憶の中の高山Pの言葉)。その「カードのテーマそのもの」を理解するのには、(ある意味では)他のシナリオの情報はノイズになるとすら思っています。

そのカードだけで完結している話をある程度まで抽象化して理解したという土台があり、その土台の解像度をより上げるためのものが「時系列」「過去のコミュを読んでいると分かるエモポイント」だと捉えているのです。

時系列を気にしないというのは、もう少し具体的に言うと「書かれていないことに触れるのは最小限にする」ということでもあります。根本的には、小中高と続けて触れてきた国語と大差ないことしかやっていないわけですね。ですから、考察という言葉を使うのもなんか違うなと思いながらも、なんとなーく周りに合わせて「シャニマス考察」のタグを付けています。

時系列のお話はこんなところで。

2.モチーフや比喩を気にしすぎない

これね、すごく大事だと思ってるんですよね。この話をするにあたって、一つ質問をしてみましょうか。

「あなたは猫のような人だな」という言葉を聞いた時、「猫」が意味するところは何だと考えますか?

大方、「自由」「気まま」「媚びない」とかそんな感じのことを思い浮かべたんじゃないでしょうか。文脈によっては、素早く動いている人間に対して言うこともあるかもしれませんね。ともかく、この比喩の意味を考えるために猫の縄張り争い、猫の生殖、猫と人間の歴史……そういったものを調べようと思う人はまずいないでしょう。

比喩は、例えるものの特徴の一部を抽出することで成り立っているんです。この例えの場合は、猫の自由気ままなところが抽出されていて、他の要素は無視されていますね。そういった理由から、シャニマスのコミュ内に出てくる比喩表現も「ここではどのような部分が抽出されて比喩を成立させているのか」を考えながら読んでいます。

シャニマスのユーザー層は一番多いのが20代、ついで30代と10代が同じくらい(らしい)です。それなら、10代(つまりは中高生)が理解できないほどに難解な話にはなっていないと考えるのが自然でしょう。大事なことは書いてくれているし、直接的ではなかったとしても、最低限答えに至るための素材は散りばめてくれているんです。

シャニマスは「難解な話を作ってくるコンテンツ」ではなく「難解に見せる技術が素晴らしいコンテンツ」なのです(まあ、これはかなり多くの小説とか漫画でも言えてしまうのですけど。大抵は要約すれば数行の文章になりますし)。

また、1で述べた「シャニマスのカードはその中だけで完結している」という原則から、元ネタなどの専門的な知識はあくまでスパイスとして捉え、コミュの根本的なところを説明する際にはあまり取り入れないようにしています。

「お前、専門的な知識とかほとんどないだろ」? それはそう。

さて、私の過去記事には【ギンコ・ビローバ】【ピトス・エルピス】を扱ったものがありますが、ゲーテの「ギンコ・ビローバ」には触れていませんし、「パンドラの箱」の話についてもほとんど深堀りしていません。
既に述べた通り、その必要がなかったからです。

この「専門的な知識を取り入れずに話の概要を理解する」ということを説明するためには、PSSRのカード【凛世花伝】とイベントコミュ「海へでるつもりじゃなかったし」についての話をするのがいいでしょう。

まず【凛世花伝】。先にコミュ全体の話をしておきましょう。【凛世花伝】は要約するなら「感情の起伏があまり見えないけれど、彼女の心は豊かで、注意して見ると様々な表情が表れてくるよ」といった感じでしょうか。随分味気ないと思われるかもしれないですが、要約というのは得てしてそういうものです。

さて、【凛世花伝】の元ネタは世阿弥が書いた能の理論書『風姿花伝』です。そして、各コミュのタイトルも、全て能の用語から取られています。例えば、2つ目のコミュ「くもらす-kumorasu-」はこんな感じ。

をやや下に向けることをクモラス、やや上に向けることをテラスという。能は、素顔のことを「直(ひためん)」と称してと同様に扱うため、素顔の演技でもこれらの用語が用いられる。クモラスは曇ラスであり、悲しみなど心情を抑えた場合に、また、テラスは照ラスであり、喜びなど心が晴れやかな時に用いることが多い。しかし実際の舞台では、単純にクモラステラスだけではない微妙な演技によっての表情に精彩が加えられている

the能ドットコム 能楽用語辞典「クモラス」より

「くもらす-kumorasu-」は文字通り、凛世が悲しい思いをする話です。表情を変えずに感情を隠している凛世を、パッと見表情がわからない能面に例えながらも、能に「クモラス」という感情を表現する技法があるように、凛世にも感情の動きがあるということを示しているわけですね。

とまあ、それっぽく書いてはみましたけれど。
……正直、能の「クモラス」を知らなくたって内容読みゃ分かるよね。大切な要素は「凛世が悲しい思いをしている」「感情が読み取りづらいけど、実際はこころが大きく動いている」ということであって、能についての知識は物語に説得力と深みを持たせる役割でしかないのです。

「クモラス」と内容がリンクしていることに気付けば「はーなるほど!」とはなりますが、内容理解に必須ではないことは以上のとおりです。

例えるなら、シナリオの要約が麺で、これをソースやその他具材である具体的な描写、能に関する事柄と絡めることで「深い物語性があるコミュ」という焼きそばができるわけですね。お腹すきましたね。

とにかく、モチーフというのは根幹でありながら根幹ではないわけですよ。
あくまで比喩なのです。

「海へでるつもりじゃなかったし」でも似たようなことが言えます。このイベントコミュの元ネタは、ラーサー・アンセムの児童文学作品『海へ出るつもりじゃなかった』であるというのがシャニマスユーザーの共通認識となっています。ちょっと調べた感じ、やっぱり間違いなさそうですね。

しかし、「海へでるつもりじゃなかったし」を読み解くにあたって、果たして元ネタを知っていることはどれほどの意味を持つでしょうか。

先程の比喩の話を思い出してください。比喩は例えるものの特徴の一部を抽出することで成り立っているという話です。このコミュにおいて比喩として登場する「本」は「湖で海賊のごっこ遊びをしていること」という部分を抽出して成り立っている(そこからいくつかの意味に繋がっていく)のであり、コミュ内で語られていない本のその他の部分は必ずしも必要な情報ではありません。

コミュで書かれていることだけで、最低限必要な情報は完結していますね。

もちろん、原作を知っているとより楽しめるポイントがあることや、それぞれの読み手の中でコミュと元ネタが繋がって「エモーショナルな気持ち」を醸成することがあるということはあるでしょう。

ここで私が言いたいのは、あくまで「内容理解」――「テーマの理解」には必要ではないという話です。

まとめるとこんな感じ。
元ネタ調べる前にやることあるじゃろ? 目の前の女の子の話を聞くんだよ」ってなところで。それが私が大事にしていることです。

3.メタ的に「話の構造」を考えるのが好き(【オイサラバエル】とメタ構造)

これは今までとは少し趣が違って、シナリオライターの考えを予想したり、コミュの内容を要約した後にメタ的な視点で意味づけをする部分であって、唯一自分の記事のオリジナリティを担保している部分かもしれません。

話の構造を把握する上で、コミュを読んでいる時に毎回やっている事があるのかもしれませんが、残念ながら自分が何をやっているのかを言語化できないので、「こういうことに気をつけながら読むことで構造を把握している」というような一般化したことは言えません。

さあ、ここからは前回の記事では語っていない【オイサラバエル】樋口円香のコミュにおいて読み取った「構造」の話をしましょう(実を言うと、少しだけ触れてはいるのだけど、読み手に伝わっていない)。【オイサラバエル】の詳しい話については以下の記事を読んでもらうとして……。

さて。「構造」の話をする上で重要なのは以下の2つです。これらは前の記事でも書いていることです。

A.「視点」が大事なコミュであるということ(「監督」「プロデューサー」そして「ユーザー」。それぞれの視点において、樋口円香という人間について知りうる情報はまったく異なる)

B.「そこに無いものを見ようとしてしまう――欠けた部分まで見ようとしてしまうから 完璧になる」というコミュ全体を通して大事になってくるプロデューサーの言葉

Aの方について、大事なことは「ユーザーもコミュの構成要素として巻き込まれている」ということです。【カラメル】の描写で「えっどういう事!?」と慌てるユーザー、プロデューサー目線では知り得ない円香の心(モノローグ)を見ることができるユーザー、そういった「(シャニPとは乖離している)ユーザーの視点」がシナリオの構成に利用されているわけですね。

シナリオの構成要素としてユーザーが強い存在感を発揮する【オイサラバエル】において、「そこに無いものを見ようとしてしまう――欠けた部分まで見ようとしてしまうから 完璧になる」という言葉は、果たしてどういう意味を持つのでしょうか?

(是非少し立ち止まって考えてから次に進んでみてください)

 ………………………………………………………………………………………………………………。

以下、コミュを読んでいた時の私の反応(の大まかな再現)です。

うわぁめっちゃ皮肉られてるぅ! 行間読んだり好き勝手に考察する人達皮肉られてるよー抉ってきてるよー。 イカすなぁ! めっちゃ良い文章(シナリオ)だわこれ。そうだよね! 空白を埋め合わせて「自分の中でその子を完璧にする」作業だよね考察とか解釈って!

「ひとりひとりの歌になれ」ならぬ「ひとりひとりの円香になれ」ですよ。いやぁエッジが効いてるぅ!

皮肉とは言いましたが、この構成にはユーザーに対する愛もあると思いますよ。感覚的には「愛のあるイジり」って感じですね。

「お前ら勝手に妄想して、理想の『俺の担当(樋口円香)』を作るんだろ?」と「お前の中の『美しい樋口円香』も大切にしてくれよな」が合わさっている、みたいな感じ。

ただし、「愛」って必ずしも100%ポジティブなものではありませんね。「そういうところも愛している」と「そういうイヤなところもあるけれど愛している」って若干ニュアンスが違いますから(考察は悪いことだとは思わないけど、ここでは敢えてこう書かせてもらいます)。前者の場合は「アバタもエクボ」って感じ。後者の場合はダメなところはダメなところだと認めた上で、それはどうしようもないという諦めのようなものがあって、それでも仄かに輝いている「暗い愛」って感じ。

私はなんとなく「暗い愛」の方がしっくりとくる感じがしますね。
前回の記事を読んだ人は「何故こんな大事なことをあの考察記事で書いてないんだ」と言われるかもしれません。

言い訳させてください。書いてるんです

【オイサラバエル】というタイトルは、この記事のタイトルにもあるように「老いさらばえる」という動詞だ。恥ずかしながら私はこの動詞を知らなかったので、最初見た瞬間は「老い 然らば 得る」というトンチンカンな解釈をすることになってしまった。欠けた部分を勝手に想像で埋めてしまったことを反省。きちんと調べないといけない。

記事「いずれ朽ちてゆくものたちへ」より

太字部分に注目してくださいね。ここで私は「プロデューサーが言っていることは私たちユーザーにも当てはめられることやぞ」と言っているわけです。つまりこれは、自虐であると同時に【オイサラバエル】の構成を利用してシャニマスのユーザーたちに放った全方位攻撃でもある文章なんです。

(知=知人)
私「……ってのをこの文章に込めてるから、読み取ってほしいんだよね」
知「……いや、分かんないですよ」
私「そっかぁ……そうかなぁ……」

私「もしかして、記事の結論の『TRUEの言葉は言い切っていないことが大事』と、言い切っていない記事のタイトルがかかっているってところも気付かれてない?」
知「言われればまあって感じですね」
私「そっかぁ……」

記事を出した後にしたやり取り

分かるわけねえわな! そもnoteにそういうの期待されてなさそうだし!
自分の文章のこだわりポイントを自分で語ることほどダサいこともないんですが、気付かれてなさすぎる悲しさのほうが勝ってしまったので、この記事に書いてしまったよ。

私はpixivでシャニマスの二次創作小説も投稿しています(よければ読んでね!)。流石にそっちではこういう「ネタバラシ」はプライドが邪魔をしてできないんですが、なんかnoteの記事だと抵抗が薄いみたいです。

余談。私の「これで伝わるやろ、伝わってほしいなあ」という悪癖をもう一つご紹介しましょう。

これは前回の記事の内容です。それぞれ思うところはあるかもしれませんが、まあそれなりに言いたいことは伝わる文章にはなっているはずです。

この文章の元が、これ。

初見でコミュ読み終えた直後に鍵垢でしたツイート

伝わるわけねえだろ! 
いやね? 自分の頭の中ではこれで完結してるんですよ。「コミュ読んだ人なら共感してくれるんじゃね?」くらいのノリでツイートしてるんですよ、この2枚の画像。酒も入ってないです。完全にシラフ。うーん……。

言語化する気分じゃなかったんでしょうね。

おわりに

今回は、シャニマスのコミュを読む時の私の基本スタンスと【オイサラバエル】についての話をしました。【オイサラバエル】についての部分については、我ながら文章量が少ない割に濃い内容になっていると思います。

「自分がどのように考えていて、どのような基準で行動しているか」を把握するのは極めて難しいことですが、自分を見つめるのは中々に楽しいことです。皆さんもやってみてはいかがでしょう?

……たまには、文章とはかけ離れた視点から好き勝手なことを語る記事を書くのもいいかもしれませんね。「元陸上部員が語る SSRノクチルの思い出アピールにおける走り方から空想した彼女たちの日常生活――ノクチル実装当時を振り返って――」とか。そこまで話が膨らむ気はしないけど、2000~3000文字くらいのあっさりした記事もいいかもね。
書く可能性は5%くらい。


 綺麗。

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