わたしのいるところ
27インチ パソコンの画面の前。
ほとんどの時間そこに居て、作業をして、考えて、
ぼーっとしてたり、ときに気分が乗ってて アマゾンprimで音楽をかけながらの並行作業に酔ってたりもする。
酔って踊るのは音楽の話、アルコールではない。
そういった時は案外調子のいい時……といえる。
そうかといえばー
音楽、かけられない。今は聞ける気分じゃない。
今度こそ 酔うのはお酒。で、ほどほどにバカになりたい。
やっぱり何処か病んでいる。わかっている。
もう何年もひとりの場所で 自分と向き合いながら仕事をしてきた。
生活をしてきた。子育てもしてきた。
時を刻み 暮らしていく中で 何がいちばん大変だった?
わかっている。
自分との向き合いかただ。今も。
大変さはその時々での出会い方、感じ方があって、様相も変わる。
大変さの原因とそれを抱え込み 苦しくて、泣きたくて、
ときに怒りに震えながら 超えてきた出来事。
思いもいくつかある。
怒れる時はいい。
怒りの大きさによっては それがエネルギーになって成長のきっかけになるそんな事も確かにあったし、若さだなぁ、と懐かしく振り返ってもみるけれど そうしたエネルギーも年齢や経験ごとに質が変わっていってる感じだ。
今や 大きく怒り狂うイメージは自分の中に無く、その代わり ただ哀しくて涙を流し、泣き尽くし、枯らすことによって調えてきたこと。
それを踏まえて選択し、時には流れのまま流れ 沈まないようにだけ頑張ってみた。今になり、何から何まで、思いっきり小さなことも含めて 良いこと悪いこと、全て必要なことだったとの確信になる。
でもまだ、現在進行形だし これからも。
私は地道に、学歴もなく、独学でやってきた。
座右の銘というのではないが、「我以外皆師なり」と思っている。
〜吉川英治/作家〜
座右の銘。
少しだけ心を支えてくれる、 誰かに頼りたかった時がある。
ちょっとだけ、元気の素になる声かけが欲しくて
弱々しく見せたことがある。
始まりは20年前。
ただ、黙って自分の中で耐えて乗り越えていく。
その途中や終わった後にも 事の詳細を誰かに説明するわけでなく、
居ると。 憶測でものを言う人がいる。何を言われても痛くも痒くもなく、スルーできる筋肉を鍛えて我慢。だから噂話程度なら傷つくこともない。
ただ近寄らなければいいのだと 距離を置けばいいのだと。
けれど 強い心の時ばかりではない。我慢を重ねた事象ではなく、
築いた堤防が決壊、苦しい思いが流れ出し、どうにも止まらない。
まだもう少し 支えていかねばならない息子との暮らし。
がんばって ここまで来たのに…。
壊れた堤防を修復し、流れを正常なものに戻したい。なのに 方法がわからない。折れていく心。それが見えているから焦る。
弱いなぁ、弱っているなぁ…。
その時 ちょっとだけ、元気の素になる声かけが欲しかっただけ。
善意の声かけか?
「あなたより大変な人は他にいる。」そういったことだったと思う。
耳を疑った。そしてダメ押しでもう一発。
「×××××!」
もう言葉にできない。彼女はショック療法でもしたつもりだったのか?
「え?」
「そうか、そうだね…。」と わたし。
こちら側に立ってくれてると錯覚、信頼していた相手の
さり気ないひとことが ある日 棘になった。
一瞬ストップした思考に、我に返った時は身体が震えていた気がする。
バカだな…自分。 ブルータスよ お前もか。だ。
悔しかった、辛かった当時の経験を事細かに説明し 愚痴にかえ ぶちまけていたなら味方だったのか?
愚痴は言いたくないし、バカみたいな出来事をわたしは弱者だ被害者だと言わんばかりに叫び「そうか、大変だったね。」なんて慰めて欲しかったわけじゃない。過ぎたことは もういい。
これより先の希望や明るさを手にしたかっただけ。
しばらくは刺さったままの棘を取りきれず、何年も苦しかった。
努力での成功が尊いのかどうかに、異論もあろう。
批判は自由だが、うらやみ、そねみ、社会は不平だとの愚痴をこぼすな。
陰気な言葉を口にすると、それは自己への暗示になり、さらにそっちへ進んでしまう。
それに反し、活気のある言葉を頭の中においておけば、万事は向上する。
〜星新一/作家〜
それからは さらに 走った。
ドライブコースを
自分の脚で
必死に 走った。
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