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訳語に不自然な日本語はありかなしか

先日ツイッターで以下のようなツイートをしました。

ツイートにもあるように、「起草する」と「作成する」は「文書を作る」という意味において、それほど大差はありません。しかし一方で突き詰めていけば「起草する」と「作成する」には厳密には違いがあることが分かります。私はここの「違い」が、「違和感のある日本語になるかならないか」の境目ではないかと思っています。

そもそも、人が文章を読むときに感じる違和感はどこから来るのか。文法の間違い、時制の間違いも、確かに違和感を感じる原因となり得るのですが、私はその次に原因になり得るのが、文章中のS(主語)とV(述語)とO(目的語)のそれぞれの「言葉の選び方」だと思っています。

つまり日本語にも、中国語にも、目的語と述語(そして時には主語も)には「特定の(または定番の)組み合わせ」が存在するのであり、翻訳する場合には必ずその組み合わせに配慮して訳出しなければならないということです。

上述のツイートでいえば、日本語の「憲法」の目的語(O)と、述語(V)の「起草する」が「特定の組み合わせ」ということになります。その証拠に、「報告」の目的語(O)に対応する適切な述語(V)は「作成する」であって、「起草する」にはなり得ません。

「薬を食べる」や「ズボンを着る」といった明らかに分かる違いとは異なり、「起草する」と「作成する」は小さな違いであり、私たち一般人ならば見逃してしまうかもしれません。しかし専門家や国語をある程度知っている人なら、すぐに分かるでしょう。

そして、、このような小さな取り違いが積み重なって、翻訳文全体がいわゆる「グーグル翻訳っぽく」なってしまうのです。

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正直「日本語で書きました」という程度の訳文ならば、グーグル翻訳でもできます。しかし、グーグル翻訳文とプロの翻訳者の文章には明らかに違いがあります。それは「読み手が疲れる文章なのどうか」「読み手に不安を与える文章なのかどうか」ということです。

「読み手に不安を与える文章なのかどうか」というのはどういうことか。

例えば説明書に「違和感ある変な日本語」で説明文が書かれていたとしましょう。

私たちがこの説明文を見て、最初に思うのは説明書に書かれた内容よりも先に、「この製品は本当に日本製なのか」「日本語を知っている日本人が開発したものなのか」という疑念ではないでしょうか。皆さんも心当たりがあると思います。

そこからさらには、「この製品の品質は大丈夫なのか」といういらない疑念まで抱かせることになってしまいます。

私は、ここから分かるのは、違和感ある日本語が引き起こす「不安」とそこからくる「信用」の喪失だと思っています。

外国語を知らない読み手は、翻訳者の腕前を信用して訳文を読んでいます。だからこそ些細な違和感から、そのうらにある「翻訳者の訳文に対する態度」、ひいては「訳文に対する信用」を読み取ってしまうのです。その点でいうならば、翻訳者の責任はとても重いですし、「グーグル翻訳」にならないよう厳に肝に銘じなければなりません。

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私たちは上述にあるような「報告を起草する」といった日本語や、日付や数字を取り違えた文章を「恥ずかしい訳文」と呼んでいます。ちゃんとしっかり準備して集中して間違えないようにすれば、このような過ちを回避できるからです。

日付や数字のとり違え、文章中の文法の間違い、時制の間違いなどはすぐに気付くかもしれませんが、「報告を起草する」といった述語(V)と目的語(V)の語句の組み合わせの取り違えというのは、他人に指摘されなければ、気が付きにくいとも言えます。この点は、翻訳者の経験とも言えますし、第三者にチェックをしてもらい、絶えず第三者の意見を取り入れて自分のものにしていく必要があります。

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