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閑話休題(13)──私にとっての中国

中国の情報に詳しい皆さんならもうご存じだとは思いますが、先日蘇州で現地の暴徒に日本人母子が切り付けられ、2人を守ろうとした中国人女性が重傷を負い、結果なくなるという痛ましい事件が発生しました。

その後の顛末は他の詳しい人に譲るとして、このような日本に関する事件が発生するたびに自問自答することがあります。「自分はなぜ中国に携わっているんだろう」という問いです。

中国語の勉強を始めてから40年近く、日中のニュース翻訳を初めてから20年超になりますが、この間、日中間で私の心を揺さぶるような事件は何回も発生してきました。

それでも勉強開始当初は中国に対する知識もそれほど多くなかったこともあり、中国に対する感情もあこがれに似たものがあった気がします。おりしも私が中国語のレベルアップに励んでいた90年代は、中国が急成長真っただ中で、天安門直後という政治的なものを差し引いたとしても、非常に魅力的に思えていた時期でした。

私は「中国に関わる仕事をしたい」という一心で1990年代後半はいろんな努力をしました。そのかいあってか2000年前後には現職に就職することができ、中日ニュース翻訳者になりたいという夢がかない、自分の中国語能力を思う存分活用できる下地を整えることができました。

一方で日中をとりまく情勢は2000年代から徐々に変化しましたが、それでも2010年近くまでは私の中国に対するイメージは変わらなかったと思います。実際私自身も2010年前後からツイッター(現X)のアカウントを開設し、FC2で中国語の翻訳者を目指す人向けのブログを始めました。中国語を勉強したいと思う日本人が増えるのを願ってでした。

でも決定的な事件が発生しました。尖閣での衝突事件です。あの事件に対する中国政府の処理の仕方、国内の反応を見ていて、自分の中にマイナスのイメージがたまっていくのをふつふつと感じました。

それ以前から人民日報の「強国論壇」などを見ていて、「日本人が中国人からこれほど嫌われているんだ」というショックをうけていましたから、尖閣の衝突事件後の人民の反応は正直つらく、ネットも見たくない、翻訳自体もやりたくないと思う日々が続きました。

ツイッター投稿のモチベーションも、ブログ執筆のモチベーションもダダ下がりだったなぁと今振り返ると思います。

あの頃以降の私のツイッターの投稿を見てもらえばわかるのですが、1カ月に数回投稿すればいいぐらいのときもあったのです。

それ以降は子供の受験や子育てなどでネットから遠ざかっていましたが、ひと段落したこともあり、「ネットに復帰して又発信してみようかな」と思いつきました。仕事柄、中国と日本を取り巻く情勢について、逃げるのではなくネットの世論もしっかり見極めるべきだという私自身の使命感からです。

そこに襲い掛かったのが香港の民主化デモ、そしてその後発生したコロナショックでした。「逃げないでいよう」と思ってウォッチし続けましたが、私にとってはかなりストレスのたまるものであったことは間違いありません。

それからはストレスの少ない中国語および中国語翻訳関連の記事をnoteに、ストレスがたまりやすい中国事情についての感想はXに投稿するといったようにすみわけをすることで自分自身の感情をコントロールするようにしています。

◇◇

以上自分語りをしてしまいましたが、間違いなく言えるのは私にとって中国とは大きな存在でもあり、これからも中国や中国人と付き合っていくということです。ネットとリアルでは違うと思っていますし、日本の情報、中国の情報を欲しいと思っている人がいる限り、私がやるべきことはまだまだあると思っています。

願わくば、日本語をマスターしたいと思う中国人、中国語をマスターしたいと思う日本人がもっともっと増えてほしい。そこに私の存在意義があると思っています。


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