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「外国語を学ぶには恋人を作るのがいいのか」という質問に対する私なりの答え

今日は中日翻訳とは少し離れて、中国語学習全体について少しお話をしたいと思います。

中国クラスターで勢い盛んなノーター兼ツイッタラーである「華村@中国」さんのnoteにあった次のような記事が、私の目に留まりました。

華村@中国さんは日々、ハッとさせられる記事をnoteに多く投稿されており、気付かされることも多いのですが、この記事については私も思うところがたくさんあるので、私なりの考察を少し掘り下げていきたいと思っています。

外国語(中国語)を学ぶ理由として、誰もが一度は「好きな人と話したいから」とか、はたまた「好きなアーティストの曲を聴きたいから」「中国が好きだから」などと答えたことがあるのではないでしょうか。このような「好き」という感情は、外国語を学ぶ上での原動力になります。ですから、私たちはまず外国語を勉強する時にその感情を大切にすべきでしょう。

特に「恋人と会話をもっとしたい」と言う感情は、外国語学習においてかなりの威力を発揮します。かくいう私も、中国語を上達させる上で、そのような感情を「利用させてもらった時期」がありました。

この感情は学ぶ上でのとりかかり、そして中級の語学水準までなら、大いに役に立つと思います。一方で「華村@中国さん」さんもおっしゃっていますが、問題はその後でしょう。恋人や配偶者と話す外国語(中国語)というのは、語彙が限られているのはもちろんなのですが、何より私たちが留意すべきなのは「親しい間の人用の会話」だということです。つまり外国人(中国語)の恋人や配偶者とだけならば、「それなりの会話」しか身につかないということになります。

親しい人たちと話すため「だけに」外国語や中国語をマスターするのだと言い切れる人なら私は何も言いません。しかし大部分の人はそうではないはずです。

例えば中国人の配偶者がいたとして、会社の中国人の同僚や上司、配偶者のご両親や親せき、取引先の人と、配偶者と接するのと同じ感覚で中国語を話せば、間違いなくやけどをします。なぜなら自身が話しているのは親しい間の人との会話、つまり「タメ口」だからです。

あなたが中国の大学で中国語を勉強する留学生だったり、初級者だったりするならば、まだ許してもらえるでしょう(中国の人はむしろそういう人たちにとても寛大です)。でも立派な社会人で、なおかつ上級者以上の「ある程度」分かっている人という認識を相手が持っているならば、間違いなく不快感を与えてしまいます。

日本社会でも初対面の人や上司に、恋人や配偶者と話すようなタメ口をきいたら、大変なことになります。よく「中国語には敬語がない」とか「敬語は必要ない」とか主張する人がいますが、多くの中国人ネイティブは中国語であっても間違いなく目上と目下で言葉を使い分けています。上級者を目指すならば、たとえ会話であっても「人によって使い分けできる」中国語をしっかり身に着ける必要があります。

そのためには「恋人や配偶者とだけ話す中国語」から早く脱却し、社会で「どのような人が」「どのような中国語を」「どのような場面で使用しているのか」ということをしっかり観察し、それを自身の会話に反映させていく必要があるでしょう。

「中国語上達には恋人や配偶者をつくるのが近道」という論に異議は唱えませんが、それを以て「自分は中国語が上手い」という錯覚を持つことだけは絶対に避けるべきだと私は思います。自戒を込めて。

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