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どれだけ田舎に住んでいるかを表現してみた

私は、田舎に住んでいる。ただの田舎ではない、超がつくど田舎だ。
今日は、この長野県のすみっこがどれだけ田舎かを、言葉で表してみたいと思う。

まず、学校について。小学生の時、1番近い同級生の家まで歩いて10分かかった。そもそも小学校の同級生は20人もいなかった。小中通じて、クラスはたったひとつ。全校生徒も100人に満たない。9年間、毎日学校で顔を合わせる相手はほとんど一緒。合わない人がいても、うまく付き合っていかなきゃならないのだ。それはこの田舎全体で言えることでもある。地域の集まりやつながりが、わりと強制力を持って発動される場所なのだ。

次に、陸の孤島具合について。最寄りの駅まで歩いて行けない。車で15分かかる。しかも市町村をまたぐ。そもそも、本当の最寄り駅に至る道は現在通行止めで、落石の危険性が排除されるまで通行できない。そんな状態が、3ヶ月以上続いている。
そして、隣接する市町村との境界のほとんどが橋なのだ。もし万が一橋が落ちたら、まさに陸の孤島。コンビニもスーパーもないここへは、ヘリで物資を運んでもらうしかないだろう。

最後に、なんにもないことについて。ここには、本当に何もない。前述したようにコンビニもスーパーもなければ、信号機も1個もない。トンネルと横断歩道はかろうじてある。
ちなみに、光回線はただいま工事中だ。
目立った観光資源もなく、それらを作ろうとする動きもない。ないものをあげればキリがない。
あるものは、雄大な自然だけだ。切り開かれていない、本当の山。
それだけは誇れる。自然は時に脅威となる。けれども、自然の豊かさは同時に私の心を豊かにしてくれたり、癒してくれたりする。

遊ぶ時によく自宅まで迎えに来てくれる友人が(隣の市に住んでいる)、この景色好き、といつも言う場所がある。件の隣の市町村との境界の橋の手前、一気に視界が開ける場所だ。目の前には青々とした山(秋には黄色く色づく)と、ゆるくカーブを描く道。遠くには例の橋が見え、その下にはみどり色の川が流れている。
私も、この景色は好きだ。理想のドライブをしています!という感じ。CMに使えそうだと思う。
まあ、その道を過ぎてしまえばあとは急なカーブや滑りやすい坂道ばかりなのだけれど。

そんな何もない田舎に住んでいる私たちは、日々の生活を隣の市に依存している。生活面でも、雇用面でも。
その市も、決して都会ではない。大型ショッピングモールはないし、街の名前を冠する駅は寂れている。
お察しの通り、通勤にも買い物にも、車がなければ生きていくことができない田舎だ。
そんな田舎に、私は住んでいる。同じくらいの田舎に住んでいる人ももちろんいるだろう。でも、私はここを日本でも有数の田舎だと思っている。異論は認める。

ほんのちょっと前まで、私はこの田舎が大嫌いだった。コミュニティは狭いし、噂はすぐ広まるし、何より不便だ。
でも、今はこの窮屈さが少しだけ苦じゃなくなった。何もない道をぼんやり歩いていると、頭のなかのもやがはっきりしてくる。
京都からこちらに帰ってきてから、人々の温かさみたいなものに直接触れる機会はなかったけれど、よく野菜やお米、果物のお裾分けをいただける。これは田舎ならではの良さだと思う。

狭い世界に生きていた。京都に出て、広い世界を確かに知った。けれども、心の中は狭い視野のままだった。
私は今、狭い世界に生きている。それでも、前よりも心は広く視野を持てているような気がするのだ。
田舎を悪だと決めつけて嫌っていた、あの頃よりも。


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