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「私の身体は私の食べたものでできている」~情報の代謝①(2022.1〜4.10)

You are what you eat.
「あなたはあなたの食べたものでできている」

これは栄養士としては、食育で活用できる定番のことわざで、毎日の食事の大切さを啓蒙する言葉と言えるでしょう。

しかし、これは食物と身体だけでなく、情報と精神にも言えるのではないでしょうか。つまり「私の精神は私の取り込んだ情報によってできている」、それが今回の記事のテーマです。

結局のところ、常日頃から何を情報源としているか、そこから何を得ているか次第で、私たち一人一人の思想、思考、感情などは変化していきます。

食物と同じように、情報も摂取、咀嚼、消化、吸収、排泄といった代謝サイクルを延々と繰り返しているはずです。

良質な情報であったとしても、歯が未発達であれば咀嚼できません。噛めないのに丸呑みしてしまえば、消化・吸収できずに身体に負担がかかります。美味しいと宣伝されているものでも実際は美味しくなかったり、食品添加物で実態をごまかしているだけかもしれません。魚の太い骨が隠れていることに気づかなければ喉に刺さりますし、汚染されたものや毒物が含まれていれば人体に悪影響です。

私は、誤って毒物を摂取していたのならば、中和や解毒の方法を探します。情報を咀嚼する歯があるのならば、上顎と下顎で噛み切る努力を忘れたくありません。

そこで、今回からしばらく、私が直近で得てきた「情報の代謝サイクル」に入りたいと思います。

「調べた情報の意義を冷静に振り返れる」というのもありますが、私が3月に連投していた「つぶやき」の数々をどういった意図で投稿していたのか。それも整理したいからです。区切りのいいところで数回に分けて、以下のようにまとめていきたいと思います。

【情報源の名称/媒体(本・映画・アニメ・漫画、web等)】
①簡潔な内容
②おすすめ度(5段階評価)
③その情報を選んだ理由や動機

私は基本的に「情報源の格式・貴賎」のようなものにはこだわりはありません。漫画やアニメ、ライトノベルやゲームが古典文学や音楽を凌駕することだってあると思っています。社会的に格下の扱いを受けていても、その作品から心躍る体験を得たり、深い感銘を受けたり、生き方の指針が見つかることだってある。そんな経験は、少なからずあるのではないでしょうか。

そのため、本だけでなく、映画、アニメ、漫画、webなど、情報源の範囲を少し広げました。よく「本棚は人を表す」と言いますが、本棚以外の情報もその人の精神性を反映するものと言えます。

私は「少し先の未来の社会情勢を読み解くヒント」になるか否か、それを基準に情報収集をしていますが、たまたまこの記事を読んでくれた方の「コンパスになるもの」があれば良いなと思い、記録を残していきたいです。


【壁と卵 - Of Walls and Eggs/村上春樹新聞】

①作家の村上春樹氏がイスラエル最高の文学賞「エルサレム賞(Jerusalem Prize)」の授賞式で行った有名なスピーチ(2009年2月15日)。イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)への攻撃を批判したもの。

②★★★★★
第一に内容が秀逸で、しかもすぐに読めます。今の世界、日本の情勢と照らし合わせても示唆に富んだ内容だと思います。

③このスピーチは、私がかつて卒業制作『COMPASS』をつくったときに知りました。細部は忘れていたものの「壁と卵」の比喩が印象的だったので覚えていたようです。村上春樹氏の言う「壁」そして「卵」とは何か。正しく認識してもらうために、一部を引用します。

ひとつだけメッセージを言わせて下さい。個人的なメッセージです。これは私が小説を書くときに、常に頭の中に留めていることです。紙に書いて壁に貼ってあるわけではありません。しかし頭の壁にそれは刻み込まれています。こういうことです。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

「壁」と「卵」は、日常会話で誰もが使ってきたはずです。しかし、メタファー(暗喩)ーつでこんなにも劇的に変化するものなのでしょうか。常人では思いもつかない意味を、ありふれた言葉から引き出せる。そんな小説家である村上春樹氏のスピーチに、私は深い感銘を受けました。

さて、このメタファーはいったい何を意味するのか?ある場合には単純明快です。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃は、硬く大きな壁です。それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民は卵です。それがこのメタファーのひとつの意味です。

この一文だけでも、今の世界情勢と似ているように思えます。このスピーチが行われたのは、2009年。つまり、13年前になりますが、世界のどこかでは私が気にしていないか、あるいはすっかり忘れているだけで、何度も何度も何度も何度も、同じことが形を変えて繰り返されているようです。

しかしそれだけではありません。そこにはより深い意味もあります。こう考えてみて下さい。我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと。かけがえのないひとつの魂と、それをくるむ脆い殻を持った卵なのだと。私もそうだし、あなた方もそうです。そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは「システム」と呼ばれています。そのシステムは本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです。冷たく、効率よく、そしてシステマティックに。

武器弾薬という軍事力に翻弄される市民という具象性から離れて、「壁」と「卵」を抽象的な「システム」という意味に昇華させています。この部分が、2022年3月2日当時の私には最も響いたのです。そのため、以下のようなつぶやきをnoteに投稿しました。

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵 – Of Walls and Eggs」を読んだ。我々は皆、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面している。その壁の名前は「システム」という。本来は我々を護るべきはずのものが、時に我々を殺し、我々に人を殺させる。今の日本はどうだろうか?

シーカーのつぶやき 2022/03/02 20:51

*2022/04/17追記 次回予定の記事「情報の咀嚼②」に記載の通り、著作権上グレーあるいはアウトと自主的に判断した「つぶやき」は、「カエサルの物はカエサルに」戻します。本記事のように記事化し、引用の形で記載した後に削除します。


さて、ここからが本題です。

村上春樹氏によると「我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面している」ようです。

そこで考えました。

私にとっての「硬く大きな壁」とは何なのか。




それは、2019年に始まり、2022年4月現在も継続中の「例の感染症」です。

これほどまで「人間の作り上げた制度=システム=壁」によって世界中が分断された例を、生まれて以来、私は知りません。

*2022/04/17追記 誤解なきよう、バカの意味を中国の『史記』からの故事「鹿をさして馬となす」として捉えていただきたいと思います。

人を威圧したり、だましたりして、間違ったことや理屈にあわないことを押し通すこと。中国、秦(しん)の始皇帝の没後、宦官(かんがん)の趙高(ちょうこう)が幼少の胡亥を擁立して2代皇帝とし、自身は丞相(じょうしょう)となって権勢をほしいままにした。ついには皇位をうかがうに至り、ある日、自分の勢力を試そうとして、鹿を馬といって胡亥に献上し、その無理を押し通したが、趙高の威を恐れてだれひとり反対する者はいなかった、と伝える『史記』「秦始皇紀」の故事による。
[田所義行]

どう見ても「鹿」にも関わらず、趙高がこれは「馬」だと言い放った時に群臣は3パターンに分かれました。

1:馬派
2:鹿派
3:沈黙派

さて、これを「例の感染症」に当てはめるとどうなるでしょうか。

1:馬派=推進派
2:鹿派=反対派
3:沈黙=懐疑派あるい様子見派

でしょうか。

いえ、そんなことはありません。

ここで重要なことは、例の感染症における「趙高を誰に設定しているか」によって、「壁」が流動的に変化してしまい、それらはすべて人間が作り上げた制度であるということです。



私は、家族や仕事の同僚などに「ワクチンについてどう思うか」を尋ねられたときには、自分の考えや思いは率直に伝えてきました。

各ワクチン・治療薬の特例承認書や製薬会社の主要な治験結果は全部目を通したこと、製薬会社がこれまでに起こしてきた薬害の歴史のこと、治験でプラセボ群に生理食塩水ではなく偽プラセボ(製薬会社独自のアジュバント)を用いるという偽装が過去にあったこと(子宮頸がんワクチン)、製薬会社は病気をデザインし、マーケティングキャンペーンで宣伝攻勢をかけること(アメリカ)、年々増え続ける新薬創出の研究・開発費を回収して収益につなげたいこと、なによりもmRNAワクチンによる中・長期的な影響は未知数であり、デマとされる情報の中にも時間の経過とともにデマではないことが判明していること等々です。

こうした会話をしても、相手の考えを尊重して、私の言っていることも正しいとは限らないし、間違っていることもあると思う。私はあなたに接種して欲しいとは思わないが、大人として自分の判断で接種を選ぶのならば選べばいい。それでももし何か違和感を感じたならば、私の知っている情報は全て伝える。こうしたスタンスで日々を過ごしてきました。

デモにも加わらず、イベルメクチンは迷いながらも購入せず勧めず治験結果を待ち、基本的な感染症対策は実践しながらも、なるべく外に出て日光を浴びて散歩し、サプリメントも飲まずにただバランスの良い食事だけを食べてきました。今のところは一度も感染せず、陽性者にもなっていません。

情報収集だけは怠らずに継続してきましたが、それ以外は特別何もすることなく、平和的に対処してきたので、周囲で大きないざこざには巻き込まれずに済んでいます。

ただ、はっきりと言えるのは「壁」に対して疑問を提示し、不服従を貫いているということです。

私は保育園で働く栄養士です。社会的・職業的には感染症対策が人一倍求められています。衛生管理も平時以上に気をつけ、園内の感染症予防策に協力してきました。子どもたちの生命の安全を守る必要があるので、当然といえば当然でしょう。

とはいえ、5〜11歳の子どもたちにmRNAワクチンを接種させることだけは、どうしても我慢がなりません。保育園児にさえ園内でマスクを着用させようとする想像力の欠如に対してもです。

これらに関しては、もう嵐が過ぎ去るのを待つつもりはありませんでした。毎日、目の前に0〜5歳の子どもたちがいるからです。自然災害の嵐は止めようがありませんが、人為的な嵐は発生源を突き止めれば止められるかもしれません。だから、「脆い殻を持った卵」なりにnoteを始めました。

今回のワクチンにいかなる立場であったとしても、「子どもたち=国の未来を守る」という一点だけは、互いに手を取り合えるものだと思うのです。

どんなにメディアを用いて隠し通そうとしても、限界はあります。世界情勢の変化から、ワクチンの報道に関する熱も少しずつ冷めてきました。そんな今だからこそ、このワクチンと感染症のことを内省できるのではないでしょうか。

いま一度、自分で情報を調べて、取捨選択し、自分の頭で考えて判断する。しかし、その判断すら間違っているかもしれない。「思い込み」かもしれない。だから、他の人の意見や反対意見にも耳を傾ける。そしてまた調べ、取捨選択し、考え、判断する。結論が出なくともこれを繰り返す。

これは自分への戒めでもあります。

わかったこととわからないことをきちんと区分けする。
そうすることで「脆くて弱い卵」に過ぎない私が、「硬くて大きな壁」にもハンマーで傷をつけることができるかもしれない。

そう思いながら、今日も記事を執筆しています。

お読みいただき、ありがとうございました。

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