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DIVAシリーズとエディットモードにまつわる回顧録

2021年8月31日。今や世界的な知名度を誇るバーチャルアイドル兼DTMソフト「初音ミク」が14周年を迎えたこの日、あるニュースがTwitterのタイムラインに流れてきました。

PS3・Vita用ソフト『初音ミク -Project DIVA- F 2nd』
におけるピアプロ連動機能終了のお知らせ。
発売から7年以上経ったうえ、対応ハードはとっくに生産終了した旧世代機のソフトなので当然といえば当然のことですが……このツイートが目に入った瞬間、少しだけ寂しさを覚えました。

私は俗にミク廃やボカロ廃と言われるような熱狂的なファンではありません。けれどもこのDIVAシリーズに限っては好きで追いかけ続けた作品であり、中でも『初音ミク -Project DIVA- F 2nd』は特に思い入れのあるゲームでした。
純粋に音ゲーとして楽しかったというのもありますが、一番の理由はユーザー自身が好きな曲で譜面やPVを作ることができるエディットモードの存在があったからこそです。

今回書き綴るのは、そんなDIVAシリーズに関する独りよがりな思い出話です。

DIVAシリーズとの出会い

私が初音ミクを知ったのは高校生の頃。『メルト』や『ワールドイズマイン』といった曲がニコニコ動画に投稿されていた頃の話です。
当時クラスでボーカロイドオリジナル曲が流行っていたのに加え、人間のように歌う音声合成ソフトという謳い文句から興味を持ったのですが、初めて聴いたときは「なんだ、ただの機械音じゃないか」と随分落胆したことを覚えています。
その後何曲か聴いていくうちに独特の音声に慣れ、逆に『初音ミクの消失』のようなボーカロイドならではの曲の良さに気付くことができてからは、気に入ったいくつかの曲をMP3プレーヤーに入れて持ち歩いていました。

そんな中、セガから初音ミクのゲームが発売されると聞いて注目したのは当然でした。
正直なところ「安直に初音ミクブームに乗っただけのクソゲーだったら?」という不安と「それでもセガならきっと変なところでこだわってくれるはず」という謎の期待を抱きながら購入したのですが、蓋を開けてみるとキャラゲー=地雷という固定観念が吹っ飛ぶほどのクオリティに驚いた覚えがあります。
音ゲーでありながらPV≒BGAを見せることに重きを置いたシステムや歌詞に合わせてノーツを叩くというコンセプトは「DTMソフトとしての初音ミク」というより「バーチャルアイドルとしての初音ミク」にぴったり。3Dモデルはどれもハイクオリティでかわいく、公募で選ばれたモジュール≒コスチュームはどれも個性的。キャラゲーとしては文句無しの作りで、音ゲーとしても基本的な骨組みはしっかりしていたこともあり、一気にファンになりました。
以来、PS VitaのF 2ndまでシリーズを追いかけ続け、全曲クリア&全モジュール解禁する程度に夢中になって遊びました。

しかしこの頃はエディットモードの存在こそ知っていても、それを活用することはほとんどありませんでした。
ゲームに収録されていない好きなボカロ曲で遊ぶために有志のエディットデータをダウンロードすることはあっても、興味本位でエディットモードを開いて「なんか難しそう」という第一印象を抱いて以来、譜面やPVを自作しようと考えたことはまずありません。せいぜいVita版(f・F 2nd)でトロフィー目当てに少しだけ触った程度です。

そんな私がエディットモードにハマったのは、DIVAシリーズにマンネリを感じ、ダウンロード版を購入したf以外の全作パッケージ版を全て手放した後のことです。

F 2nd再購入・エディット初投稿

実を言うと当初、F 2ndはDIVAシリーズの中でもそこまで好きな作品ではありませんでした。
ゲームシステムは2ndで完成されており、PVのクオリティはfで洗練され尽くしている。F 2ndは画質こそ上がったものの、それ以外目新しさは感じない。むしろリンクスクラッチやダブルスクラッチ、アイテム取得のためのインフォメーションボードといった新要素が蛇足でしかなく、シリーズの限界あるいはマンネリ化の兆しが見えた一作だと今でも思います。
自称ゲーマーの意地から半年でトロコンする程度にやりこみはしたものの、その後はDIVAシリーズに対する熱が急速に冷め、PSPの寿命を機にシリーズ全作を手放すことに特別躊躇はありませんでした。

それから時は過ぎて2016年1月。何か面白いゲームはないかと思ってPSストアを眺めていたところ、めったに値引きされないはずのDIVAシリーズがセール対象商品に含まれていました。
そこで何を思ったのか……懐かしさか物珍しさか、何でもいいから音ゲーをプレイしたかっただけかは思い出せないのですが、とにかく一度は手放したはずのF 2ndをダウンロード版という形で買い直したのです。

モジュール&アクセサリー全解除済みのセーブデータが残っていたこともあり、久しぶりにプレイするF 2ndは何のストレスもなく楽しめました。
しかしだんだんと本編収録曲だけでは物足りなさを感じた私は、DLC……は過去作からの再収録ばかりだったためスルーし、代わりに公式アップローダーで見かけた適当なエディットデータに手を出し始めました。今作ではピアプロ連動機能のおかげで、過去作のようにあらかじめ音源を用意する手間がなくなったため、見知った曲があれば気軽にダウンロードして遊んでいたような覚えがあります。

ただ、公式アップローダーに上げられているエディットデータのクオリティは玉石混合。何度もプレイしたくなるような楽しい“当たり”のデータがある一方で、何もかもが中途半端でつまらない“はずれ”のデータも少なくありません。
そうした“はずれ”と遭遇するたびに生意気にも「私だったら絶対こうする!」と上から目線でケチをつけていたような覚えがありますし、少しエディットモードを触っただけで気を大きくして「このくらいなら私にも作れそう」とサンプルデータに対し舐め切った感想を抱いたこともあります。

それなら好きな曲のエディットデータをただ探すだけでなく、自分好みのものを作ってみようと思い、エディット制作の第一歩を踏み出しました。

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PSNのオンラインID変更機能が実装される2019年4月までは「krmz0912」というアカウント名を使用していました(現在は「KRMZ_SeeE」に変更済)

こうして自分のセンスだけを頼りにPVと譜面を作ること約1ヶ月。ミクオリジナル曲の中でも特に好きなwowaka(現実逃避P)さんの『僕のサイノウ』のエディットデータが完成し、公式サーバーにアップロードしました。

エディット沼への誘い

『僕のサイノウ』を公開した翌日、PSNに1通のメッセージが届きました。

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いくらサーバーにアップロードしたとはいえ、「人に遊んでもらう」ためというよりは「自分が楽しむ」ことを目的としたデータだったため、まさか他人からプレイ感想がもらえるだなんて夢にも思っていませんでした。
それも公開した翌日。しかも相手は以前プレイしたことのあるエディットの譜面制作者。おまけにお褒めの言葉に加えて譜面まわりのアドバイスまでいただく始末。

この大先輩との出会いでエディット制作の楽しさや奥深さ、自作エディットをプレイしてもらえる喜びを知った私は、ずぶずぶとエディット沼にハマっていきました。
積極的に他人のエディットをプレイする、気になった演出は内部データを覗き見てテクニックを盗む、PSP版の頃からエディットを作り続けているベテランのブログを読んで譜面作りの作法を学ぶ、SNS(Twitter)を始めてDIVAエディターたちと交流する……そんな感じの超前屈姿勢でDIVAエディットと向き合っていました。

ちなみにこの頃、シリーズ最新作(X)がちょうど発売されたばかりだったのですが、私はというとそれに見向きもせずF 2ndのエディットモードに夢中でした。
収録曲数はシリーズ最少、エディットモード無し、ストーリー仕立てのPVも無くて、モジュールやアクセサリーのランダムドロップといった水増し要素はあり……前情報を聞くだけでもまったく興味が持てなかったのに加え、「だったらエディットのおかげで実質曲数無限大の前作でいいのでは?」と本気で思う程度にエディット沼のエディット馬鹿になっていたのです。

憧憬・羨望・嫉妬・自己嫌悪

しかしエディットが楽しくてしょうがなかったのは最初の半年ぐらいまででしょうか。
当初は「自分が楽しむ」ために始めたエディット制作も、投稿を重ねるにつれ「人に遊んでもらう」ことを意識するようになってから、だんだんと創作の楽しさより表現の苦しさの方が勝るようになりました。

私の中でその転換期となったのはおそらく、Twitter上で行われたユーザー企画「もっとF2ndでプレイされるべきエディットコンテスト(通称「もふコン」)」だったと思います。

そこで先輩エディター方が手掛けた数々の作品を目の当たりにし、開いた口が塞がらなくなりました。
美しい映像、印象的な演出、何度プレイしても楽しい譜面。知っている曲だからと今まで適当にダウンロードしていたエディットデータとは明らかに格の違うベテランの仕事ぶりに驚愕し、絶句し、感動しました。それこそ「これってホントにエディット?」「私の知ってるDIVAじゃない」と何度も目を疑ったほどです。

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もふコンには新参者でありながら無駄にやる気だけはあった私も、黒魔(じたばたP)さんの名曲『星くずガール』のエディットを制作し参加しました。

ありがたいことにこの『星くずガール』は小道具をたくさん使ったコミカルな演出が好評で、ユーザー投票の結果、お気に入り賞をいただいたのですが……当の私はというとその評価を素直に受け止められませんでした。
当時の自分が持てる全てを出しきって――あるいは未熟な部分をノリと勢いだけで押し通した渾身の力作だったのですが、どうしても先に見た先輩方の秀作と比べてしまい、技術もセンスも足りていない素人感満載のエディットが褒められるなんてビギナーズラックとしか思えなかったのです。

最初こそ目を輝かせながら「私もあんなエディットを作りたい!」と他人のエディットを見て感動するたびに思ったものですが、その純粋な憧れや尊敬のまなざしが醜い嫉妬や自己嫌悪へ姿を変えるまでそう時間はかかりませんでした。

確かに“すごい”とは思う。けれどそれは“好き”や“気に入った”という感情でなく、あくまで「自分にない技術を持っている」という点に“感心”しただけ。むしろ不必要に動き回る曲線カメラは酔って気持ち悪くなるだけだし、過多なエフェクトは目に痛くノーツの視認性を下げるだけ。音ゲーなのに肝心の音ゲー部分を殺してるなんてどうかしてる。
そんな負の感情が頭の中をぐるぐると渦巻いていたような覚えがあります。

もともと3D酔いしやすい体質に加え、実際に激しいカメラワークやポケモンショックに似た明滅を多用するエディットデータをプレイしてめまいや吐き気に襲われたこともあったので、上記の言い分は当時の自分にとって理にかなったものだと思っていました。
しかし今になって振り返ると、「私のセンスでは到底真似できない・作れそうにない」という自己嫌悪から逃れるための負け惜しみに過ぎず、一度は感銘を受けたはずの先輩方のエディットを「華やかで派手だけど装飾過多すぎてプレイヤーのことを考えていない」と見なして自己正当化するための言い訳以外の何ものにも見えません。

「檸檬ライン」という呪い

もふコンでさまざまな刺激を受けた後、私はエディットにおいてある理念を掲げるようになりました。

音ゲーの主役は譜面と音楽。BGAなどの映像はその魅力を最大限に引き立てる脇役に過ぎない。引き立て役が主役の邪魔をするなど言語道断。すなわち「シンプル・イズ・ベスト」あるいは「引き算の美」こそ至高。

この思考に至った理由は二つあります。一つは私自身が派手でゴージャスなものより地味でシンプルなデザインを好む性格から。もう一つは前述の“すごい”エディットに対する嫉妬からの反発。……といっても、3:7ぐらいの割合で後者の負の感情が理由の大半を占めていたような気がします。

しかしいくら大層な理想を掲げたところで、それを体現するようなエディットを作り上げるまでには至りませんでした。
順調なのは選曲とステージ・モジュール設定、そして音取りと歌詞入力まで。モーション設定と口パク入力はそこまで手間取ることはないものの、いざカメラを動かしたりノーツを設置しようとすると「本当にこれでいいんだろうか?」と迷いが生じて手が止まる。曲を聴き込んでイメージを膨らませようとしても、それをDIVAエディットという形式に上手く落とし込むことができない。
長年患っている「いい文章病」と同じで、答えの無い“完璧”を求めるがあまり、それに至るまでの過程の一挙一動にすら“正解”を求め、身動きが取れなくなっていたのです。

理詰めで考えれば考えるほど無為な時間ばかりが過ぎ、特に譜面に関しては1小節分のノーツも配置できなくなるほど指が動かなくなっていました。
もともと譜面作り自体はそう得意ではなく、むしろ『僕のサイノウ』の頃から苦手分野でした。おまけにシンプル至上主義を掲げるようになって以来、他の音ゲーと違って決まった位置にノーツが落下しないDIVAのシステムにおいて、視覚的に美しい“正解”に至るには1ドットのずれも許されないと思考が凝り固まってしまっていたのです。
この件についてはコラボ=譜面を得意とするエディターに依頼することで肩の荷から下すことができたのですが、PV一本に専念しても制作スピードは変わらず、むしろ目に見えて落ちていきました。

そんな「いい文章病」ならぬ「いいエディット病」に悩まされながら、最も理想に近いエディットPVが完成したのは、もふコンから1年が経った2017年の夏のこと。

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使用楽曲はcitrusさんの『青い檸檬』。2分にも満たない短い再生時間の中で、離別という重いテーマを軽やかに表現したチップチューンです。

制作期間はPVのみで3ヶ月以上。PV&譜面で月1回とコンスタントに投稿していたもふコン以前と比べ、単純に3倍以上の時間がかかっています。
その分クオリティも3倍……と呼べるかは疑問ですが、少なくとも当時の自分は「無駄な要素が何一つない美しい構造のエディットができた」と手応えを感じていました。

調子に乗った私は「DIVAプレイヤーのための譜面食べ比べビュッフェ(通称「譜面食べ比べ」)」と称し、ひとつのPVに対し複数の譜面を募集するユーザー企画まで立ち上げました。普段自己評価の低い自分にとって、それほどまでに『青い檸檬』は自信作だったのです。
そんな自分しか得しない企画にも関わらず、5人のエディターが参加してくださり、ライトユーザーでも楽しめる易しい譜面からカラフルで癖の強い超高難易度まで個性豊かな5つの譜面を作ってくださったことで、企画は成功を収めました。

しかし納得のいく完成度と裏腹に、このPVと企画は後に「檸檬ライン」という自身を苦しめるだけの呪いと化したのでした。

青い呪縛を振り切るまで

譜面食べ比べ企画を経た私のエディットモチベーションは上がるどころかどん底まで落ち込みました。

自己最高傑作のエディットの完成と企画の成功に満足して燃え尽きたというわけではありません。むしろ従来と同じように、気に入った曲を見つけたらエディットを作りたいという気持ちはありました。
しかしどうしても一番までの映像しか作れず、檸檬ラインに届かない=自身の納得のいくクオリティではないからといって、新規エディットデータを作成してはすぐに削除の繰り返し。お遊びで作ったデータ以外は何も残っていません。
かつて掲げたシンプル至上主義は「檸檬ライン」という呪いへと変化し、私は「檸檬ラインに達しないエディットは存在する価値もないゴミ」という極端な思考にまで陥っていました。

エディットってめんどくさい。労力の割にはダウンロードされない。発売から何年も経ってとっくに旬の過ぎたゲームなんだから当然といえば当然。むしろPS4にアーケード版の移植(Future Tone)が出た以上、新作に期待できそうもない。だいたい世の中にはもっと面白いゲームがたくさんあるのに、名作とはいえ過去に発売されたたった1本のゲームに固執する理由はない。そもそも私はゲームが好きなだけでミク廃でも何でもない。
そう思った途端「こんなの人生の無駄でしかない」と、これまでエディットモードに費やしてきた時間が急に馬鹿らしく感じました。

それからというもの、エディットモードどころかF 2ndの起動頻度自体が低下したのは言うまでもありません。おまけに坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言わんばかりに、Twitterのタイムラインに流れてくるエディット仲間の新作投稿ツイートを目に入れるのが嫌でたまりませんでした。
胸中に渦巻いていたものは羨望でも嫉妬でもなく、かつては嬉々としてプレイしていた他人のエディットデータがもはや身内だけで盛り上がるためだけのツール――社交辞令の道具にしか見えなくなった自分の場違い感と、DIVAクラスタの中に異物として存在し続けることの居心地の悪さです。
Twitterで知り合った人には悪いけどこのまま自然消滅しようか……なんて真面目系クズ特有のリセット癖も何度か発動しそうになりました。

そんな負の感情に押し流される最中、タイムラインに流れてきたあるツイートが私の目に飛び込んできました。

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自作エディット『星くずガール』のプレイ報告。公開から2年以上過ぎたにも関わらず、いまだに遊んでくださる人がいることを知って驚きました。もちろんダウンロードされた理由は有名Pの人気曲を使用しているからであって、私自身が評価されたわけではありませんが、それでも嬉しいことに変わりありません。

その驚きや喜びを感じると同時に「そういえばあの頃はエディットが楽しくて仕方なかったなぁ」という懐かしさがこみあげて、頬が緩んだことを覚えています。

シンプル至上主義という理念を掲げるようになってから、自作エディットのクオリティが向上したのは確かです。実際に処女作とを比べると、全体的な画面構成から表情の動かし方まで雲泥の差があります。
それどころか劣等感からクオリティを追求するあまり、唯一の自信作『青い檸檬』を神聖視する反面、駆け出しの頃に作った『星くずガール』以前のエディットは目にも入れたくない駄作とすら思っていました。

けれどもそんな未熟なエディットを楽しんでくれた人がいて、好きと言ってくれる人がいて、影響を受けたという人もいて……エディットを通じて楽しんでいたのは自分一人ではなかったことに気付いたとたん、風前の灯火だったエディットモチベーションが突如激しく燃え盛るのを感じました。

地味でいい。完璧じゃなくていい。檸檬ラインを越えられなくていい。技術がなくてもノリと勢いと好きな曲に対する愛情さえあればいい。もう一度、あの頃のように自分が楽しむためのエディットを作りたい。

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そうしてできたのが『青い檸檬』と同じ作者citrusさんが手掛けたチップチューン『星座みたいに繋がれて』のエディットです。

制作期間はPVのみで10日間。非常に高いモチベーションを維持したまま爆速で作り上げることができました。
正直なところカメラやモーション補間など粗が目立つ部分も多く、檸檬ラインに届く代物ではありません。ですが、これまで制作したエディットの中で一二を争うほど楽しく作れたことは紛れもない事実で、自分らしい映像に仕上がったことに満足感すらありました。

今後もエディットを作るかどうかわからないし、作ったとしてもきっと檸檬ラインは越えられない。でもそれでいい。変な義務感を背負う必要もない。しょせん娯楽なんだし、他人を楽しませるより先に自分が楽しまないと。
そこでようやく、ずっと自分に言い聞かせていた「人は人、自分は自分」という言葉が胸にすとんと落ちました。

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それから一ヶ月後、あれだけ苦しめられていた檸檬ラインに匹敵……あるいはそれ以上の出来のエディットPVがすんなり完成したのですが、それはまた別の話ということで。

エディット馬鹿だった当時を振り返って

PS5の発売からもうすぐ1年が経とうとしている今日、かつて同じ時間を共有したエディター仲間の多くはそれぞれ別の道を歩んでいます。
愛用のPS3・Vitaの寿命が尽きるまでF 2ndでエディットを投稿し続ける職人もいれば、DIVAシリーズの面影を追って『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク』に熱を上げるミク廃やゲーマーもいて、別の何かに夢中になる人や私生活が忙しくそれどころじゃない人もいます。

私自身も2019年の夏にエディットPVを投稿したのを最後に、もうF 2ndどころかVitaすら起動することはほとんどなくなりました。それどころかメインプラットフォームをPCに移した今日では、Steamで変なゲームを買って満足するような不健全なゲームライフを送っています。
なので今回これを書くにあたって久々にVitaを引っ張り出し、かつて夢中になったF 2ndを起動したのですが……エディットデータをプレイするたびに「思ったより悪くないかも」「すごくいいけど神作とまではいかないかな」「こんなすごいの自分が作っただなんて信じられない」といった意外な感想が自然と飛び出しました。

無論、強がりや自画自賛ではありません。評論家を気取ってケチつけた“はずれ”のエディットも、あれだけ憧れた“すごい”エディットも、自作エディットの何もかも、客観的に見れば結局はどんぐりの背比べでしかなかったのです。
そんな当たり前のことに気付いた瞬間、かつての自分があれだけ固執した羨望も嫉妬も檸檬ラインも、呆れてしまうほど馬鹿馬鹿しくちっぽけな悩みで思わず笑ってしまいました。

しかしDIVAエディットに熱を上げたあの3年間が、人生において何も得られない無駄な時間であって記憶から抹消したいほどの黒歴史だったかと問われば、そうとは思いません。

エディットがあったからこそ、同好の士と出会うことができた。
エディットがあったからこそ、知らなかった名曲と出会うことができた。
エディットがあったからこそ、映像作りに興味を持つことができた。
エディットがあったからこそ、自分らしい創作スタイルに気付くことができた。

この『初音ミク -Project DIVA- F 2nd』というソフトは私の生涯におけるベストゲームではありません。
しかしエディットモードを通じて得た経験は何ものにも代えがたく、記憶に残る一作であることは確かです。

他にもDIVAシリーズとエディットモードについて思うことは多々ありますが、そのすべてを紙に書き出しても文章として上手くまとめきれそうにないので、歯がゆさを覚えながらもこのあたりで一度筆を置きたいと思います。

最後に、かつて同じゲームに夢中になった仲間たちへ――「エディット、楽しかったね」

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