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本来好きなもののこと

自分が本来好きなものって何だろう。

自分の好きな世界でしか生きてこなかったわたしは、そんなことを考えることなんてなかったように思う。
仕事もライフスタイルも自分の好きなことであふれていたし、そんな渦中で生きていたら気づいたら大人になっていたし、これからずっと自分らしさからは離れられないんだろうなぁ。そんな風にさえ思っていた。

そんなわたしでも年を重ねるにつれ、環境や出会う人達の世界や世の中の状況に少なからず影響され、少しずつ「自分」の形は変わっていく。
それはとても素晴らしいことだと思う。誰かの世界観に触れたとき、新しい場所に刺激されていつも新しい発見があるもの。
でもそうして少しずつ形を変えて大人になったとき、ふと「自分が本来好きなもの」のにおいを忘れそうになることがある。自分でも気づかぬうちに少しずつ。
ここ最近はめまぐるしく、職場が変わり環境が変わり、みんなが好きなもののことに目を向けるようになっていくうち、「自分だけが好きな自分の世界」がちょっと狭く感じた。だから少しだけ距離を置いていた部分も、あると思う。
そんな折り、久しぶりに友達とお出かけをした。よく晴れた冬のはじまりの日に。知り合いの展示に遊びに行きました。

そこには、色とりどりのアクセサリーたちが並んでいた。カラフルで、色んな形の色んな国のビーズの組み合わせ!
そのブランドらしさがあるのに、私らしいと思うものばかり。久しぶりに心がおどる。友達と一緒にあれこれつけて、どんなお洋服にコーディネートするかなど、たっぷり楽しんでしっかり長居してしまう。
その時に気づいてしまった。
私は「自分だけが好きな自分の世界」から離れていたことが、しんどかったのだなぁと。
仕事で身につけられるかどうかとか、最近お出かけすることもなくなったからなぁとか、もう大人だからもっと大人なものを選ばなあかんなぁとか、自分で自分を縛っていたのだな。自分が思っている大人って、いったいなんだったのだろう。だって目の前にあるキラキラしたアクセサリーたちは、カラフルでいて大人っぽくてこんなに堂々としていて、好きな世界であふれている。

自分だけが好きな自分の世界を、手放してはいけない。環境や年齢とともに手放して行くのではなくて、今の自分らしく、少しずつ育てて行くべきものなんだと発見した。
10代や20代の時に輝いて見えた世界はなくなってしまったわけではなくて、実は自分のなかにずっとあったのだ。「自分が本来好きなもの」のにおいは季節のように毎年巡るわけではないから、鮮明な記憶に触れることができなかった。
金木犀のにおいで運動会の思い出がよみがえるような、冬のピンっと張りつめた空気をまとって部屋の中に入ってきた人のにおいで好きな人のことを思いだすような、記憶の奥底に眠っていた部分に触れられたときのような気持ちになりました。美しくてかけがえのない気持ち。
それはわたしだけの、居心地が良くて美しい場所なのだと思う。手放したらもったいない。

そのキラキラしたアクセサリーの中で1番私らしいなと思うものを、ひとつ選んだ。自分による自分へのプレゼントです。クリスマスも近いしという口実もつけておく。
帰り際デザイナーさんが商品を渡してくれるときに、「真面目な話になっちゃうんですけど、自分らしい居場所にいつでも帰れるようなものっていう気持ちで作っているんです。」と伝えてくれた。渡してくれたショッパーには、子供が書いたかわいい手書きで「SANCTUARY」と書かれていた。サンクチュアリ。神聖な場所。その意味を噛みしめてうきうきと帰った。偶然のような、運命みたいな素晴らしい出来事だった。このアクセサリーを身につけるたびに自分の神聖な場所に帰れるおまもりを手に入れた。

作ったものを届けることの素晴らしさを改めて実感した日でした。それを思いだせてよかった。私もそんな風に、自分らしい場所を誰かに届けられるようになりたい。