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夢の責任


「私たちは自己責任の存在。」 苦しみというものから抜け出していく際には、そう見ていくことが必要となってくる。

これは真実を示している考え方なのだろうと思う。苦しむ心というのは、例外なく被害という要素を受け入れてしまっている。それは自分という存在を、被害者として見てしまっているということ。

虐待やいじめ、また災害などはどう見るべきなのかという反対意見なども出てくるのだろうと思う。もちろん「今」そういったことで苦しんでいる人たちに対して、「それは全部あなたの責任だよ」などと言うべきではない。

でも時が経ち、物事を冷静に受け止めることができる年齢になってからも、いつまでも自分が被害を受けたという物の見方に留まり、ずっと苦しみ続けているのだとしたら、それは決して自然な状態とは言えないのではないだろうか。

私の場合は、自分自身の精神的な幼さ故に妄想的な被害者意識に侵されて、独りよがりな苦しみに悶え続けていたし、自己責任を説く物の見方に対してずっと抵抗を感じていたと思う。

私は今でも(精神的に)子供だし、決してもう大人になりましたとは言えない存在だけれど、「自己責任」という見方を受け入れ始めた今は、解放の道を行き、心が解け始めていることを感じている。

心のことを学び始めてもう随分時が過ぎて、それは決して順調な道行きではなかったし、逆に苦しみが増したと思える時期も随分通ってきたけど、その道行きには全て意味があったと思うから、思いたいから…

私はその中で得たと感じるものを他の人にも手渡したい。

「自分が被害を受けたという事実」を受け止めなければならない時期もあるだろうと思う。今その立場にある人の気持ちなど、私はわかってはいないのだろうとも思う。

でもやっぱり、ずっと「その場所」に留まっていて欲しくはない。

優しさって何だろう。「あなたには何の責任もない」「あなたは世界の被害者だ」、そういった弱者という匂いを漂わせ、互いに傷を舐め合おうとする教えが、本当の物の見方だと言えるだろうか。

苦しみは、私たちが長く留まるべき、自然な場所ではない。苦しみは決してナチュラルではないし、それを生む私たちの心の誤りは、いずれ正されなければならない。

真実が、いずれ私たちに解放をもたらすだろう。解放とは喜びが溢れ出すことであり、愛である私たちの本当の姿が溢れ出すことだ。だから悪夢から抜け出そう。私もそうしたいから。一緒に乗り越えていこう。幻想を、超えて行こう。

それら全て、その夢の全てを超えて、私たちは深く深く愛されている。その自然な姿、私たちの本当の姿を、一緒に取り戻していこう。

家に帰ろう… もう安心していい… 苦しい闘いの夢はもう終わったんだから…

やっぱり文章は苦手だ(笑)  まとまりのない考えを記したものを読んで下さり、どうもありがとうございました。

*今回のここでの「自己責任」という言葉は、決して「自分を責める」ことや「自分を咎める」ことを意図するものではなく、むしろ「自分を赦す」ことを目的とする「自己責任」のことです。
今回は私の文章表現力が至らず、そこまでを網羅した文章に仕上げることができませんでした。

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