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心の中の原因と結果

心の中の原因と結果について。
「心が原因で世界が結果である」というのは、割とわかりやすい話だと思います。
でも、その心の中にもさらに原因の領域と結果の領域というものがあるようです。

ある人(私)が苦しみから脱する、目覚めていく過程では、「原因」が変化することが必要です。そして一方で、「結果」である世界(の現象)への抵抗から離れる必要があります。
自分の世界に起きている現象はそのままにして(赦して)、その原因である自分の心(のみ)を見ていくという感じです。
その、「心を見る」ということに関して、その「心の中の原因と結果」というものついて少し考えてみたいと思います。

原因と結果というものについて考えた時に、日々の自分の世界に起きること(結果)をそのままにしていいのと同じように、自分の心の中の結果についてもそのまましていい、という話です。

まず分かりやすい言い方だと、顕在意識と潜在意識というのがあります。潜在意識が原因で顕在意識が結果、という感じです。
その考え方でいうと、潜在意識に潜んでいる苦しみの原因(トラウマ、ブロック等)を外して楽になりましょう、解放しましょう、みたいなことはよく聞く話なのではないでしょうか。
もちろんそういった取り組みで幸せになっている人もたくさんいるのだとは思いますが、私の場合はそういったことに取り組んでみても苦しみから脱することはできませんでした。

いったいどうすれば心が変わるのか、どうすれば心という原因が変化するのかということについて、私自身まだちゃんと腑に落ちていないところがあるので、ここで少し整理してみたいと思います。

ACIMの考え方だと、心の中の頭脳の領域(恐らく顕在意識)は世界と同じく結果の領域です。だから、結果である顕在意識的な心を変えようとすることには世界を変えようとするのと同じように意味がありません。

そして心の中の原因の領域については -‐ 原因といっても幻想の中での話です(分離は存在せず真の実在は神のみなので) ‐- 私たちの心は「聖霊」と「自我」の部分に分かれてしまっています。
(原因である)自分の心を見つめて、その中の原因の領域まで遡って、自我(の思考体系)ではなく聖霊(の思考体系)を選択していく、というのが大雑把に言うコースの実践になるのですが、私はまだそれが上手くできてはいません。私はカタツムリ(亀)です。
まだ腑に落ちていないんですよね…

(コースの考えの)上記の考えとの違いは、一般的なそういった心理学的な手法では、私たちがこの世界に生まれてから(あるいは胎内で)経験したことに何かしらの原因がある、と考えるわけですが、コースの考えではこの世界そのものが存在しない幻想ですから、そのような原因(と考えられるもの)もまた結果に過ぎない、ということです。

心が変化する、ということに関しては、自分で闇雲に心を変えようとしても上手くはいかないし、またこの世界における経験に原因を求めてそれに対処しようとする、というやり方にも限界があると感じています。

…心の表層の領域、私たちが普段感じる思考や感情などは原因ではなく結果(現象)なんですね。だから外側の現象を眺めるのと同じように、適切であるその(内側の)現象はそのままにして眺めていれば本当はいいわけです。
だから、「あーー自分はもう!またこんなことしちゃって!」とか「またこんなネガティブなこと考えちゃって!」とか苛立ったり落ち込んだりする必要も苦しむ必要もないんですね。

…でもその一方で、私は「自分をあるがままに受け入れる」とか「自分を愛する」という考えにも惹かれていて、逆に何でもかんでも(特に自分の誤った考えをも)受け入れればいいのだ、という感じに結局また苦しみの中にはまり続ける、ということもしていたように思います。(全てを受け入れる、というのは真理に則していると思うのですが、自分の本質について全く無知なままに—自分というものを極端に見誤ってしまっている状態で—やろうとしても上手くはいかないと思います。)

何が言いたい文章かよくわからなくなってきました…

要は、私たちの(苦しんでいる)心の中の変わらなければならない部分というのは、その中の原因の領域だということです。
だから自分がしてしまったことやしなかったこと(行為)や、それらに反応して考えてしまったことや感じたことなどはあくまで、心の中の結果の部分であって、変えなきゃいけないとかダメだと思って苦しむ必要はさらさらないということです。
さらに過去の出来事(トラウマ等)に原因を求めることも本質的ではないと思います。それらも皆結果ですから、外側の現象と同じように幻想と見て(そのままにして)眺めていればいいのだと思います。私はそれがなかなか上手く出来ないのですが。(笑)


…昔よく、「他人は変えられないが自分は変えられる」「感謝することが大切」みたいな自己啓発的な考えをかじり始めた頃に、逆にどんどん苦しさが増していったという経験をしたことがありました。
他人(世界)じゃなく自分の心を変えればいいっていうのはわかったけど、その心を変えるということがどうしてもできずに苦しみました。
その結果、自分の心を変えようともがいては空回りし、そしてまた外側の誰かに助けを求めて(依存して)はドツボにはまる、というようなことをずっと繰り返していたように思います。

心のことはなかなか難しいものです。
未だに自我に操られ続けている日々の中で、少しずつでも静かな心の時間を増やしていければいいな、と今は感じています。
外的探索、検索になるべく走らずに、心と世界を眺めながら少しずつでも余裕を持って過ごせるようになれればいいなと思います。

Picture : Chie Yasuda


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