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ありがとう、の電話で思い知らされた傲慢

転職事件のつづきは今日はおやすみです。

私事ながら、今日は挙式してちょうど1年でした。

「前」と「後」に何の差もありません。

してもしなくても何も変わらないし、
気持ちを切り替えて!とか、新しい生活!という
新鮮な気分も皆無です。

友達には「塩花嫁」とまで言われました。笑

そもそも式自体、挙げるつもりがなかった。

昔は「結婚式」というものに
ほんと〜〜〜〜〜に憧れていたんですが、

ある時から次第に、

「この年であんな格好するなんて、恥ずかしい」
「もうどうせ似合わない」
「もう遅い」
「なんなら入籍すること自体もう遅い(年齢的に)」

という、

なんだろう・・

ひねくれ精神・・・?

いえ、違います。

若い=勝ち・価値がある・結婚する資格がある
中年=負け・価値がない・結婚する資格はあるがはしゃぐとイタイ

みたいな、ものすごい勝ち負け精神がが出てきてしまって、世の中の花嫁に喧嘩売るような捉え方を無意識下でガッツリやっていたのでした。

最初は内輪のみで記念撮影して終わるつもりだったのが
少しずつ話しが膨らんできてしまって
最終的にはグランドニッコー東京 台場で
挙式することになっていた。

なんてこった。

でも私、ほんと〜〜〜にやる気がなかったんです。。

・親への手紙は読みたくない
・二人のヒストリー紹介やりたくない
・余興やらなくていい
・ケーキ入刀興味ない

と、やりたくないづくし!
「あんた披露宴でなにやんの?」状態ですw

挙式・披露宴するにしても、

親族のみで集まって、
みんなでお台場の美しい景色を見ながら
美味しいご飯を食べて、
お互いその日集まれたことを喜べたらそれで充分だった。

けど、それもどうも思い通りに叶わず、
話しがどんどん膨らんでしまって予算も爆上がり。

そうなると次第に、コストカットもするようになってくる。
おもてなしより予算を優先してケチな心になり
どんどん卑屈になってくのも感じて準備期間はきつかった。

そういった積み重ねの結果、ワタシ的には
とにかくやる気のない挙式をしてしまった。

終わった後、結局後悔した。

来てくれた人たちに、なんのおもてなしも出来なかった・・・
もっと喜んでもらえるようなプログラムにしたらよかった・・・
地味だった・・・
つまんなかっただろうな・・・

と。

がんばらなかったし、手を抜いてたし、やる気がなかったという自覚だけははっきりしているので、その分「ほんとごめん💧」って思ったのだった。

そして、今日。

やっぱりちょーど1年たってるので、

もっとちゃんとやればよかったな。
親戚も友人も遠いところから遥々お台場まで来てくれたのに。
ほんと、悪いことしたな

と思っていた。

ふとLINEを目にすると、1年を祝うメッセージが届いていた。
電話がなって出てみたら、「1年前は呼んでくれてありがとう」という言葉が届いた。

ありがとうと伝えてくれたのは叔母なのだが、

「去年はこんな田舎から東京のお台場のきれいなホテルに呼んでもらえて、そこでホントに久しぶりにみんなが揃って集まれて嬉しかったんだわ〜

ありがとねぇ。

私はずっと体を壊して体調も悪かったんだけど、たこやきちゃんの結婚式があるって聞いたときから一所懸命食べて太って、だから東京まで行くこともできたんだよ〜。

もう本当にそれがありがたくてねぇ。

今日は絶対このこと伝えたいから電話したんだがよ。

コロナもあるけど、田舎にもぜっっったい、二人で遊びにきてねぇ
70年みてても飽きない、本当にきれいなところだからさ〜」

と、とにかくあらゆることに感謝してくれていた。

それを聞いて、愛に触れた気がして勝手に涙が出た。
ただ愛に触れた気がした。

あんな気合の入ってない挙式をして悪いことした

と、思った自分、後悔した自分を恥じた。

なんて傲慢だったんだ!

あらゆるところでいつも、軌道修正するようにして宇宙からの導きがある。

今日も、過去への後悔や足りないものをカウントしている私に対して、神の使いのごとくメッセージを伝えてくれる人があらわれてくれた。

なんか、肝心の部分がうまく書けなかったのだが
完璧な存在じゃないからこそ
毎度こうして色んな経験をさせてもらえて
愛に触れて感動したりできる。

今日は、ありがとう、という素直な気持ちのおかげで
自分の卑屈さと傲慢さを思い知りましたが
清々しい気持ちでいっぱいです。

おかげで、「あんなに気合いの入らなかった挙式」と
ディスる気持ちより、

「みんな本当に喜んでくれた挙式」という部分に目を向けてそこを認めることができたからです。

ありがとう、ありがとう、ありがとう!!

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