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アマプラ映画感想メモ#78『聖者たちの食卓』

78、菜っ葉という語呂の良さだけで成り立ってると見せかけて実は13の倍数という、抜け目のなさが光る映画習慣78日目。
致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。


今回観た映画はこちら。

『聖者たちの食卓』

〇観ようと思ったきっかけ

ドキュメンタリー、無性に観たくなる時がある。

〇概要

2012年のドキュメンタリー映画。
監督はヴァレリー・ベルトとフィリップ・ウィチュス。

〇あらすじ

インドにあるシク教の総本山ハリマンディル・サーヒブでは、旅行者や巡礼者のために毎日10万食に近い食事が無料で提供されている。その一日の様子をナレーションを介さず、ただカメラの映像のみで捉えた。

〇ノート

今回は、何となくどういう映画か分かった状態で観ることになるので(ドキュメンタリー映画には衝撃の展開とかはそんなにないため)、ノートを取る時に「如何に馴染みのない場所に視聴者を連れていくか」を中心に記録してみた。
まずはデカい鍋という、日常的ながらも目に触れることがあまりないシンボルをぶつけることで、日常と非日常の境目に視聴者を引っ張り込む。
周りで慌ただしく働いている人の声がする中、鍋や大量の食材が映され、これから凄いこと(大食事)が行われると予感させる。
この時点で、雰囲気がだいぶ出来上がっているような気がした。
ムードさえ出来上がれば、後はそれに沿って少しずつ情報を補っていけばイメージが完成していくらしい。具体的には周囲の街やマーケット、人々の服装や人通りの流れ、牛車とオートバイが交差する交通事情、足を洗うことを徹底させるルール、靴預り所などなど。
普通では思いつかないようなその場特有の出来事やシステムを描くことで、そこが作り物ではない、本物の空間であることが強調される。
こういったユニークな部分が作れれば時間をかけて描写しなくても特有の物語空間を作れるのではないだろうか。

また、ドキュメンタリーとは言ってもそこには何らかの『流れ』や『キャラクター性』があった方がよいと感じた。
例えばジャガイモが収穫されてから加工されて薄いパンのようなものになるまでの過程が描かれているおかげで、ジャガイモがどうなるかに注目すればいいと自然に分かったし、どの工程の場面でも、画面内に何だかキャラの立った目立つ奴がいる。
ドキュメンタリーであろうと、物語性・キャラクター性みたいなものとは付き合っていかなければならないらしい。

また、構成にも面白い部分があった。
昼食の片付けの場面で『食器回収』『運搬』『洗浄』の工程を三ループぐらい別々の視点から映すシーンがあったのだが、その流れからシームレスに夕飯の支度が始まり、「あ、今までの工程が日常の中で何度も何度も繰り返されてるんだ……」という、ループ物を前にした時のような果てしなさを感じてしまった。
日常のループを描くという意味でも学ぶところが多々あった。

〇感想

とても穏やかで元気をもらえる映画だったのだけれど、noteを書くための情報を集めようとしたら検索候補に『聖者たちの食卓 コ■■』という候補が出て来て悲しくなってしまった。
コ■■情勢下のドキュメンタリーとかをいつか誰かが撮ることになったら、どんな話になるんだろう? とか夢想してしまう。
案外、上に書いたような『ユニーク』な状況というのは、今現在我々の目の前に横たわっているのかもしれない(面白いかどうかは別として)。

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