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アマプラ映画感想メモ#84『ジョーカー』

84、意外と素因数分解できてビックリしてしまった、映画習慣84日目。
致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。


今回観た映画はこちら。

『ジョーカー』

〇観ようと思ったきっかけ

周りが皆観てるのにそういえばまだ観ていなかったから。

〇概要

2019年のアメリカ映画。
監督はトッド・フィリップス。

〇あらすじ

売れない道化師アーサー・フレックは、老母の面倒をみながら苦しい生活を送っていたが、コメディアンになるという彼の夢は不意に絶たれてしまう。

〇ノート

最近、脚本の本を読んでいて、その中で映画の時間配分の黄金律云々みたいな項があった。
大体25分ぐらいで最初のターニングポイントが来るとか、そういうの。
せっかく大ヒットした映画を観るので、時間配分を記録して照らし合わせながら観てみたら、あまりにも『黄金律』と合致していて驚いた。
やっぱ売れてる作品ってそういう脚本の黄金ルールになるべく合わせて動いてるんだなぁ、と、舞台裏を見てしまったような気分になると共に、『ジョーカー』という構造や観客を蹴っ飛ばすような物語が、実のところ映画業界が長らく培ってきたエンターテイメントの構造をしっかり持っていることに皮肉を感じた。
それはそれとして、やっぱり基本形ってのは大事だなと思う。
そこに本当の普遍性があるかどうかは置いておくとして、何かをやってみようとするときに最初の型になる、ラジオ体操的な何か。
ジョーカーみたいに既存の構造や基本を蹴り飛ばしたい人間こそ、基本を良く知るべきなのではないだろうか、的な。
正直まだ黄金律とかそういうものに対しては眉にツバをつけているが、逆にその型にどっぷりはまり込みにいくような創作もやってみたい。
つまり、皮肉なことがやってみたいという気持ち。

〇感想

タクシードライバーとかイージー・ライダーとかを何となく思い出した。
今まで何回か現実の社会問題と映画内のリンクみたいなことについて考えたりもしたが、今作が一番程よい距離感だなと感じた。
社会におけるアートの立ち位置云々的に考えてもいいし、そういう考え方をする人間を馬鹿にもしている。
観る人を試す映画っていいな。
ゲームブック的でなくても、読解力による技術介入度が発生するような作品、小説でもできないだろうか。

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