「あたりまえ」を再考すること
世の中には様々な「あたりまえ」が存在します。
また、それは常に変化していきます。「あたりまえ」だったことが、ある瞬間から「あたりまえ」ではなくなる。消毒、マスク、自粛、リモートワーク。この1年だけでも世界は一変しました。
子どもたちに限ってみても、オンライン授業、部活動、学校行事、など挙げたらキリがないほど様々な「あたりまえ」が変化しました。しかし、普段意識するものでもないし、それが「あたりまえ」なことであることにすら気が付きません。失ったり、(悪い方に)変化して初めて気付かされます。そして、今このスピード感で変化する時代だからこそ、”気付かされている”ようでは遅すぎるのではないでしょうか。
教育やスポーツの分野においても、
多くの「あたりまえ」が存在します。
特に体育やスポーツでは、古くからの伝統、慣習が根強く残っており、冷静に客観的に見ると違和感を覚える「あたりまえ」があるように感じます。
・体育座り
・前へ倣え
・早期専門化(1つの競技に特化)
・長時間練習、休日なし
・指導者による体罰、暴言、パワハラ
・上下関係
・勝利至上主義
・トーナメント制
・保護者の過負担(当番制など)
etc…
「体育の授業(スポーツ)とはそういうもの」
「勝つためにはある程度の厳しさも必要だ」
「あの苦しさの中での鍛錬で今の自分がある」
「当時は怖くて口も聞けなかったけど、指導者には感謝している。」
これらは今でもよく耳にする言葉ではないでしょうか。
良し悪しについて今言及したいのではなく、時代に合わせて柔軟な発想を持ち、常に検証、検討、継承、改善、改革を繰り返すべきであると私は思います。
中でも検証方法としては、非常に有効だと考えているのが、「比較」です。
・過去との比較
「昔からこのやり方が主流だけど、今の時代に合っているのか?」
・他国との比較
「海外ではどんな考え方がスタンダードなのか?」
特にこれらの比較は客観的な視点を与えてくれます。
但し、「常に過去が間違っている」「海外が全て正しい」と誤解してはいけません。あくまで”過去”や”他国”と比較することで"今"を再検証し、先人の英知を参考にしたり、時には考えを改めたり、変化を恐れないことが重要であると私は考えます。
一番恐れるべきは、考えることを放棄し、ただただ過去に倣って継承していくこと。問題を先送りにしてツケを払わされるのは常に子どもたちです。
先ほどいくつか挙げた体育やスポーツにおける「あたりまえ」ですが、敢えて別の選択肢例を挙げてみたいと思います。
・体育座り
→あぐらでOK(体育座りは体に負担)
・前へ倣え
→話が聞ける距離に集合していればOK
・早期専門化(1つの競技に特化)
→マルチスポーツ(複数競技を経験)
・長時間練習、休日なし
→短時間集中練習、週2日の完全休日
・指導者による体罰、暴言、パワハラ
→論外。外部のチェック体制構築
・上下関係 →年齢優劣ではなく役割分担
・勝利至上主義 →肯定至上主義
・トーナメント制
→リーグ制(一発勝負ではなくより多くの試合を経験)
・保護者の過負担(当番制など)
→指導者側で対応
→保護者から指導者への正当な対価
etc…
もちろんこれらの代替案が全て正しいとは言い切れません。しかし、変えてはいけない理由が逆にあるのか。ここを議論すること、議論できる環境があることが大切です。
繰り返しになりますが、
重要なことはこれまでの「あたりまえ」であっても今の時代にマッチしているのか常に自問自答し、違和感を覚える事象があった場合には再考する意識を持つこと。
今、大人が「あたりまえをヤメる勇気」が試されているではないでしょうか。
自戒を込めて。
second place代表 藤野
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