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ああそうか、ただ単にまだモラハラが続いているのか・・・

昨晩は職場の飲み会があって久しぶりに酔って帰宅。
BBQ的な飲み会なので、夕方4時くらいから火を起こして、5時にはスタートしていた。
仕事が終わらなかった私は7時前にようやく合流。
私はお酒は好きだが、めっぽう弱くて缶ビール2本ですっかりご機嫌。
1時間ほどで出来上がり、事務所に戻って一休み。
コロナのせいもあって、1次会でさっくりお開き、後片付けをして9時前に帰宅した。

そのまま風呂に入って、まどろみながら数日前に送った次女へのラインをチェック。

もちろん既読にはなっていない・・・

酔っ払っていたせいで、先日見つけた
「面会交流アプリ」なるものを起動

このアプリ、面会交流の連絡手段として利用するもので、まずは相手を招待する設定。

先日はこんなの突然送ってもな・・・
とそこで手を止めたのだが・・・
酔っていたせいで、
思わずその先に進んでしまった

相手方、長女、次女のLINEIDを入力
そのまま送信・・・

お酒に酔って行動してしまった私の落ち度だ

酒は飲んでも飲まれるな
まさにおっしゃる通り

3人ともラインは非表示にしてあったのだが
招待通知を送ったせいで、久しぶりに3人の名前が表に出てきた。

当たり前だが、3人とも既読にはならない

そりゃそうだろう、
ブロックされているはずだ

私もしてたから、
文句をいう立場ではない

そう思って眠りについた


現在午前1時半、
変な時間に目が覚めてしまった

そして眠れなくなっている

悶々と、不穏な感情が渦巻いているのがわかる

離婚に思い立った原因を思い出した

相手方からのモラハラに耐えかねて、
離婚調停を申し立てたあと家を出た。

別居して1年ほどした後
経済的に限界が来てしまい家に戻った私を待っていたのは、更なる酷な状況だった

別居前は、帰宅しても誰もおかえりを言わなかったり、相手方に話しかけても相手にされなかったりという状況だけだったのだが

家に戻った私に、相手方がまず放った言葉は
「 何しに戻ってきたんだ 」だった

それからは、私が帰宅すると、
相手方は逃げるように、2階の子供部屋に3人の子供を連れて籠城するようになり

食事も子供部屋にわざわざ運んで食べる念の入れよう

家庭内いじめのような状況が数ヶ月続いた

別居前に私は相手方と子供達に話したことがある

「小学生のころ、学年のリーダー的な子の反感をかってしまい
学年中の男子から無視をされたことがある。
だから、帰宅してただいまと言っても返事がなかったり、行ってきますと言ってもなんに反応もないのは辛いんだと・・・」

そんな話は相手の心に届くはずもなく
別居から戻った私に対する家族の態度は、
さらにエスカレートして、常識を外れたものだったと思う。

なぜそんなことをされるのかわからなかった。

もしかしたら、私はいじめられやすい体質なのかもしれない。

もう全部終わりにしようと、決定打になったのは、コロナの給付金が最初に支給された時だった

長女と次女は給付金のそれぞれ10万円は自分たちのものだから
現金でそれを渡してくれと主張してきた

高校生と中学生の子供に、はいそうですかと渡せる額ではないから
それはできないよという私に、こんこんと自分たちのお金だからそれはおかしいと主張する娘たちに、相手方も加わり、あの悪夢のような話し合いが始まった

この際だから、と次女が語った言葉は、今でもはっきり覚えている

「 正直、パパが家にいても何にもいいことがないから、今までみたいにパパは外で暮らして、お金だけ送ってくれればそれでいい」

長女は、長女で
「発達障害のパパは病院に行ったほうがいい」
「子供の頃のトラウマにいまだに囚われているなんて、パパはなんて情けない大人だ」
「パパの転職も失敗だったよね」

などと、何を言っているんだこの子は?
というセリフを次々と繰り出した。

そう話す娘たちの横で
「ほら、あなたのことなんて、誰も必要としてないのよ」
とでも言うような、勝ち誇った表情で見ていた相手方の表情を見て
私は
「これはもうダメだな・・・」と思ったのだ。

ちなみに、発達障害というのは、相手が言い出した話で全く根拠も何もない話だ

私は自分が能無しでもなければ、
ろくでなしでもないと思っている。

事実、仕事は真面目にやってきたし、
今もやっている。
自慢のように聞こえるかもしれないが、
職場では評価をしてもらっており、前職では小さな会社ながら、中途採用から10年で役員にまでなった。

今は全国的に名の知れた大きな会社に転職をして
苦労はしながら、それでも真面目に働いている。

家族のために、文字通り身を粉にして働いてきたつもりだ。

中高一貫の学校に通いたいという長女と次女が希望する、塾や習い事にもできるだけ通わせた。
将来海外の大学に進みたいと希望する次女を
その前の夏休みには、短期ながらも留学もさせた。

私は私なりに精一杯やってきたつもりだが
私の家族は、
「お金だけ出してくれれば、パパは必要ない」と言ったのだ。

あれから1年半

私は毎月の給料日に 養育費として18万円を子供の口座に振り込んでいる

半年前までは、毎月、多い時には毎週子供達に手紙を書いていた

直接的な無視や、罵倒がなくなったので
心はだいぶ平穏を取り戻したのですっかり忘れていたが

私がここに至る前の状況はそんなだったのだ・・・

既読にならないラインを見ながら

そうか、なんのことはない

状況は何も変わっていないんだと気が付いた。

私はお金だけ出していればいい存在なのだ

今までも、これからも


生きているのが、
また少し嫌になってしまった

そうだ、
それに耐えきれなくて離婚を決意したのに
またそこに戻ってどうする

私にとって、家族とは、
近づいてはいけないものなのだ

思い出したくないことを思い出してしまった

でも忘れたらダメなことだ

近づいてはいけないのだ

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