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フランスの社会構造むず過ぎてワニワニパニック(昭和)(5/23)

フランスでフリーランスとして仕事をするには事業登録をして、SIRETと呼ばれる番号を取得しなければならないらしい。この番号を以てして初めて、社会保険庁や税務署での申告も可能になる。そもそも、この番号がなければ働くこともできない。

そして、この番号を取得する為には移民局に行って、CIRというのが何を指すのかなどを確認し、フランス語の学力テスト、フランス市民と歴史の試験、それらの成績が悪かったらクラスに通って勉強するようだ。そして国からお達しがきた日に身体検査と健康診断を受けて社会保険に入らないと、あらゆる法的な作業が成り立たない。順番がめちゃくちゃだが、エージェントとの契約にも本来は健康保険ナンバーやSACEM(先日登録済み!)の会員番号が必要だった。日本もマイナンバーが常に物議を醸しているが、フランスもあらゆる数字に追われて生きている国のようだということが分かってきた。

これらの取得の順番の正解はどこにも案内がなくて知る由もない。全てがてんでばらばらに存在し、当たり前に扱われているから忠告してくれる人もおらず、手遅れになったら不法滞在になったり仕事を受ける事ができないだけなのだ。

この点、日本の場合は、例えば新しく渋谷区に転入したら市役所職員さんがやるべき申請についてあれこれ教えてくれたり、案内の用紙を下さったり、サービスの高さをいかんなく発揮する。それと同時に、至れり尽くせりの国で育った我々は、総じて海外でのサバイブ能力が想像以上に低いことを目の当たりにするわけだ。(人によるけれども)

日本に比べるとほとんどの国が圧倒的に不親切な作りなので、自発的に考える力がはっきり言って全然追いつかないのだ。

そんなわけで兎に角、素人には分かりにくい作業に追われている。私は元々この手のものが極端に苦手(耳で聞いているのに脳みそが認識を拒否するみたいな病!)なので、素人とされる人たちにも失礼なレベルに極度の素人っぷりを晒してしまっている。

よく分からなくて苦手なものに追われるってのは、地味にこちらの健康を蝕んでくるのでタチが悪い。早く滞在許可証や労働するための準備を終わらせたい。
普通に働いて、普通に確定申告するだけの日々が眩しく見えてしまうぜ....!

以前フランスに住んでいた時は学生だったし、フランスの会社で働いていた時は雇われてお給料を貰っていただけだったので、改めてフランスという国は日本とは全く違う視点と価値観を持ってシステムを形成してきた国家であり、その歴史であるのだなと痛感する。
周りにいる殆ど全員にとって当たり前すぎて、余計な世話をする発想すら持たないような事柄も、外国人の私には知り得ない青天の霹靂のような事柄だったりする。要するに、私はこの国のことを本当に何も知らない。

もういい歳しているもので、正直言ってこういう漠然とした分からなさは結構ストレスだ。もう何十年もフランスに住んでいる人たちがすごい余裕の顔で「え、別にフランスも日本と同じだよ。やらなきゃだめなことって特にないでしょ」と涼しい顔で言いながら何も教えてくれないのを見るのもストレスだし(発言は個人の自由だけど、優しくないなとは思うよね)「結局、フランス人と結婚するのが一番良い!」とバカの一つ覚えみたいに(あえて言葉キツく言いますが)言われるのはもっと嫌いだ。はっきり言って、不自由!他の方法でパリを面白くサバイブしている人たちと会いたいんだが!と思ってしまう。のも、自分の余裕のなさだよなぁ。

でもひとつ深呼吸をしてみると、分からなさという現象自体は「少し面白いかも」とも思う。

だって同じ人間なのに、こんなにも考え方とか社会の構造が違うのに、壮大な人数がそれぞれの「こんな平凡で当たり前の日常で、生きている意味とは?自分とは?」とか悲劇的もしくは喜劇的に生きているなんて、こんなにおかしなことないよね。ストレスに苛まれつつも、どこかワクワクできるうちは頑張れるかなと思う。

"フランスに移住したらこうなんだよ""こういう風にしておけば移住してからの生活が過ごしやすいよ""更新を考えるならこういう風にVISAをとっておくと良いよ"
など、こんな便利な社会だっていうのに、先人からの知恵と経験が集結している場所が全然見つからない。すごく苦労して探してもなかなか出てこないなんて、なんか冷たいなぁというか、島国日本とその特性に頭をもたげてしまう。

今の段階で一つの正解をまとめる立場にはないのだが、無事に滞在許可証が本登録されて発行されたら、日本でお世話になった移住を協力して下さった機関に、パリに来て初めて聞いた「日本で聞いてた事と全然違うやん!今さら手遅れだ.... マジ困った!なんで日本で誰も教えてくれんかったんやろ....」をまとめて伝えようと思う。
誰かがやらないと、これからの人が同じ苦労をしなければならなくなる。

自分だって苦労してきたんだから簡単に教えないわよ、あんたも同じ苦労をすればいいわ!みたいな諸先輩の姿に「意地悪だなぁ、こうはなりたくないなぁ」と思っていた日々に、自分はそういう風な年上のおばさんになりたくないと心に誓った事を思い出す。

なんだか色々苦労していると、たまに悪魔の囁きが聞こえる時があるんです。

「私の時はそんな親切な先輩いなかったのに、次の人は私がいるから助かってずるいよな!私だって私みたいな先輩が欲しかったよ。これらの情報を得る為にお金も時間もかけて失敗もしてきたのに、全部無償で提供して、有り難く思ってくれてんのかな?」などなど、挙げたらキリのない豆皿の度量エピソード、ナンボでもある。

ダースベイダーに飲み込まれる前に「社会貢献」のスローガンを思い出して、そんな意地悪なこと考えている時って幸せなの?それでいいの?って自分に尋ねてみる。

「そんな自問自答をしないと邪念が捨てられないなんて、どんな育ちされてきたんですか?」と他者から軽蔑される前に自分で自分のことを軽蔑しそうになるが、それほどに器が豆皿サイズからのスタートなので、ほうれん草のお浸しを提供できるくらいの小皿を目指して、まずは自分なりの進歩をしていきたいと思う。

世武内寂聴 出家までの道はまだまだ序盤のようだ。

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