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そういう時、人間は美しいのかも知れない(5/24)

広島駅前のエールエール内に新しく図書館ができた。そこでドラゴンフライズの試合が無料であるらしい!と聞きつけ、私もさっそく足を運んだ。うちはマツダスタジアムの目の前なので徒歩圏内だ。まだ試合が始まる前だったのだが、早めに席でも確保しておこうかなと、新しくできたわりにはえらくクラシカルな装いの館内に入る。

ベージュというには少し黄みがかったようなファブリック。ステンレス製の丸っこい手摺りがついたローチェアがちらほら空いていた。何故か色んな本や雑誌なんかに気を取られてしまって、しばらく彷徨いた。

そうこうしているうちに、座席が結構埋まってしまっていた。くしゃっと丸めたタバコの空箱やタオルハンカチ(多分、本通りの雑貨屋さんとかで買ったやつ。或いは、お歳暮とか結婚式の引き出物なんかで貰ったやつかも)で皆んなが席を取っていて、本当にどこも空いていない。やはり市民総出で応援しているのだな。

こうなったら贅沢は言ってられないので、ようやく見つけた背もたれのない木製の小さな椅子に決めた。乱雑に簡易椅子が並んだエリアにひとつだけ空いていた席だ。

私がコメンテーターとして出演していた広島テレビの情報番組「テレビ派」を見て下さっている60歳くらいの女性が「あら、いつも見とるよ。こんな席じゃやれんでしょ。(アナウンサーの)森さんたちと一緒に見らんの?」と話しかけてくれた。

一介のコメンテーターですから、なんでもかんでも優遇してもらうなんてそんな厚かましい立場じゃないんです、と苦笑いしながら答える。
身元がバレてる状態で観戦するのは、なんとなく最後まで人目を気にしなければならないプレッシャーを感じてしまって、他に空席がないかキョロキョロしながらも、まあここで観戦かな?と腹を決める。
"昨今は何でもすぐネットに書き込まれてしまうから"
それっぽい事を言ってはみるが、結局はどこかでカッコつけて品行方正でいようなんて背伸びする自分を恥ずかしくなるだけだった。

席がいっぱいになっても、なかなか試合が始まらない。植物図鑑や理科の実験本などが並ぶコーナーと、文芸誌やいくつかの料理系雑誌が並ぶコーナーの丁度間あたりに窮屈そうに臨時設置されたバスケットコートは、冷静に考えたら卓球の試合も怪しいくらいのサイズ感だ。
誰も疑問に思わないようだったが、ボールが場外に出た時なんかはどうなるんだろう?ふとそんな心配が浮かんだが、今年で引退を発表された朝山(正悟)選手の姿も一目見れるかもとドキドキしているうちに忘れた。

その時、たまにやってくる発作が起こった。

自分がこれまでの人生で関わってきた人たちの顔が、瞬きをするまつ毛と同化して、ひとりひとりの輪郭と同じ形に膨れたり縮んだりしながら猛スピードでめくられていく。パタパタと日付が変わっていくプラスチック製のレトロなカレンダーみたいに。或いは、広辞苑を片手で大雑把にめくる時みたいに。

先ほど話しかけてくれた60歳くらいの女性が、
「あら、世武さんは随分早く色んな人の顔が再現できるタイプなんじゃね!」と感心しながらこちらを見ている。私も私で、少し速すぎるのが悩みなんだけど、たまにこうやって全部ビジョンで出してます。これ、結構便利なシステムですよね。などと和やかに相槌を打ったりした。

自分が忘れていたような人たちのことを思い出すことが良いのか悪いのか分からないが、これは最近人間が獲得した肉体の新技術として、そんな悪くないと思っている。

「選手がバックヤードを出たらしいけぇ、すぐよ!」と図書館でパートをしている方が興奮気味に声を上げた。私も周りの人と一緒にバックヤードの方にガバッと顔を上げた。
俯いて寝ていたのか、両手で枕の端と端を抑えている。
シャッターがびっしりと閉まっているせいで真っ暗の部屋では日の出が全く感じられず、携帯電話で時間を確認すると、すでに朝の10時半。一瞬にして7時間ほど遡り、私はパリで朝を迎えていたのだった。

普段、携帯電話は機内モードにして寝る。
睡眠を何より重んじている(最近寝不足で体力が低下)ので、望まないタイミングで起こされたくないからだ。

機内モードを解除すると、友人からメッセージが届いていた。「ヒロコちゃんと言えばマツダ!」新幹線の車窓から見えるマツダスタジアムの写真がふたつ添付されていた。

返事しようと思ったら、ポンっともうひとつ別の人からのメッセージが入る。「広島にきています!」カープファンにはお馴染みの鯉のぼりの絵文字付きで、カープ坊やラベルの瓶ビールの写真を添えた状態で送られてきたのだ。

この世の中がどういう風に構成されているのかは分からない。でも、説明がつかない波長みたいなものがあって、それは現実も夢も隔たりなく縦横無尽に漂い、私たち人間が気付くことのできないマクロ世界で何億年も昔から存在しているのかも。それが地球の営み、常識としてシステマチックにプログラミングされているだけなのかもしれない。自分の意志でやっていると思い込んでいる全ての事柄だって、実は全部物質として分解できて、だから私の肉体だってただの粒子で、そう考えると懐への収まりがとても良い。

すっきりした気分でお昼ご飯にリゾットを作って食べ、そのあと人との待ち合わせに向かっているところに、広島の爺さんから今日のカープ延長戦での劇的逆転劇の速報が入った。

「カープ10回表小園ソロ、続く末次ソロ、代打野間3年振りの2ランHR、1イニング3ホーマは久し振り。G戸郷ノーヒットノーラン」

新聞のテレビ欄みたいに要約されている文面が、むしろ熱い気持ちをよく表していた。とても爺らしい。

世武裕子という地球の営みの中の小さな粒子にとって、広島だろうがパリだろうが、その微差はどうでもいいのかもしれない。それって、それって... とてつもなく素晴らしくないか!
地球の神秘と広大さに思わず唾を呑み込み、胸がいっぱいになった。誉れ高く特別な気持ちを抱えて、地球とより一体となりたくて目の前に広がるパリの空を夢中で撮影していたら、フランス人男性が声をかけてきた。

「目の前にこんな世界的に有名なノートルダム大聖堂があるのに、それを撮らないで空ばっかり撮ってる君が気になった」

観光客だと思われたのか英語で話しかけられたので、このままフランス語がわからないフリをした方が面白そうだなと思って、英語で会話をしながらそれなりの距離を散歩した。(丁度、目的地の方向が同じだった)

相手がフランス人だから気づいてなかったのだと思うが、二人してとんでもないフランス語訛りの英語で会話をしているものだから、何度も「フランス語で話した方が早いよな、これ」と内心思った。
途中でうっかりフランス語の単語が出てきてしまって訂正した時なんか、おかしくって思わず吹き出しそうになったくらいだ。

目的地の近くまで来た頃、で、滞在は何日くらいなの?と聞かれたので、実は観光客じゃないこと、フランス語も話せる事をネタバラシしたら「ほんとだ!フランス語ペラペラじゃん!じゃあ、このあとコーヒーでもどう?」と突然フランクに聞かれたので(そりゃあ当たり前だ。彼も私もお世辞にも英語が上手いわけじゃないのだから!)これから約束があるから、と連絡先だけ交換した。

地球の粒子は色んなところで混じり合い、ばらばらになり、その都度シャラシャラっと音が鳴ったり、色んな色をしていたり、私が街を歩くのが好きなのは、そういう刹那的な産声をあちこちで感じるからだ。

そういう時、人間はとても美しいのかも知れない。

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