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老いることと残された時間。

私は生涯一人だから
鬱治療の後半は
それで毎日泣き暮らしていた。

住宅ローンが終わる74歳(無謀すぎ…)には
恐らく両親はもうこの世にいないだろうと。

昔の人は結婚も出産も早かったから
私の母の場合は
現在母は71でその母は96で施設で健在だ。
母の父は8年ほど前に亡くなった。

私の父は現在75だが
その母は私が15歳くらいの頃に亡くなっている。
40代前半だっただろうか。
父の父は離婚しているので
今も生きているのかは不明。
父は7人兄弟の下から2番目なので
随分早い時期に亡くしたのだなと
ここ何年かで気付いた。

だが、私の両親には
私と私の妹という娘たち。
父の兄妹は残り少ないが
母の兄妹は今も全員健在だし
母にとっての甥姪とも仲が良い。
友人も多い。

私は、ひとりなんだ。

もう今はそれを悲観して泣くことはないが
やはり
定期的に寂しくなる。

いつかいなくなるんだと思うと
今はまだ全然諦めがつかなくて
今ある時間というものが
どれほど貴重かと思う事が度々ある。

私がなぜ一人かと言うと
友達はリセット癖で全て切った。
職場はもうすぐ17年生だが
そこで知り合う人たちはあくまでも同僚。
仲良くしてくれる人。
馴れ合いで仕事をすると
仕事面でいい加減になってしまうから
職場という環境は友達を作る場所ではない。

いつからか
友達と外で会った後
とても気疲れすることが多くなり
友達付き合いが面倒になった。

気疲れしない家族と一緒にいる事を選んだ結果
それが私の唯一の心の拠り所になり
その家族には時間という制限があるから
人生を素直に楽しめなくなった。

父が時折言う。

毎日が最後だと。

後ろ向きの考え方だなと思うと同時に
まさに事実だなとも思う。

父は数年前に大腸がんステージ2で入院手術。
幸い抗がん剤使用の治療もなく
現在も定期的に通院を続け
転移もなく過ごしてはいるが
本人はどこかに転移するのではという不安がある。

だから
1日1日が勝負だと言う。

母はもう20年近く前に脳出血で入院。
脳幹近くでの出血で手術はせず
現在も年1で経過観察。
車の運転や普段の生活は問題ないのだが
右半身に麻痺が残っている状態。
ワケの分からん腫瘍のようなものを
その入院の時から抱えている。

命は無限じゃない。

分かってはいても
受け入れるには
私には正直辛くて。

いつか私は一人になるのだなと思うと
延々と涙が溢れてきた。

一人で生きる同年代が
現在は非常に多いと感じる。

勤務先にも独身者は多い。

両親も私を残していくのを不安に思っている。

いつか、諦めがつくだろうか。

そう母に聞いた事があるが
母は、今でも諦めがつくもんじゃないと言った。

永遠だったらいいのにと今も思う。

私が一人でいる理由は
他人に興味がなく
恋愛感情を持っていないから。

家族がいればと思うこともある。

でも私にはやはり難しい。

前向きに生きるのも燃料がいる。
その燃料も永遠じゃない。

世界が限界を迎えていると感じてしまって
余計に滅入ってしまう。

とりあえず
期日を感じ始めている父の要望に応え
休日は一緒に出かけるようにしている。

父も、自分の一番上の兄がついに痴呆になり
近い将来を考えているのだと思う。

母も71だが
衰えを感じるようになったと言うし
以前のような覇気がない日もあるので
心配になる。

ヒトの寿命…。

もう少し。
あと20年でいいから
健康でいられる時間を延ばして欲しい。

私も…貧血が酷くなってきて
子宮筋腫のせいだとは思うが
血尿も血便もない、不正出血もない
生理時の極端な出血もない状態での貧血なので
どこかしらから出血しているのかもと思うと。
胃かなと思う事も実はある。

…でも食欲めっちゃある。
胃も痛くもない。
子宮筋腫デカいのに痛くもない。
子宮頚がんもない。
胃カメラは毎年綺麗だ。
大腸がん検診も問題ない。

貧血が酷いなら子宮全摘とは言われたが。

自分も永遠ではないと思う47歳…。

どうにか元気出ないかなと思い
父の行きたい場所へ
毎週末行っている。

どこの誰だか分からない人をサポートする勇気は私にはありませんがアセクシャル46歳田舎で独身工場生活に共感いただけたら仕事もまた頑張れます。