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上司もモンスターになった。
仕事が始まった。
やっと手に入れた年末年始の連休も怠惰に過ごした為にあっという間に消えて無くなった。
働いてる時は1日が責苦を受けているが如く長いのに、始まると朝から憂鬱で仕方がない。
今年は本気70%くらいで働きたい。
生き急いでるの?と聞かれるがそういうわけじゃないし、身を削って生きているわけじゃない。
でも、人からそう見えるということは、もしかしたら生き急いでるのかもしれない。
もっと無責任に、適当に仕事をしていきたい。
無責任に仕事といえば、私の元上司はなかなかのモンスターだった。多分私がモンスター製造機として遺憾なく力を発揮してしまったからかもしれない。
なんというか、だんだん常軌を逸してしまう。
人間社会に産み落とされ、育てられたモンスターは自分がモンスターだと気付かないまま成長してしまう。
これは誰にでも言えることだが、モンスターは依存先、甘える先を探して見つけるのが得意で、私はそれを与えるのが得意なんだと思う。
メダカやハムスターに餌を与えすぎて死なせてしまった話を聞くとモンスター上司を思い出す。
私が甘やかし、大丈夫じゃなくても「いいですよ」と全てイエスで答えた結果だと思う。
調子に乗った上司は自分の不出来を棚に上げて「俺は何を言っても許される」という勘違いをし、許される範疇が広くなりすぎて公私が混ざってしまったのだ。
ある時、上司は会社に子どもを連れてきたいと話てきた。
どうしても、仕方なく、預け先がない…家庭にはそれぞれ理由がある。
当時の私は「見る人がいないなら仕方ない」と二つ返事でOKを出した。
これが良くなかった。
一度良いとなれば二度三度と良いものとなってしまう。良くない前例を作ってしまった。
上司は上司で「この前は良いって言ったのに」と憤慨する。
そもそも会社は遊ぶところではない。
皆それぞれ自分の仕事がある。
他人の子どもの面倒なんて見てる暇はない。
上司は自分の仕事をただ黙々としていれば良いが、こちらはそうもいかない。
一応、上司のお子さんだからだ。
声をかけられれば応えるし、見てほしいと言われれば手を止めて見る。それがどんなにくだらないことでも…だ。
上司は親だから適当にあしらえば良いだろうが、我々は他人だ。
親戚でもなければ、兄弟でもない。
それなのに自分の仕事の手を止めて上司の子どものご機嫌取りをしなければいけないのだ、苦痛以外の何者でもないし、邪魔でしかない。
ここまで読んで
「なんて冷たい人なんだろう」
「会社の皆で上司の子どもを見れば良い」
と心の広い人もいるだろうが残念ながら私は「子どもは皆で育てよう」という概念がないので分かりあうことは無いと思う。
あなたはそのまま優しい人として生きてください。
こっちが「一回くらいなら良いか」と思って許した事が、上司は「一回良かったんだから連れてきていいんだ!」と解釈してしまった。
残念極まりない。
そして一つの許されると物事のハードルが下がる。
元上司はそうだった。
「子どもを会社に連れて行っていいか」
が
「子どもを飲み会に連れて行っていいか」
になった。
これは私の主観なのだが、私は居酒屋に子どもがいるのというのが苦手だ。
21時以降に未就学児が喫煙者と酔っ払いの中でご飯を食べている姿が嫌いなのだ。
その親にも色々理由があると思うが、子どもがいて飲みたいなら宅飲みがおすすめだ、大人の時間に子どもを付き合わせるのが好きでは無い。
その時の子どもはやる事が無さすぎて延々にYouTubeを見ているかゲームをしている。
もう寝かせてあげてほしい、という気持ちになってしまう。
会社に子どもを連れて行っていいか?
飲み会に子どもを連れて行っていいか?
こんな会話が繰り返される事が増えた。
挙句、社用車で帰宅し子どもの保育園のお迎えに使ったと知った時は、一度でも広い心で受け入れた自分を責めた。
ここまで上司を調子に乗らせたのも、思い通りに物事が動くと勘違いさせたのも周りにいる私を含めた社員であったと反省した。
モンスターは人の心の隙に付け入る。
硬く閉じた心のドアを少しの仏心で開けようものなら、隙間に足を挟んで、閉められないようにして無理矢理、自分の感情を押し付けてくる、押し売りみたいなもんだ。
本人の言い分は「その時言ってくれなきゃわからない」「じゃあなんで良いって言ったの?」になるが、こっちは職場が託児所になるなんて思ってもいない。
金を払って子どもを預けるより、タダで子どもを社員の誰かが見てくれる会社に連れてくるほうが得だと考えたのかもしれない。
別にこの上司は片親ではない、なんなら待機児童でもないし、近所に親も住んでいる。
それでも子どもが見れないと言うから優しさで受け入れたのに「見てくれるのが当たり前に」に進化させてしまった。
子どもに罪はない。
あるとしたら親だ。
会社に子どもを連れてくるというなら責任持って自分で面倒を見てほしい。
連れてくるのは許したが、その子どもの面倒を社員が見るのは許してない。
この上司は暫くして退職したが、全面的に自分が悪いのに顧客、取引先に個人的に連絡して会社の悪評を振り撒いていったのは、また別の話。
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