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私には、思い出せないことがあります。

私には、どうしても思い出せないことがあります。

2年ほど前までは、思い出せないことがあることさえ、思い出せていませんでした。

私が産まれてからのこと。私が産まれた後、小学校教師をしていた母親がすぐ仕事に復帰したので、私は近所の家に預けられることになりました。そして、幼稚園に入るまでの3年ほど、毎日のように、その家で過ごしていました(母親が働いているのに、なぜ保育園ではなく幼稚園に入ったのかは割愛)。

その3歳頃までの出来事で、覚えていることもあります。でも、その預けられていた家で過ごした日々の記憶が全くないのです。その家にいた人たちのことも。そこであった出来事も。写真を見ても、何も思い出しません。家で過ごした時間よりも、預けられた場所で過ごした時間のほうが圧倒的に多いはずなのに、何1つ覚えていないのです。

たった1つだけ、かすかに覚えていることがあります。

その家におじいさんがいたのですが、私がその家から帰る時に、おじいさんのほっぺにチュッとしてから帰らなければならないルールがあって、それがとても嫌だったこと。

でも、その記憶さえも、薄ぼんやりとしていて、本当に事実かどうか分からないほどだったので、親に聞いて、そういうことがあったと確認しました。

そのおじいさんは、とても怖い人だったそうです。婿養子がいたらしいのですが、その人が出ていってしまったほどに。私が嫌がっていたのも納得できます。

そういう諸々の事実と私の人生のこれまでの軌跡、私がある言葉を聞くと少し動悸がしてしまうこと、などを合わせて考えて推察するに、恐らく、私が思い出したくない記憶は、その怖いおじいさんにされた嫌なこと、か、あるいは、私よりも10歳くらい上の男の子がいたようなのですが、その子にされた何かひどいこと。どちらか、あるいは、両方か、今となっては想像することしかできません。

私が小さい頃、男の人が来ると、逃げる、隠れる、泣きわめく、という奇妙な行動をするようになっていたのも、そう考えれば辻褄が合います。

その空白の記憶は、いつか思い出すかもしれないし、いつまでも思い出さないのかもしれません。

私が失っている記憶を思い出す時が来るとすれば、思い出しても大丈夫な環境が整った時だそうです。思い出したとしても、私が壊れることがないような安全な状況になった時。

そして、それは、もし、思い出したとしたら、その時から、地獄の日々が始まるような類の記憶である可能性もあります。

もしかしたら、死ぬまで、思い出さないで終わることもあるかもしれません。

それは神のみぞ知るなのですが、でも、その空白の記憶があったおかげで、恐らく、私は自分を語る言葉を、音楽を、楽器を、学問を、声を、必死で追い求め続けてきたのだし、その空虚さが、悲しみが、苦しみが、優しさが、喜びが、楽しさが、私の音楽に、文章に、詩に、乗ることで、誰かの心に何かを届けることができるのなら、きっと、それが私がこの生を生きていく意味なのだと思います。

私が傍から見ると、すこし奇妙な感じに見えるかもしれないのは、こういう背景があるということを伝えておく必要がある気がして、書きました。

これが私。ただそれだけ。それ以上でも、それ以下でもありません。

この文章が、この世界にいる70億人の中の誰か1人にでも、何かを届けることができるなら、それで私は幸せです。

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