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自立とは、依存先を増やすこと♪

イーグルスの Desperado という曲があります。
Desperado は「ならず者」という意味ですが、最後の歌詞はこんな風になっています。

Desperado (ならず者よ)
Why don't you come to your senses(目を覚ましたらどう?)
Come down from your fences(フェンスから降りて)
Open the gate(ゲートを開けて)
It may be raining(雨が降っているかもしれないけど)
But there's a rainbow above you(君の上には虹があるんだよ)

その後に、こう続きます。

You better let somebody love you(誰かが君を愛することを許した方がいい)
Before it's too late(遅くなりすぎる前に)

「愛されることを自分に許可したら?」という歌詞ですが、そのことについて、ちょっと考えるために、脳性麻痺で車椅子生活をしている東京大学准教授の熊谷晋一郎先生の主張を考えてみます。彼の主張は、一般的には受け入れがたいかもしれないですが、「自立とは、依存先を増やすこと」。

彼がこのことに気づいたのは東日本大震災の時だそう。彼は地震の時、エレベータが止まって、5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。それはなぜかと考えた時、自分には「逃げる」ことを可能にする「依存先」が少ないからだと気づいたんだそうです。

他の人は階段やはしごでも逃げられる。5階の研究室から逃げるという行為に対して、3つも依存先があるけれど、自分にはエレベータの1つしかない。

つまり、健常者は何にも頼らず自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされているけれど、真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていないということ。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できる。それが「健常者である」ことなのだ、と。

実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、「自立」といわれる状態ということ。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
(出典:https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_56_interview.html

世間の常識とはかけ離れすぎていて理解に苦しむ人もいるかもしれませんが、車椅子生活をしている彼だからこそ、気づけたことだと思います。

これを先ほどの歌詞の「愛されることを自分に許可したら?」とつなげて考えてみると。誰かからの愛情を受け入れるためには、受け入れるための「凹み」が必要です。鋼鉄の壁で塗り固められていたら、何も受け入れることはできないですから。

誰かに愛されることを受け入れられない人は(私にもそんな時期がありましたが)、自分の中に「凹み」を許容できない、ということなのかもしれません。そして、それは「凹む」ことですから、言ってみれば、依存的な行為かもしれません。でも、そうやって依存先を増やしていくことが、自立の状態へ向かっていく、ということ。

自立と依存は、そもそも対立概念でさえないかもしれない、というお話でした。こういうことを、私のような見た目が弱そうな人が書くと批判されることが経験上分かってるので、あまり書きたくないのですが、常識にメスを入れる一助になればと思って、身を挺して笑、書きました。

Desperado の私のアカペラはこちら↓


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