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私には、別の言語が必要でした。

私は、小さい頃から、ほとんどしゃべらない子供でした。
どうしてそんな風に育ったのか、
もともとそういう気質だったのか、
仕方ないのかなと思っていましたが、
もしかしたら、そうではなかったのかもしれない、
ということが最近、分かりました。

私は生まれて半年で、母親が仕事復帰したため、
昼間、近所の家に預けられるようになりました。

そこには幼稚園に行くまでの間、ずっと預けられていたわけですが、
そんなに長い時間を過ごした場所だったにもかかわらず、
そこで過ごした記憶がほとんど何もないのです。
なんで覚えてないのかなあと思っていました・・・

最近分かったことは、その家のおじいさんが、とても恐い人だったということ。
「むつみ、こっち来ーい!!!」
とか怒鳴るような人だったそうです。

そう言われると、そんな記憶がかすかに蘇ります。
(なんでそんなところに、3年近くも預けていたのか、謎なわけですが・・・)

私にとって、外の世界は、とんでもなく恐いものになっていたのでしょうね。
男の人が来ると逃げる、隠れる、
男の人と写真を撮るのを泣いて嫌がる。
そういう異常な行動をしていたそうです。
そこで誰かおかしいと気づきなさいよ、
と言いたくなりますが笑、誰も気づかなかったのですね。

そうして、私は自分の口からはしゃべらない、しゃべれない、
自分の世界にこもる人間になっていったわけです。

話し始めるのが異常に早かったにもかかわらず、
幼稚園に入った時には、最初の3ヶ月ほど、
園の中で一言もしゃべらなかった、という逸話もあります笑

でも、私は、しゃべることができないからこそ、
自分を表現できる「別の言語」を、必死に探していたのだろうと、今となっては思います。

その「別の言語」が、私にとっては、外国語だったり、ピアノだったり、
歌だったり、詩だったり、論文だったり、小説だったりしたわけです。

英語、フランス語、中国語、韓国語、果ては、古代ギリシャ語、ラテン語など、異常なほどに外国語を勉強し笑、ピアノ、エレクトーン、フルート、バイオリンなどの楽器を習い、詩を書いたり、論文を書いたり、小説を書いたりしているのも、全てはきっと、そこから出発したものだったのでした。

私には、日本語以外の、あるいは、言語以外の「別の言語」が、
自分を表現するためには必要だったのですね。

だから、もし、私が誰かの助けになれるのだとしたら、
きっとそれは、表現することが苦手な人なんじゃないかなと思うのです。
そういう人の気持ちが、私には痛いほど分かるから。

かつて、学生の頃、子供に英語を教えるバイトをしていたことがありました。
小さい子では、生まれて半年くらいから、大きい子では、小学生くらい。
習いに来ていた子で、とても大人しい5歳くらいの女の子がいました。


英語はおろか、日本語もほとんど話さない。
私はどうしてもその子が気になってしまい、
度々、彼女の気持ちを代わりに言ってあげるようなことをしていました。

例えば、クロスワードのようなものをやっていて、アルファベットを探すけど、なかなか見当たらない。私が声をかける。

「どこにあるかな〜?」
「……」
「そのもうちょっと下かな〜」
「……」

その子の鉛筆が止まったところで、私が言う。

「あった〜♪」
「……」

彼女は、アルファベットに丸を付けた後、
顔を上げてにっこり笑うけど、何も言わない。
そんな女の子とのやりとりをしていく中で、
彼女はいつの間にか、私に一番、なついている子になっていました。

でも、時が来て、私がそのバイトを辞めることになり、
みんなにそれを伝えた時。
私に抱きついてきたり、私の手を離さなくなったりする子がいる中で、
その子は、ふいと私の元から離れていって、
教室の壁に貼ってある「かるた」をぶつぶつと読み始めました。

それが、彼女の中の悲しさの表現。
そんな風にしか、表現できない。
その姿を見て、涙が止まらなくなりました。

そうして、お別れの時間が来て、
彼女は、お迎えに来たお父さんと一緒に帰っていきました。

私は、何とも言えない気持ちで、教室に戻ろうと、
振り返って、教室のドアに手をかけようとしたら、
後ろから「バタバタバタ」という大きな音がして……
何だろうと思った瞬間に、私の腰に、小さな両手が巻かれました。

後ろを振り向くと、あの「かるた」を読んでいた女の子が、
私の顔を見上げるようにして、寂しそうに見つめていました。

その子がそんなことをしたことは、これまでに一度もありませんでした。
彼女のお父さんは、後ろで呆然として、その姿を見つめていました。
それは、今思えば、彼女が初めて、自分の気持ちをはっきりと表現した瞬間だったんじゃないかなと思うのです。

相変わらず、何も言葉は発さなかったけれど、
彼女が全開で、自分の気持ちを表現してくれたことが嬉しくて、
私は、彼女の髪をなでながら、
涙声で「英語、がんばってね」と言うのが精一杯でした。

誰しもきっと、言葉にならない想いを、何かしら抱えていると思うのです。
私は話すのが不得意すぎたからこそ、
いろんな「別の言語」を身に付けました。
そうして、言葉からも、言葉以外からも、
人の想いを汲み取るのが得意になったんだろうなと思います。

表現することが不得手な人が、表現をするお手伝い。
そんなことができるかな〜と思っています。

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