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水の流れのように身をまかせる…コントロールしようとしていたのは他でもないわたしだった

友人から水のお話をきいて

すべてがつながった

水の循環 全ては共に震えている

私の中でとても衝撃的で

新しいうつくしいメロディがおりてきた

そして

自然にまかせながらそのメロディをたどっていく

わたしはいつもこうやって曲を作製しているけれど

この行為がすべてを説明してくれた

すべてにおいて

コントロールできるものなど

なにひとつなかった

「こうしたい」

「こういう世界を生きたい」

という望みを放つことと

コントロールは違う

その違いを

しっかり受け止めていることが大切

メロディをたどるとき

コントロールすることはできない

この後はもう少し盛り上げるために

ドラマチックなメロディラインにしたい

出てきた ラインをおおはばにはずすことが

できない

出てくるままに任せる

私の場合はこれが一番よい作品となる

だから
自分が作品を作る際に

今回はアップテンポで
激しくてノリノリの曲にしたい!!!

とか
もっとおしゃれでかっこよく
ステキな気分になれる曲がいい

と思って創ることが実はできない

それはわたしの担当ではない

わたしの仕事はそういう作品ではない

それにやっと気づく

そうだから

出てくる音をコントロールすることはできない

ましてや

この先の出会いや

やっていくこと

友達と会ったり

遊んだりする時間

仕事の仕方

恋愛関係となる異性であったり

結婚相手までも

コントロールはできないのだ

そう 改めて気づいた

そういえば
そういう うた うたっていたよな?

なんどもわすれて
なんどもおもいかえす

今はそれでいい

わすれておもいだす
それがいまのちきゅうのやりかた

自分が力強く

自分が生きる いま を

選ぶ

という

けれど

それは

わたし の のぞみ

の中で

自分が

たどる せかい の

どういう気持ちになれる世界なのかを

選んでいるのであって

細かい選択肢は

ある程度委ねられている

そういう解釈でいいのかな

と思う

抽象的ですね。。。

でも

そういう

感覚の中のおはなし

ここをずっと

わたしは間違って解釈していたから

こころに葛藤をかかえていたのだと思う

なんで?って


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