ジャニーズ問題に対する一ファンのとりとめのないエッセイ

あなたが例の問題を知っているテイで話を進める。

大騒ぎである。僕もテレビとスマホを見てずっと振り回されっぱなしだ。「見なきゃいいじゃん」と言われるかもしれないが、ジャニーズは好きなのでそういうわけにもいかない。

吸い寄せられるように、数々の意見をスクロールしながら見た。できれば見ないようにしたいのだけど。それでも見てしまうのは、声の多いところに行きたがる人間の性のせいだろうか。


「ジャニー喜多川氏の性加害」と「所属タレントの功績」は独立している別物だと思う、思いたい。しかし、ジャニー氏がいなければ数々のタレントは世に出てこなかったわけで、タレントを起用することは、この問題への容認と捉える人もいる。そう捉えるのが社会や企業の論理。

個人的な話をすると僕は、嵐の大ファンだったし(現在嵐が活動休止中なので便宜上こういう表現をしている)、今でもたまに他のグループのCDを買う。好きのスタンスは変わらない。けど、供給元であるメディアへの露出が減れば、おのずと触れる機会は減る。

どういうスタンスをとるべきだろう。これまで通りあるいは、これまで以上に応援することか。ただ、手放しで闇雲に応援していいのかと少しだけ逡巡する。無論、好きの気持ちは変わらないが、「ジャニーズが好き」ということに対する世間の見方はこれまでとは変わってしまうかもしれないからだ。

…事務所にとってもファンにとっても逆風だ。


ファンはタレントが好き。好きという感情がある時点で、盲目になってしまう。バイアスがかかってしまう。それでも、いくらか冷静に考えてみると、ジャニーズ事務所は特殊だったと思う。

思い出す本がある。『ジャニーズと日本』(矢野利裕)という本だ。批評家・ライターである筆者が、ジャニーズの歴史とカルチャーを、ジャニー喜多川氏のルーツを踏まえながら論じていく一冊。

ひとつ引用しよう。

啓蒙的な意志のあるジャニーズにおいては、「いま日本で流行しているものはなにか」とか「いま日本ではなにが起きているのか」といったことは、それほど重視されない。
ジャニーズが目指すのは、日本人を徹底的に囲い込んだうえで、見たこともないような エンタテイメントを見せつけることである。このような姿勢が、日本人に新鮮な驚きをもたらしてきた。

講談社現代新書 2016年出版 224ページより

著者はジャニーズに対して賞賛のスタンスで書いていたと思うし、僕も肯定的に読んだのだけど、今ならそれが違ったニュアンスで響く。


適切な表現か分からないけど、日本人を囲い込んで囲い込んで、ジャニーズ事務所は大きくなっていった。そうやって壁を築いていって、多くのファンを獲得した。そんなこと言うと、文化とはそういうものだし、人はいろんなものに囲い込まれているのだけど。

ジャニーズという壁が崩れる…と言っていいかは分からないが、ファンとしてはあのジャニーズ事務所がこういう状況になっていることにビックリしている。危機感を覚える。時代は変わっていくものなのだと感じた。

これまで内を見すぎていたきらいがある。外に目をやらなければいけない時代が来たのかもしれない。


この問題に関して、一ファンが真実を知ることは多分できない。明らかになっていないこともあるだろうし、メディアから伝えられる情報も一部分でしかない。しかも、それが偏った情報だったりする。

なのでまぁこの件のことは忘れないでいながら、外にも目をむけつつ、タレントは変わらずに応援し続ける。それが賢明なのではないか。ややこしいけど。

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