ミャンマー4日目にして未熟さを感じた件
お嬢、隔離生活4日目。今日は、なかなか大変な日でした。
Wさんからの連絡
朝10時頃、仕事をしていると、一緒に働いている我が社の現地のスタッフ、Wさんからチャットで連絡が入った。
「これまで仕事で親しくお付き合いしてきた友人が、今朝出勤中に銃で撃たれ、さっき亡くなった」と。
相手は、我が社と一緒にプロジェクトを進めてきた組織の社員。最近、昇進したばかりだったらしい。Wさんに電話をしてみると、「なんで彼なんだ。彼は毎日、仕事始めに”元気?”、仕事終わりには”今日もお疲れさま”とメッセージを送ってきてくれたり、我が社の仕事に快く協力してくれた。なんで彼なんだ。なんて言えばいいのか、言葉が見つからない…」と言いながら号泣している。
こんなとき、なんて言えばいいかわからない。「わかるよ」なんていう言葉も、表面を撫でるだけで安っぽく聞こえてしまうし、その相手に会ったこともない私がWさんの気持ちをわかるわけもなく。さらに英語でなんて言えばいいのかわからなくて、私はただ”ウンウン”と聞いているしかなかった。情けなかった。
「人々はみんな行き過ぎている」
Wさんが言っていた言葉だ。ミャンマーの人々は、とても真面目で心が優しくて、他人に対して思いやりのある民族だ。でも、軍政と民主派が対立している現在の状況下で、本来の自分ではいられなくなっている。本来は同じ国民なのに、軍政と民主派という2つの対立する概念の元で、「お前はどちら側なんだ」と、お互いが戦ったり、殺しあったりしてしまう。
元は軍にいた人でも、今はまったく違う仕事をしている人はたくさんいる。それでも、元軍というだけで、民主派から標的にされる人がいる。実際、亡くなった人もいる。所属とか、肩書きとか、何を支持しているかとかとは別に、その人自身が持つ素晴らしさ、心の優しさ、信頼、そういったものが見えなくなっているのだ。
私たちはどうだろう?
ミャンマー国内の争いを見ていて感じたものの、私たちはどうだろう?
ミャンマーを外側から見ている、つまり、テレビやSNSのニュースや新聞の記事でミャンマー情勢を知る外国人の私たちは、ミャンマー人ひとりひとりが持つ本質を見ているだろうか?
それよりも、
・ミャンマーは軍政に戻ってしまった
・2021年の成長率は▲17.9%に引き下げられた
・ミャンマーから外資がこぞって撤退している
というニュースの見出しやテレビの特集だけを見て、ミャンマーはもう有望ではないなとか、ミャンマーの人ってなんて残酷なんだろうとか、一括りにしていないだろうか。
お嬢は、正直ミャンマーに行く前はそう思ってました、ということに残念ながら気づきました。軍政に戻ってしまったミャンマーは、向こう10年くらいはなかなか成長が見込めないなと思っていたし、国民を躊躇なく殺す国軍はなんて酷いんだろう、と思っていました。ひとりひとりを見るのではなく、ミャンマー、国軍、民主派と一括りにして。
ミャンマーにきて実感するのは、確かに今国軍と民主派の戦いはあるのだけど、普通に人々の生活があって、みんな心が綺麗で優しくて勤勉で、本人たちの方がよっぽど辛い状況だろうに、外国人の私たちに思いやりを持って接してくれるということなんです。
おそらく、世界中でミャンマーのイメージはがくんと下がっていると思います。もう見放している国も少なくないと思います。でも、「ミャンマー」と一括りにしないで、人々ひとりひとりが環境に屈せずに持つ美しさを伝えることは、大事なことだと思ってます。
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