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【読了記録】 『魔の山(上)』(トーマス・マン) 感想

トーマス・マン『魔の山』の上巻を読んだ。正直なところこの本についての感想文を述べるのは難しい。だが本で得たことのアウトプットとして、感じたことや考えたことをつらつら書いていこうと思う。

どんな人からも学べるところがある

僕が最近日に日に感じることがこれなのだが、それをこの小説は多彩な登場人物を描くことで巧みに裏付けている。
例えば作品内でしばしば『無教養』と批判される登場人物のシュテール夫人からだって、沢山のインスピレーションを得られる気がするのだ。(もっとも『無教養』という評価は作中の主人公であるハンス・カストルプのものなのだが、それはこの際置いておく)

彼女は頻繁に普通の人との認識のズレを単語や発言内容から示唆させるが、時として独特の煌めきやユーモアに満ちた発言や行動もあったように僕には思えるのだ。
僕はそれこそが彼女の本質であって、無教養とかそんなのはきっと瑣末なことなんだと感じた時があった。

教養があれば確かに考え方に深みが出るだろう。だがそれ以前に誰しもが持つ実直な感情や思考そのものの方が大切なことなのではないか…そう彼女は僕に考えさせてくれた。

愚かしく思える人を『愚か者』と言い切るのは簡単なことだ。だけど安直に人を悪く評価したりレッテル貼りしたりすると、その人から学べることや得られることはもはや何もなくなってしまう。それを彼女は最も如実に示唆していたように思えるのだ。
僕は人を第一印象的な話題や行動から判断するのを慎もうと思った。

きわめて『ドイツ的』な小説

僕が他に考えたことがこれだった。
この小説には様々な国籍の人物が出てくるが、彼らが完全にそれらの国々を代表している国際色ゆたかな人間として描かれているかと言えば、必ずしもそうではなくて、どの人にも多少なりとも我々が一般的に抱くドイツ人の雰囲気が含まれているように思った。

つまり、論理的で分析家で一つ一つの物事への議論が好きなイメージであり、少しお堅い感じのするあの例のイメージだ。
もちろん、全ての人に最初からこのような固定観念を抱いて読んでしまうと、僕自身が上に書いたようなドグマに陥ってしまうのでやめにしたいが、少なくとも今まで出てきた人物の中にはそのようなものが見え隠れしていた気がする。

逆に言えばそういうのが好きな人(僕もその類かもしれない)にはこの小説は極めて面白く、様々なものを与えてくれそうだ。
僕もどうせ固定観念を持つのなら、できるだけそういうポジティブなものを持って下巻も読んで行くことにしたい。

何かの小説を読んでいる間は、読者はその主人公に似てくるらしい


人物の中では僕は『善良なヨーアヒム』が好きなのだが、気づけば日常の中でも、主人公のハンス・カストルプのように色々考えて、一つ一つ行動を改善しようとしては失敗している僕自身を見出した。

どうやら小説を読んでいる期間中は、読者はその主人公に感化されやすいようだ。小説の持つ独特の魔力を感じると同時に、これから先に主人公を待つであろう成長の体験を、僕も追体験していければと思った。

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