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僕の読書遍歴に関する随筆 【安部公房と自己発見】

ヒトはそれまで話したり聴いたりして摂取した言葉によって作られ、育てられ、培われるとよく言う。
だから僕は、仮にも自分自身をより良いヒトにするため、より良い言葉を聴いたり話したりすることを心がけてきた。
そこでである。本があればたとえ良い言葉を聴いたり話したりできない環境下にいても、いつでも『読む』ことによってそれらを摂取できる。
だから本は、成長自己実現に繋げるための最も手軽でかつ大切なツールと言えるだろう。そんなわけで僕は今日も本を読む。

安部公房は自分の世界行きの片道切符だった

大学に入りたての頃は知識人になりたくて、往復の電車で例えば安部公房やニーチェを読んだ。

もはや字が小さくて読めなくなった古い版の新潮文庫『水中都市・デンドロカカリヤ(短編集)』を読んでいたあの頃、まだ想像力の盛んだった僕はそこが電車の中であることをすっかり忘れてしまった。
その独特の、それまでの自分の想像を超えた世界にすっかり嵌まり込んでしまったのだ。

安部公房を読んでいる時は、いつも夢の中にいるような気分になっているなと、僕は今でこそ自己分析できるのだが、当時はそこまで器用じゃなかった。

多分この作家は小さいころの僕がよく寝る前にやっていたような、
頭の中で自分の世界を形作り、自分の物語をそこで展開してそれを自分だけで楽しむ
作業を生涯に亘って多分に行っていたのではあるまいか。こんなことを考えてしまって頻繁に電車を乗り過ごしていた。

思えばこんなふうに僕の理想家気質が育まれてきたのだろう。結局それが良かったのか良くなかったのかわからないけど、自分の中に自分の世界を展開することだけは上手になった。

そしてその世界は今も僕の内外に建設中の理想郷だ。僕はただそれのみを追い求めて生きている。
周りから見たら奇妙に映って、人によってはバカにしたり毛嫌いしたくなるだろう。だけど、そんなの構うか。

通学の電車を往復していたのに、どうやら僕は自分の世界へと一直線に進んでいたらしい。

考えてみれば成長と自己実現のために本を読んでいたつもりが、自己発見に繋がっていたようだ。ともあれこの認識は自分の範囲内では間違いではなさそうだ。

次の機会には、本がそれらのことを実現してくれる仕組みについて、中途半端な生物学的な知見も踏まえて、僕なりに少し考えてみよう。ニーチェについても、いつか考えてみたいと思う。

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