イラスト6

大学が終わった、青春が終わった。

青春は、過去を二度と戻れないものとして振りかえったときに立ち現れる。あれが青春だった、と今更のように気づかされる。そしてそのとき、青春が終わる。

旅行や合宿を懐かしむことはこれまでに何度もあった。サークルのイベントや学園祭も、ひとつが終わるたびに淋しい心地がして写真を見返した。でも大学での四年間を、あるいは小学校からはじまって連綿と続いた「学生」の日々を、二度と戻れないものとして思いかえすことはなかった。

昨日、大学での最後の授業があった。一週間ぶりに訪れるキャンパスを歩きながら、この四年間を思い出した。その瞬間から、青春が終わりはじめた。見慣れたキャンパスや、そこを歩く学生たちが突然いままでと違って見えてくる。それらはすでに青春の遺産だった。

校舎のあいだにひと群れのベンチがあった。教授の気まぐれで授業がはやく終わったとき、そこに座って小説を読んだのを思い出す。色いろな出来事があったのに、そういうどうでもいいようなことばかりが想起される。当時はなんとも思っていなかったことほど、愛おしいのかもしれない。そうして、小中高と積み重なった青春の山に、大学のそれが加わる。

学部の友だちとは、当たり前のように映画や小説の話をした。音楽や漫画に通じた友人から様ざまのことを教わった。ひとりで美術館や観劇に出かける者もたくさんあった。文化芸術に関心のある人間がこれだけ集まるなんて、信じられなかった。

ほんとうに居心地のよい場所だったと思う。やっと居場所を見つけたような感覚だった。それなのに、たった四年で去らねばならない。あと何度だって一年生に戻ってやりなおしたい。でも、決して戻れないことも知っている。そういう時代こそが青春なのだ。

学生には卒業という区切りが用意されていて、だからこそわれわれは過去を青春と名づけて振りかえる。小学校・中学校・高校・大学と年齢の上がるにつれて移ろうシステムは、後戻りをゆるさない。

サラリーマンになると、この区切りがなくなる。転勤や転職はあるけれど、それらは横滑り的だ。ある年齢に達したら次の段階に進まねばならない、というものじゃないから、二度と戻れないという感覚も稀薄だろう。だから、大学を卒業してしまうと青春は手にはいらない。

ある楽曲に「青春時代が終われば 私たち、生きてる意味がないわ」という歌詞があった。そしていま、青春時代は終わったのだ。

一銭でも泣いて喜びます。