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ミサイルが降り注ぐ街で〜ロシア軍迫るハルキウ現地取材〜

2022年7月中旬

毎晩ミサイルが降り注ぐ街ハルキウの片隅。

ハルキウの若者達は夜が更けるまで、毎日歌を歌っていた。

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ミサイル攻撃やロシア軍の侵攻による砲撃で多くの建物や生活は破壊された。

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2022年7月中ば、一時ハルキウから撤退したロシア軍は再びハルキウのわずか10キロ手前まで進行してきていた。

毎晩ハルキウに降り注ぐミサイルで多くの建物は破壊され、罪なき市民の命は奪われた。

夜が更ければハルキウのどこかにミサイルが堕ちてくる。

多くの市民が夜の爆撃に恐怖して、いつしか感覚が麻痺し、それが日常となった。

そんな、ハルキウの街でミサイルが降り注ぐ夜になるまで、若者達は笑い、踊り、話し、歌い、音楽を奏で、今を一生懸命生きていた。

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日本でそんなことをすれば、不謹慎だと炎上するかもしれない。

しかし、彼らの歌が不謹慎でなどあるはずがない。

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その歌は、ハルキウの人の誇りなのだから。

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彼らは戦っているのだ。

歌うことで。

戦争や侵略、世界の理不尽などに彼らの平穏も自由も、人生も青春も奪われてはならないと。

だからこそ、伝えなければならない、そんなハルキウの人々が世界の理不尽や戦争と戦い、懸命に今を生きる姿を。

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ウクライナ第二の都市ハルキウ。

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ハルキウの地下鉄でこれる最北(戦争中なので、地下鉄の終点の4駅前で電車は止まる。)。

そこから北へ向かい、地下鉄の終着駅を超えて、さらに北へ向かうと目的地の最前線手前のエリアにたどり着く。

たどり着いた瞬間に、ここがハルキウの最前線に近い危険地帯だということを即座に認識させられた。

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バス停の目の前のマーケットはミサイルで爆破され、黒こげの廃墟と化していた。

焦げ臭く、ゴムのように苦い臭いが漂っている。

それは、紛れもない戦争の臭いだった。

周りの家は砲撃で破壊されている。

この場所は5月半ばにロシア軍がハルキウから撤退するまで、ロシア軍に占領されていた。


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橋を渡り、北へ進み、最前線に近づくにつれて爆撃跡は増えて、人は減っていく。

進めば進むほど、その光景はまるで現実のものとは思えないものと化していく。

その光景はまさに、世界の終わり、世紀末、死後の世界、、そんな言葉がふさわしい光景であった。。

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北からバンバン、ババババという音が聞こえる。

ロシア兵とウクライナ兵が戦っている戦闘の音だ。

聞こえるのは唯一、その戦闘の音だけだった。

人影は徐々に減っていた。

そして、たどり着いた橋の向こうは人が誰も居なかった。

明らかに橋の向こうは空気が異様だ。

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ここから先へはきてはいけない、そう警告しているような光景だった。

北からは、バンバンババババと依然と戦闘音がしている。

、、先に進むのはやばいのかもしれない、、怖い、、

ウクライナに来て初めて怖いと恐怖を覚えた。

しかし、この先の光景こそ見なければならないのだ。

意を決して橋を渡った。

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誰もいない、地獄絵図のような街を探索していると北からおじいさんが一人歩いてきた。

こんな所にも人は住んでいるのかと、、一瞬衝撃を受けた。

”こんにちは”とロシア語で挨拶をして(ハルキウはウクライナ領土だが、住民のほとんどの人はロシア語話者であり、ウクライナ語がわからない。特に今この地域に残っているのはほとんどお年寄りだ。)

挨拶をして、ほんの少し談笑をした。(google翻訳で。)

”家はここら辺なんですか?”そう尋ねると、老人は

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砲撃で一部黒くなっている建物を指さした。

”家だ。”無表情で老人は¥そう口にした。

ロシア軍が差し迫るこんな危険地帯の、黒こげの家に住んでいるのか、、と、老人の現状に驚愕するしかなかった。

”何故?、、、”という疑問が一瞬頭をよきるが、すぐにそれが愚問だと気づく。

故郷に帰ることのできないナゴルノ・カラバフ難民やシリア難民の人々の思い、その後の悲惨な人生も、家を街を守るために地獄と化したブチャやイルピンに残った人達の思いも嫌というほど聞いてきたから。


故郷とはそれほど人にとって大きいものだ。

しかし、罪なき人々の故郷が世界の理不尽で奪われ、生活が破壊される、、そんな話は痛いほど聞いてきたのだ。

老人と別れを告げ、団地の内部へと入っていくと、多少人の気配がする。

まばらだが、年配の方々が所々に座っていた。

そんな中で二人の女性に出会った。

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二人に話しかけると、おばあさんが涙を流しながら話しかけてきた。

何か様子がおかしい。

おばあさんは話そうとしているが、言葉になっていなかった。

ロシア語がは話せないが、おばあさんの発音が明らかおかしいのが俺にもわかった。

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笑顔の素敵なおばあさんだったが、出会った時は涙を流し必死に話しかけてきた。


”日本から来たジャーナリストです。”そう声をかけても通じていない。

通じていない、、?いや、違う。

聞こえていないのだ。

言葉の壁で通じないのではなく、文字通り聞こえていない。

おばあさんとおばさんは耳が聞こえていなかったのだ。

喋りかけたことは聞こえていなかったが、アジア人がカメラを持っているのを見てジャーナリストだと判断したようで、彼女達は身振り手振りと、ジェスチャー、バンバンという擬音で一生懸命現状を説明してくれた。

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おばあさん達は家の近くを爆撃され、その爆撃音を至近距離で聞いてしまったために耳が聞こえなくなったのだ。

おばあさんが話す言葉の発音が少しおかしいのも、耳が聞こえない影響だろう。

優しそうなおばあさんと、おばさんがロシア軍とウクライナ 軍の最前線の手前で、耳が聞こえなくなってもなお暮らしている、その現状に呆然とするしかなかった。

”ロシア、ロシア、バンバンバン。”そう言いながら、涙を流しながら、おばあさんはあたりの爆破された家々を指差した。

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おばあさんの訴えてくる姿に鬼気迫るものがあった。

これは伝えなければならない、、、そう思い、電話で英語のできるウクライナ人の友達に電話して話を聞こうとしたが、、すぐに無駄だと気づく、彼女達は耳が聞こえないのだ、、。

そんな状態で、もしロシア軍がここにやってきたら気付けるのか!?

ブチャで一ヶ月取材して、ロシア軍がブチャに来ていることを知らずに、外に出て戦車の機関銃で撃たれた話も聞いていた。

これが、、ハルキウの市民の現実か、、

バン、バン、バンと先ほどの砲撃音より大きな爆発音が聞こえた。

あまりの爆音に少し恐怖したが、彼女達は無反応だった。

、、聞こえていないから、、

その時はそう思っていたが、そんな爆音はここに住む人たちにとっては日常茶飯事で取るに足らないことだと後に知ることになる。

”何か世界に伝えたいことはありますか?”そうスマートフォンのgoogle翻訳を使い、おばさんに尋ねた。

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すると、チョークで地面に文字を書いて現状を伝えてくれた。(画像をアップしたいのですが、IPHONEで撮影した画像が何故かNOTEにアップ出来ません。アップの仕方をご存知の方いらっしゃれば教えていただきたいです。)

”北から、ロシアに毎日、撃たれる、”

”水道が戦争で止まったので、水を外で汲んで、水を持って毎日部屋のある6階まで登らねばならなくて大変”

などの内容が書かれているようだとウクライナ人の友達が後に教えてくれた。

彼女達は説明を終えると近所の猫に餌をあげていた。

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そして、別れ際に笑顔で”スパシーバ、スパーシーバ!!”と満面の笑顔で行ってくれた。

出会った時は涙を流していたのに。

彼女達の現状は、、ハルキウ北部の市民の現状は伝えられなければならない。

罪なき市民が世界の理不尽でこんな状況に追い込まれることなど、、あってはならない。

次回予告

彼女達と別れた後、焚火をしている集団と出会う、、そう、戦争の影響でハルキウ北部の人々はガスも水もない中爆撃に囲まれて生活していた。

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現在ロシア軍の脅威が差し迫るハルキウ市民の現状の方が、ブチャ取材やウクライナ難民取材よりも緊急性が高いために優先して投稿することにします。ブチャ取材は現在進行形で続けているので、ブチャ取材もハルキウ取材も今後できる限り投稿していく予定です。よろしくお願いします。





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