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2024年都知事選・蓮舫陣営総括:永遠の夢の中で

今回の都知事選はいろいろな感想戦が出ているが、主な焦点は蓮舫陣営が鳴り物入りで選挙戦に入りながら失速しほぼ無名の新人に捲られて3位まで落ちたのはなぜなのか、という点だろう。私も𝕏で何ツイートか書いて結構需要があるようだったので、noteのほうでもまとめておく。


今回の選挙でまずもって把握しておくべきは、自民は支持率が低いということである。ここのところ地方選挙や補欠選挙ではぱっとしない結果が続いているし、同時に行われた都議補選でも都ファに一方的に負けている。蓮舫陣営はこの流れに乗って「自民党の国政に不満を抱く有権者を取り込む」という方針を立てたが——選挙戦だけでそれをさらに下回る下手を打った、というのが流れであろう。

独りよがりなアジェンダ設定

蓮舫陣営が選挙戦の最初に打ち出した議題は、神宮外苑の再開発の問題視であった。これは選挙期間中の世論調査で《重視する政策》の一項目に立てられる程度には力を入れていたが、その世論調査では外苑再開発は有権者全体の3%程度、蓮舫コア支持層にしか興味を持たれておらず、無党派(と立民支持層の多く)には何のアピールもしていなかったようで、アジェンダ設定に失敗したという意見があった。

これについては私は微妙に異なる意見である――本当に明治神宮とそれに付随する"100年かけて育ててきた森"が伐採されるのならアジェンダ足りえただろうと思う。問題は「"森"がある内苑と複合スポーツ施設である外苑を勘違いしているとしか思えず、筋違いな批判である」という反論が(伊藤忠などから)なされたのに、まともな回答を出せなかったことだろう。多くの有権者は内苑の"森"であれば守る価値があるが、スポーツ施設に過ぎない外苑の街路樹であれば植え替えればよい(CO₂排出削減なら伐ってバイオマスとして使う必要がある)程度に考えていたので、それでアジェンダとしては価値がなくなった。

むしろ、それを持ち出した蓮舫陣営に対して「内苑と外苑の区別がつかないほど知性がないか、意図的に混同させ有権者を騙そうとしている不誠実か、またはその両方である」という負の印象を与える自爆になったというのが見ていての感想である。貴重なスタートダッシュの時間と労力を自爆に費やした選挙戦略には疑問を禁じ得ないし、損切りできず外苑を"森"と言い張るのに労力をつぎ込んだのも実に無駄だった。これを提案した人は又吉イエスの手で地獄の火の中に投げ込んでもらうくらいがちょうどいい。

民主党政権という実績の足かせ

私がネット上の選挙戦で蓮舫が無党派から見放されていると明白に感じられたのが、民主党が政権にあったころに自ら年少扶養控除を廃止したことを失念したとしか思えない演説をめぐる顛末である。子持ち有権者の神経を逆なでしただけでなく、政権時代に自分たちがやった政策さえ覚えていない、政策能力も理念もないという印象を与えたように思う。実際、子育て政策は世論調査で重視する政策の第2位であったが、子育て政策で選んだ有権者だけで見ると、過半数が小池を支持し蓮舫は実際の得票よりさらに分が悪い調査結果となっている。

2位の石丸は公示前の予想を覆し蓮舫の1.3倍もの票数を獲得した。彼は政治実績は地方の市長4年にすぎず(しかも後任の市長選では反石丸派が当選)、率直に言って実績に乏しいが、一方で実績がないゆえに期待を青天井で煽るという手段が効いたとも言える。2009年に民主党が政権交代に成功したときも実のところこれと同じ面がある、というのが私の考えである。当時の民主党は政権実績がなく、期待感による「風」の勝利と言われていた。しかしそれで得た政権での実績が、今は扶養控除廃止の件のように逆風となることもある。

いずれにせよ、蓮舫陣営は外苑再開発という序盤のアジェンダ、子育て問題をアピールしようとした終盤のアジェンダの両方で、貴重な労力と時間を割いて自ら政策能力の低さをアピールすることになった。蓮舫支持者からは「いい政策もあったのに十分浸透しなかった」という意見も出ているが、そうだとしても自分たちのダメな部分をアピールすることに大きなリソースを割いたのは蓮舫選対自身の選択であり、申し訳ないが負けたのは残念ながら当然と言わざるを得ない。

2009年で時間が止まり現実を見ない支持者

民主党は2009年に「風」に乗って政権を得たが、今はその実績が逆風として作用することもあるのは先ほどもも述べた。比喩を重ねれば、「閉塞感の打破を求める無党派の風」に乗って風下に移動し、かつその風が(維新だの石丸だのが乗ったように)まだ吹いている以上、"結果"を背負う風下側に立った立憲民主党にとっては逆風が吹いていると感じられることが多いだろう。

実際、今回の選挙戦では無党派の現状不満票は石丸にとっての順風となり、無党派を小池と石丸で分け合う形となって、蓮舫はライバルたちの半分程度しかとれなかった。このため、蓮舫支持層の間でも世論調査を見ている人は「投票率が低いほど無党派の影響力が減るので、低投票率であれば蓮舫もワンチャンある」という旨の発言をしていた。実際は久々の高投票率となり、蓮舫は惨敗を喫した。

しかし、今回の選挙戦を通じて、「投票率が上がれば蓮舫が勝てる」と思い込み続けている人が目立った。𝕏では蓮舫支持者が「#都知事選を史上最大の投票率にしよう」というハッシュタグを使っており、結果が出た後も「自民の組織票に負けた」「投票率が上がったことだけが希望」と言ってのける人が多く見られた。自分たちが無党派を取れず組織票しか取れなかったにも関わらず、である。

悲しいがな、15年前の認識のまま時間が止まっている人がここまで多い。たった1回の勝利の思い出を胸に、{一度"結果"を出してしまった民主党系勢力には《無党派の期待感の風》はむしろ逆風になり得る}という現実から12年ものあいだ目を背け、{無党派大衆とともに権力者を倒す}という自分たちの世界観に沿ったファンタジーに浸り続けている人々が地方議員レベルで多く見られるのだから、これで選挙に勝つのは無理だろう。

エコーチャンバーの中の選挙活動

今回の選挙戦では、蓮舫支持者がエコーチャンバーを形成していて岩盤支持層の外に選挙活動が波及しなかったという指摘が多く、蓮舫よりだと考えられる東京新聞でさえ「内向きの発信にとどまった」と総括せざるを得ない状況であった。選挙戦終盤に一部の支持者が小池の演説中に組織的にヤジを飛ばしていたが、それを行った人間が自分のSNSアカウントで自慢げに動画を公開すると、それを見た多くの人がナチスの突撃隊を連想して嫌悪感を催し、小池に積極的に同情票をプレゼントしていると言われる始末であった(小池側もヤジを予想して逆用できる対策をしていた節がある)。

冷静に見ようとしている前述の東京新聞の記事の中ですら、隠しきれないエコーチャンバー性――《頭のいい私たちの話は愚民には難しすぎて伝わらない》という無駄な選民意識が透けて見える部分がある。

幅広い分野にわたる都政批判は、政策に通じていると印象づける反面、焦点がぼやけた面も感じられた。街頭演説を見に来たものの途中で会場を去った大学生は「難しい話が多く、よく分からなかった。若者支援をするなら、若者に身近な話をしてほしかった」と残念がっていた。

蓮舫氏は失速…「2位」さえ逃した大誤算 「直接対決」かわされ、自民たたきの戦略も空回り 東京都知事選 2024年7月8日 東京新聞

蓮舫候補の{伝わらなかった政策}が良いものであったとしても、それを伝えるために必要だった時間・労力・資源を神宮外苑再開発等につぎ込んでしまったのは選対の責任であって有権者には難しすぎるからではないし、そもそも内苑と外苑の取り違えなど小学生でも分かる話で、それに多大なリソースをつぎ込んだなら、すべての公約を読み込んだ有権者でも「なるほど、なら政策の重要性の重みづけも分からないこの候補者は都知事にはふさわしくない」となるのはまあ当然だろう。

また聞くところによると、「蓮舫が勝てばフェミニズムの勝利」というような声がそこそこあったそうである。対立候補の小池が女性であり女性支持率の高さで票を固めたことを考えれば、独りよがりで客観視のできない、自分の作ったストーリーに合わせて世界を歪曲しているかのような言動に聞こえるが、実際あったらしいということで私も首をかしげている。

今回の蓮舫支持層を見ていて思ったのは、いわゆる「謝ったら死ぬ病」を集団発症している――自分や仲間の言ったことに疑問を差しはさんではならない、《自分を批判する奴は頭の足りない悪人》なのでパージして自分に心地いいことを言う人間だけを残そう、というムードがあるように見えてしまう。自分たちの行動プランを立てるときに最悪の事態も検討するくらいは凡人でもできるが、その凡人でもできることができたなら外苑再開発を主要アジェンダに付け加えるようなアホな真似はしないだろうし。自分たちが無党派に支持されていないという現実から目を背け《無党派が動けば自分たちは勝てる》という夢に浸り続けているのも、自分たちの気分が悪くなることから逃げ続け、気分の悪くなる現実を述べる者を排除しつづけていないと、なかなかこうはならないように思う。

野党共闘という泥沼

今回の選挙では、蓮舫は立憲民主党を離党して出て公示前から共産党との共闘姿勢をとっており、国政選挙のたびに言われる"野党共闘"の構図で支持者は盛り上がっていた。「自民党の国政に不満を抱く有権者を取り込む」というイメージを描いていたそうなので、国政のノリをそのまま持ち込んだのだろう。ただ世論調査の結果を見ると立憲民主党支持層・共産党支持層ともに2/3程度と固めきれておらず、立憲民主党を支持するが共産党を忌避する労組の連合が、都知事選では小池支持を公言する事態となった。

今回の結果から、立憲民主党は「次の衆院選での野党共闘はない」と明言する一方で、共産党は「立憲が共産と力を合わせることは必要不可欠だった」と共闘を当然としている。政権を目指す立憲民主党から見ると大惨敗であり見直しは当然となるが、共産党としては全票の20%を集められれば普段の選挙では得られない達成感があるのだろう。今回は活動家に好き放題やらせたという印象だが、活動家自身は気持ちよかったのだろうが、選挙結果を見れば大いに足を引っ張ったという印象なので、立憲民主党側としては岩盤支持層ではあるが足を引っ張る彼らの扱いには苦慮しそうである。

日米安保反対がある限り野党共闘は成り立たない

野党共闘のたびに話題となる共産党忌避がどこから来るかという話については、以前の記事で{日本人の7割にとって《日米同盟反対》という政治姿勢の候補は最優先で投票先から消されるのではないか}という議題を挙げた。実際、高い期待と支持率で始まった鳩山政権が1年で退陣に追い込まれた時も、決定打となったのは辺野古移設問題で日米安保反対寄りの立場に立ったためであった。その民主党が立憲民主と国民民主に分裂したのは(立憲が実質的に党名に憲法9条を掲げる通り)外交・安保政策によるものであり、党を割るほどの最優先ファクターなのは確かである。

今日、ロシアのウクライナ侵攻によって未だに軍事大国が帝国主義的侵略行為・戦争犯罪を行うことが明らかになり、直後に行われた世論調査では日米安保堅持派の割合は87%に達している。安保闘争は、その自認に反して人道と平和の擁護者とは思われていない――ロシアのウクライナ侵攻以来、例えば「無抵抗で降伏する」路線がそれで終わらず、ブチャ虐殺などの人権侵害から徴兵によって人殺しと肉の盾の役にさせられるなどの実情が知れた結果、ソ連シンパの末流は人道と平和の敵くらいに思われており、正義をただ名乗ることも難しくなったのが現実である。

今のところ野党共闘を最も熱心に進めている勢力は市民連合だが、この団体は日米安保反対を中核思想としており、共産党と立憲民主党の共通の核となるとどうしてもそうなる。しかしながら、有権者の87%に渋い顔をされもはや正義を名乗れなくなったその路線で政権を取るのは難しいだろう。今までですら安保反対路線での野党共闘を目指すと、それを嫌った自民批判票は維新などの第三極に流れるというのが常であったし、安保闘争への忌避感は自民への忌避感よりずっと強いということである。

左派政党が今後国政選挙も含めて自民を倒すには、護憲・日米安保反対を切り捨てて{西側安保堅持+経済左派を基盤とする政党を確立し、維新や石丸のスロットに入って風を受ける}か、市民連合やら共産党が安保反対・護憲路線を捨てるしかないと思われる。

ただまあ、無党派から支持されていないという世論調査さえ目をそらして見ないようにしている人たちが、政権を取るために世論の実情に合わせるとは思えないし、人生の全てをかけてきた政治思想を(正義が失われつつあり、下手な反米ロシア擁護はもはや道義的罪を問われる状況になったにしても)捨てるのもたぶんできないのだろうと思う。《頭が良く正義を理解している私を、いつかは大衆も支持して政権を取れるはずだが、罪深い愚民どもには理解されないので選挙で勝てていない》などといった夢の世界に彼らが入り込んだまま、天寿を全うし墓の中で永遠にその夢を見続ける時が来るまで待つくらいしか周囲にやれることはないのだろう。


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