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やませちか「宝石商のメイド」に見る「女性の求める働き方」

いつだったか、やませちか作「宝石商のメイド」という漫画がツイッター経由で流れてきたことがあった。その際チラ見したのだが、個人的には結構印象深かった――なぜなら、作品主人公の働き方が、多くの(全員ではない)働きたい女性が言う「こういう働き方をしたい」という理想像に沿っていたように見えるからである(※私は女性の働き方で本を書こうと試みている)。

本稿は、作品中の主人公の働き方について若干批判も込めつつ批評していくが、作品批判や作者批判ではない、ということは事前にご了解いただきたい。

主人公の働き方の概観

さっそくこの作品の主人公の働き方の評論していくが、独りよがりにならないよう書くと引用が増えすぎ長くなるため、まず他の方の評論を引用して客観性の代用としてさっと概観していこう。

【主人公】女性としては珍しい、宝石鑑定師の資格を持つ……仕事が趣味と言ってのけるほど仕事熱心……十分な給与をもらっている……休みの日は読書をしたりアフタヌーンティーを楽しんだりと静かに過ごしている。
【雇い主】ふだんは宝石の仕入れのため世界中の鉱山を巡っている……メイドのエリヤのことを心から信頼しかわいがっており……エリヤになるべく責任を負わせないように、裏で根回しなどに余念がない……収入は店を維持できる最低限で構わないと考えている。

宝石商のメイド - マンガペディア

私自身の言葉で箇条書きにしていけば、概ね以下のようになる。

  • 主人公は好きなこと(宝石鑑定)に集中して仕事にできている

    • 経営上の難しい部分(帳簿を黒字に維持する等)は雇い主が一手に引き受けている(ことを明瞭に示す描写もある)。

    • 主人公は業界トップレベルのスキルを持っている。

  • 雇い主は留守が多く、仕事の細かい指示がないので、自分のペースで仕事ができる。

  • 宝石職人の仕事は時間の半分で、残り半分はメイドとしての家事の時間である。ただ、料理や紅茶の描写を見る限りそれらも嫌いではない。

  • 豪奢ではないが、アフターヌーンティー等の自分へのご褒美に困らないくらいの給料は貰っており、「ちょっと裕福」という程度の所得がある(余剰を孤児院に寄付している)。

  • 職業特性上、上流階級や芸能界などの顧客が多い。

自分のペースで仕事をできる

主人公がやっている宝石鑑定は、「鑑定済み」という成果は石ごとに完結している。このため、仕事を上がる「キリがいいタイミング」が頻繁にあり、交替勤務にしても引き継ぐ際に伝える情報もほとんどない。この特徴は「時短勤務に向いた仕事の特性」をきれいに満たす。専門技能が必要であることも合わせれば、薬剤師など女性に人気の専門職の特性を持っており、子育てと仕事を両立させたいタイプの女性にはうってつけの仕事になるだろう。

主人公は実質的に宝石鑑定士と店番をやっている宝石店の従業員だが、一応はメイドという名目になっており、おそらく労働時間の半分程度を家事に費やしている。上述の宝石鑑定士の仕事の特性から、鑑定士とメイドの両立はスムーズに行っている。また、料理や紅茶の描写を見る限り別に嫌いだったり義務感でだけでやっているようでもない。

現実の働く女性論では、ともすれば家事や育児は「男に押し付けられた」というような言われ方が度々されるようにも見えるが、女性キャリア本を見ている限り家事や育児も相応にコミットしたいという欲求がしばしば書かれる。それについて明白に書いたのがアン=マリー・スローターの「仕事と家庭は両立できない?」だろう。作品主人公の「宝石鑑定士を仕事としつつも、家事もそれなりにやる、料理などはそれはそれとして楽しむ」というのはそういった女性の理想の働き方の一つの典型例ですらある。

難しくて面倒な部分を負担しない

主人公の雇い主は、主人公「のことを心から信頼しかわいがっており……なるべく責任を負わせないように、裏で根回しなどに余念がない」など、主人公の快適な労働と生活を守る庇護者として立ち回っている(これは邪推などではなく、自覚的に描かれている)。また主人公はいわゆる自分へのご褒美に困らないなどそれなりに余裕のある生活をしているが、雇い主は「収入は店を維持できる最低限で構わない」としつつもその程度の暮らしが維持できるような経営責任も引き受けている。

総じてみれば、主人公がほぼ孤児であることもあって、「娘をかわいがる父親」に近い役回りを演じている。主人公は表向きメイドという仕事で従属的な立場だが、作中の描写を見る限りその立場にかなり満足しており、より華やかでもしがらみや責任が増える立場への移行を拒否している素振りすらあり、「庇護される娘」としての立場がむしろ理想化されている雰囲気がある。

別項でも書いているが、日本は女性の管理職希望比率が低く(男性も低いのではあるが、男女比で見てもアジア最低である)、その意味でも日本の女性の"理想の働き方"の典型ではある。ただ、日本ではジェンダーギャップ指数が低いことが頻繁に批判されるが、当該指数は世界経済フォーラムが発表しているように多数の人に対して責任を負う社会的地位の男女比によって決まっており、結局のところ「日本の女性の理想の働き方」を実現するとジェンダーギャップ指数がもっと悪くなるという点は注意する必要がある。

キラキラした仕事

主人公は上流階級や芸能人も顧客としており、そのうち1人とは個人的な友人関係になっていて文通もしている。扱うものが宝石だけに、キラキラした世界にもアクセスがある。少なからぬ女性にとって夢のある職業の一つだろう。

上流階級や芸能人はそれはそれで苦労があり、そのことは作中でも描かれているが、主人公はアクセスはありつつも表舞台に立つわけではないため、そういった面倒ごとには関与せずキラキラの裏方だけにタッチする構造となっており、自己顕示欲や、あるいは働かずに贅沢がしたいという自堕落な欲望がないのであれば、むしろ都合がいいという形になっている。

夢の職業としての「宝石商のメイド」と、現実の壁

  1. キラキラした仕事で、半ば趣味でもあり、やりがいがある

  2. マイペースで仕事ができ、家事にも時間が割ける

  3. 負担感のある責任は上司が引き受けてくれる

  4. お給料もよい

と、「宝石商のメイド」という職業は、ここまでおさらいしてきた通り快適な労働環境であり、主人公自身もその状態に満足している描写がある。そもそも、こういった職業があるならば性別を問わず誰にとっても夢だろうし、特に女性では希求が強い。この漫画を題材に長々書いたのも、これが私が今まで見てきた「女性が求める職業」としての性質を強く持っているからである。例えば、「マイペースでできるやりがいのある仕事」というのは2010年代の女性の社会進出において盛んに語られてきたし、その中で管理職は責任が大きすぎてマイペースでできないとか、所得の男女格差を埋めよとか、概ねこの漫画の職業で理想化される特徴が求められてきた。

今の育休世代の人達は、妥協なくストレートに「子育てでこれはできないけど、でもやりがいのある仕事をさせてください」って言いますよね。

「時短でもやりがい」を求める下の世代にモヤッ. 日経XWoman. 2015.09.30

ただ、私が別項で説明した通り、マイペースでできることと、やりがいがあることは、実のところ両立させにくい。マイペースでできる=時短勤務や急な欠勤に対応できるようにするためには、当人が休んでも別の人が代わりを務められるように、属人的な裁量を廃したフォーマット化を行わざるを得ないからである。またそうすることで「誰でもできる仕事」になり、需給関係から給料も上がりにくくなる。いわゆる一般事務職はそういった仕事の典型だろう。

また、歩合で成績が評価できるような、完了が細かい単位で完結しているような仕事も分担がしやすくマイペースで進めやすい。低スキルのものであれば、昭和の時代は主婦向けの内職がそれに該当し、今なら単価の安いクラウドソーシングの仕事がそれに該当するだろう。所得ややりがいを求めるなら、同じような特徴を持ちつつも高スキルで資格を要するようなものが良いだろう。この漫画の主人公の宝石鑑定師はそれに該当するし、別項でも解説している通り、薬剤師などは患者ごとに仕事が完結し分担のしやすさから高スキルながらパートタイムにしやすく、日米で女性に人気の職業となっている。

ただし、この「高スキル」も現実では壁になる。岸田首相がスキル取得(リスキリング)支援策が産休・育休中でも対象になると発言した際、「子育て中にそこまで手が回らならしい、できる人だけやればいいと言われても、競争になりプレッシャーがかかるのが嫌だ」という理由で強い忌避に遭っている。ただ、現実的にスキルなしに時間的自由度を求めても内職や一般事務でもなければ給料が発生するほど仕事が完結できないのは確かで、これで給料を上げろと言っても厳しいだろう。

スキルのない人が高賃金を得るには、長時間にしたり、責任と精神的負荷を引き受けたり、3K職のように身体的リスクを引き受ける必要がある。作中の主人公が理想の条件で働けているのは、あくまで同業者の中でもトップクラスの高スキルを持っているからに他ならない。これに関しては女性にもっと頑張ってほしいと思っている(ということに自覚的であるがために、「スパルタン・フェミニスト」と自称しているのではあるが)。


どうしても家父長を求めてしまうのか

ここからはおまけになるが、この作品における雇い主、店主の描像――「余裕のある暮らしができるほど金を出し、いくらでも好きなことをさせてやり、面倒ごとは全て巻き取って彼女が責任を負わずに済むようにしてくれる年上の庇護者」――を書いている途中で、現実世界で最悪の類例アナログが流れてきた。

上野千鶴子の入籍話である。あの話について世間では「おひとりさま」を言っていたのに結婚したなどという論調が多いが、正直入籍したという点はどうでもいい。若いイケメンを抱え込んで主夫にしたならキャラ通りだし、若いころ遊んだ腐れ縁と寂しさ紛らわせにくっついたのでも、まあ人なんだからそんなもんだろう。

あの話の本当にまずい所は、彼女が懸想したのが色川大吉という、父親並みの年で父親のように庇護者としてふるまった人間であり、フェミニズムの旗手たる女性が家父長に庇護されたいという欲を丸出しにしていたという点だろう。上野は実父に相当甘やかされ、彼女に好きなことをさせ後始末は父がいくらでもするという関係で、その後に父代わりの色川を求めたのである。

この件について小山わかり手が結構な熱量で書いているが、彼が書いている通り、日本では子煩悩パパにべったりな娘の主観としてのフェミニズムが、戦うフェミニズムを退けて主流の座に立ってしまった。最近でも「育休12年よこせ」とM字カーブ復活を訴える女性のツイートが万バズしたりと、自由という荒野をさまよう自立した人間になりたい女性よりは、実家を快適にしてとおねだりする箱入り娘のほうが多い、ということは女性の働き方を語る上では心してかかるべきなのかもしれない。

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