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結局、上野千鶴子は「永遠の少女」だった

上野千鶴子の結婚報道が、天地がひっくり返ったような大騒ぎを引き起こしている。当然ながら批判の声が多い。

代表的なのは「<おひとりさま>というライフスタイルを多くの女性に提示しておいて自分だけ結婚するのか!」というものだろう。SNSやWEBメディアで「バズ」を引き起こしているのは概ねそのような意見である。

はっきり言っておくが、筆者はそのような見解からは距離を取りたい。

まず上野千鶴子が「おひとりさま」というライフスタイルを推奨していた事実はない。上野の一貫した主張は(平均寿命の男女差や核家族化により)「いずれにせよ、女性は不可避的におひとりさまになる」というものである。女性は孤立した生活を営むべきと上野が主張したことは一度もない。

また婚姻制度への批判的なスタンスも、あくまで女性の性的自己決定権を擁護するという文脈であり、なにがなんでも結婚は避けるべきと主張していたわけでもない。婚姻時の上野夫妻は(最短でも)70歳と93歳である。このような高齢者に「性的自己決定権」もクソもないだろう。

この年齢であれば医療や介護との連携のためパートナーとの法的関係が必要になる場面はいくらでもあり、喫緊の必要性のため法律婚なり養子縁組なりを結ぶことはLGBTカップルなどにおいても広く見られることだ。93歳のパートナーを介護していた70歳の上野を「法律婚」を理由に批判することに筆者はあまり熱心になれない。(もちろんセクシュアリティの観点のみを以て法律婚に反対していた上野の知慮の浅さは否定しようもないわけだが)

それでは上野千鶴子の結婚は、大手を振って批判するのは憚られる単なる私事だったのか。老いらくの恋として微笑ましく見守るべきものなのか。もちろん、そうではない。本件は日本フェミニズム史における一大事件として、後々まで語り継がれるはずである。

上野千鶴子の結婚がスキャンダラスであるのは、上野千鶴子という日本フェミニズム界の「象徴」が、とうとうその生涯を通じて「少女」の殻を破れなかったことを雄弁に物語っているからである。

それを理解するためには、上野千鶴子という論客がこの40年でどのように日本社会に受容されたかをまず概観しなければならない。

本稿では上野千鶴子の半生を振り返りながら、「上野千鶴子の結婚」の深層に迫っていく。


「ファザコン娘」としての上野千鶴子

上野千鶴子の個人史には一種類の「男」しか登場しない。

それは「父親」である。「恋人」も「夫」も「セフレ」も「想い人」も「男友達」も「強姦魔」も彼女の人生には登場しない。たしかに上野は饒舌に(自由でオープンな)恋人とのセックスについて語るのだが、そこには実体験に裏付けられた質量と肌触りがまったくもって欠如している。

彼女の語る「男」の物語が熱量を帯びるのは、唯一、「父親」について語るときだけである。

裕福な開業医の娘として生まれた上野は、父親から溺愛されながら過保護で幸福な少女時代を送る。成績がよく活発でもあった上野は当時としては異例である親元を離れての大学進学も認めてもらい、18歳から30歳までの12年間京都大学に通う。この間、就職も嫁入りも上野は拒み続けている。

言うまでもないが、このキャリアは1940年代生まれの女性としては極めて異例である。異常とさえ言ってもいいだろう。上野の入学年の女子大学進学率はわずか4.9%である。そこから大学院に進み就職もせず結婚もせず30代を迎えるなど、当時の常識から言えば狂気に片足を突っ込んでるとさえ言える。

そうした彼女の放蕩っぷりを、限りない愛情で支えたのが上野の父親だ。1年間の休学、モラトリアム的な大学院進学、(当時としては言語道断の)恋人との同棲まで、なんやかんやと口を挟みながらも父親は上野の行動を容認し続ける。そしてこの父親からの限りない愛が、ある意味では上野の人生を呪縛することになる。

上野は34歳のとき「セクシィ・ギャルの大研究」(1982)で文壇デビューを果たすが、この初期の活動からして随所から「父」の影がチラついているのだ。

上野千鶴子という「オジサン受けのいい若い娘」

上野千鶴子の初期著作に目を通すと嫌でも気付くが、上野千鶴子の初期芸風は「エッチでおもしろい女の子」である。

「セクシィ・ギャルの大研究」(1982)「スカートの下の劇場」(1989)という書籍名然り、「女遊び」(1988)の目次欄にデカデカと書かれた「おまんこがいっぱい」という文字列然り、30代の上野は軽妙な筆致と仄かなエロティシズムを武器にマスメディアにおいて華々しいデビューを飾る。

これが当時のフェミニズム業界においてどれほど特異であったかは強く強調しなければならない。特に1970年代のウーマン・リブ運動は男性に対する強い敵愾心を当然の前提としていたし、1980年代の初期女性学も然りである。そこに上野は「エッチでおもしろい女の子」として、言い換えれば「オジサン受けのいい若い娘」としてデビューを果たすのだ。彼女の作品は女性だけではなく男性層にも受け入れられ、鼻つまみものだった女性学はたちまち「若い女の子たちの健気な主張」という色彩を帯び始めていく。

この上野の著述スタイルは父親の溺愛と幸福な少女時代抜きには語れないだろう。というのもしばしばインタビュー等でも答えているように、上野は「男と付き合うのは簡単だけど、女とはどう付き合っていいのかわからなかった」というようなオタサーの姫的気質を持つ女性であり、女性よりも男性と付き合うことを元より得手としていた。

一方でそれまでのウーマン・リブは、例えば「ぐるーぷ闘うおんな」代表の田中美津のように、幼いころ性的虐待の被害にあうなどのトラウマ的な過去を持つ女性たちによって牽引されていた。だからこそウーマン・リブは男性社会から嫌悪されたわけだが、そこに「父親に溺愛されて育った聞き分けのいい若いお嬢さん」というまったく新しいキャラクターが登場し、フェミニズム運動の潮目を変えてしまったのだ。

上野が大きく躍進するきっかけになった「アグネス論争」も、言ってみれば「男性人気の高いグラビアアイドル VS 女性人気の高いブス文筆家」という構図の論争であり、ワーキングマザーの権利擁護という文脈にのみ依拠するのは疑問符がつく。現に当時の論争記録を紐解いても「女性の経済的自立」を強く望むワーキングウーマンはおおかた上野を批判する側に付いていることが伺える。

上野の味方はオジサンをはじめとする男性陣と、学生や主婦をはじめとする「男に庇護される女」たちであり、(林真理子を筆頭に)「女が女として自活する」ことを望む女たちはおおむねアグネスと上野に批判的だった。そして日本において「自活」を望む女性は絶対的な少数派だったのだ

いうならば、徹底的にオジサンたちに都合のいい言説をふりまき、それでいてそれを「フェミニズム」と強弁することができる詭弁力を持つ論客、それが上野千鶴子だった

「エッチでおもしろい女の子」として女性の性開放を謳う上野の言説はオジサンたちのスケベ心的にも都合がよかったし、マルクス主義フェミニズムによる家事労働報酬論にしたところで妻が財布を握る日本の家計慣習においてはなんら男性側にダメージを与えるものではない。

上野が並み居るイデオローグを押しのけて「家父長制」の本尊たる東大教授の地位を掴んだ一因はそのような点にも求められるだろう。「ファザコン娘のおねだり」が、「女闘士のたたかい」を退けてしまったわけだ。


父親の死と「第二の父親」

上野フェミニズムは2000年代以降、それまでとは異なる路線を歩みはじめる。ご存じ「おひとりさま」研究である。

1980-1990年代の上野言説は、おおむねセックスに軸足を置いていたと言ってよい。特に1990年代は宮台真司など論客をはじめ「女性の性的自己決定権」の議論が盛んに論じられた時代である。上野も論争に積極的に参加し、(売春や不倫なども含めた)女性の性的自己決定権を盛んに擁護した。

そうした上野が「おひとりさまの老後」(2007年)を出版したとき、その作風の変化に多くの人々が戸惑った。上野といえば「エッチでおもしろい女の子」だったはずなのだ。それが一気に老け込んで、老後や介護のことなど語り始めた。当人もまだ50代である。そんな話をするにはまだ若すぎる。

しかし上野の「おひとりさまの老後」は爆発的なヒットを記録し、女性に限らない広範な読者層を獲得した。高齢化社会の到来、増える独居老人、親の介護、そうしたテーマに関心を示す人々は無数にいたのだ。上野は2000年代以降「老後問題の専門家」としても受容されていく。

そうした上野の路線変更を、多くのひとはフェミニズムの一環として認識した。上野自身が「シングルである自分自身の老いを切っ掛けに老後問題に関心を持った」と盛んに喧伝したことも一因だろう。多くの著名フェミニストが独身を貫いているように、女性の社会進出と未婚率の上昇には密接な関わりがある。親子の同居率も減り、特に平均寿命の長い女性は「おひとりさま」としての老後を過ごさざるを得ない。そうした問題意識を上野が抱いたのだと。そのような上野解釈はつい先日まで現役だった。

しかし今回の結婚報道は、そのような「フェミニスト」としての上野千鶴子像をこなごなに打ち砕いてしまった。報道で明らかになった事実をもとに上野の業績を振り返ると、今までの上野千鶴子像とは全く異なる上野千鶴子が見えてくる。

上野の結婚相手は

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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