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「用心棒日月抄」に出会った22歳の日のこと


 
 22歳まで「時代小説」に手を出したことがなかった。
はっきり歳を覚えているのは、初めて読んだのが新入社員として会社で働き始めた年であり、会社に入っていなければ読むことを勧めてくれる人にも会っていなかったからだ。

 年上の人ばかりの小さな部署に配属になった。地方の小さなマスコミの会社。広告の記事を書いたり、会社が出す住宅雑誌を編集したりする部署で、営業でもなければ取材記者でもない、物静かな人たちが集まっていた。ここで文章の書き方や、校正の仕方、取材の方法を教わった。


 もうすぐ定年のEさんは、はす向かいの席に座っていた。人と話すのがあまり得意ではなく、万事において積極的ではないが、仕事はきっちりとこなす人だ。
 締切が迫っても、少しも慌てることなく、泰然自若とし、黙々と作業を続ける。実際、遅れたりすることもなかった。
おそらく、要領がとてつもなく良いのだろう。そしてそれを隠している(たぶん、多忙になるのを避けるためだろう)。

 お昼休みには、席でお弁当を食べながらいつも本を読んでいる。お弁当より本を優先しているような風情だ。相当な活字好きであることはすぐわかった。それでいて、読んで得た知識をひけらかしたり、本を読まない人を下に見たりすることはない。
自分の楽しみのために、たくさんの小説を読んでいるようだった。

 「何を読まれているんですか?」
ある日、思い切って聞いてみた。私も小説は好きだった。聞けばだいたいわかるような気がしていた。
 もう20年近くも前のことでタイトルを忘れてしまったが、それは藤沢周平の小説だった。
「藤沢周平読んだことない?」とEさん。
「時代小説ですよね?一回も読んだことないです」と私。時代小説は時代劇のように年配の人たちの楽しみなのかと、漠然と思っていた。

 おそらくEさんはこのとき少し落胆している。
がっかりして、いつもかけていた黒ぶちメガネがずり落ちたような気すらする。
マスコミ志望のくせに、この子は藤沢周平も知らないのかと。
そして藤沢周平を「時代小説を書く作家の一人」くらいに考えているのかと。


 詳細な表現は記憶の彼方だけど、このあとEさんは熱心に藤沢周平の描く時代小説を薦めてくれるのだ。
「読まないのは人生の損」
「そうやって好き嫌いせず、とにかく読んでみればいい」
「最初に読むのなら『用心棒日月抄』が良いだろう。これはシリーズで4冊出ているから、面白かったら全部読んでみるといいよ」と。

 素直に従ってみた。すぐ大きな書店に行き、4冊まとめて買ってきた。とても人気のある作家のようで、新潮文庫のえんじ色の背がずらりと並んでいた。いや、他の文庫の「ふ」の棚にも何冊も並んでいた。この日、私は藤沢周平の小説に出合い、そのあと次々と長編を読破することになる。

 用心棒シリーズの第一作目は、かなりエンターテイメント感が強い面白さだったが、二作目からはぐっと渋くなり、主人公の魅力がいや増しに増す。四作じゃ足りないくらいの見事な小説だった。「ちょっと待てよ」私は思った。「Eさんが初心者向けに選んでくれた用心棒がめちゃくちゃ面白いってことは、ベテラン向けの藤沢作品はとんでもない面白さってことかい!?」

 実際、そうだった。読む本読む本面白い。描写力が高すぎて、場面がいちいち想像できて胸が詰まる。私は登場人物と一緒に、ある時は江戸の町を歩き、ある時は庄内の景色の中にいる。

 控えめな筆致ながら、筆力が凄いというこの不思議。行間に込められた上品な風情がたまらない。どうしたらこんな高みに到達できるのだろう。最も惹かれたのは、言葉選びに漂う奥ゆかしさだった。東北の人に特有のそれ。田舎を持つ人の温かさでもあると感じた。

 ほとんどの作品が、山形の日本海側にある架空の藩「海坂藩」を舞台にして書かれている。モデルとされる鶴岡にももちろん行ってみた。素敵な記念館があるのだ。おまけに近くに小説に出てきそうな藩校もあるのだ。

 思い出のせいで脱線したけど、一番好きな作品を選ぶとしたら「漆の実のみのる国」。米沢の名君、上杉鷹山の人生を描いた長編だ。読んでいる途中、人生の晩年でもう一度読みたいと思って大事に読んだ。そういう気持ちになる本。

 Eさんのおかげで、豊かな読者体験を積むことができた。ほかの作家の時代小説もたくさん読んだし、今では時代小説の方が好きなくらいだ。数あるそれらの中でも、私にとって藤沢周平は燦然と輝く別格のスターだ。初めて藤沢作品に触れた日のあの気持ちはずっと忘れないようにしたい。

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