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母の祈り

その時には気づかなかったけれど
今ならハッキリ分かることがある。

子どもが小さかった頃
私達は実家で母とともに暮らしていた。

母の介護と小さな子供の世話と大家族の台所を預かり
私は自分の仕事のことなど省みる余裕はなかった。

そんな中、ある時コンサートでチェロを弾く仕事を頼まれた。

最後に演奏の仕事をしてから数年のブランクがあったのに
私はなぜかあっさりと引き受けた。

BACH無伴奏チェロ組曲3番
この曲は何度か本番で弾いたことがあるので
なんとかブランクを取り返すことができると思っていたのかもしれない。

コンサートまでの期間がどのくらいあったあっただろう。
多分1ヶ月か2ヶ月ほどだっただろう。
毎日、1つづつ音を作り直す作業。
クラシックのコンサートではマイクを使わないので
ホールの隅々まで音を響かせるために
1つづつ音程を定め音を響かせる地道な練習を続けた。
しかしブランクを取り戻すのは、生やさしいいことではなかった。

コンサートの日は容赦なく近づいて
とうとう本番の日を迎えた。
地道な練習の成果も上がり
なんとか本番を迎えられるまでには仕上げることができたと思う。

しかし舞台でのゲネプロを終え
控室で練習をしていた時
徐々に緊張感が高まり
突如として言いようのない恐怖に襲われた。

本番前はいつでも緊張がマックスに高まるけれど、
この場から逃げ出したいような恐怖を感じたのは初めてだった。
長いブランクの後のたった1〜2ヶ月の練習で復帰するのは無理だった、と
引き受けたことを激しく後悔した。
逃げ出したい・・・と思ったけれど
逃げ出すわけには行かない・・・

そんな恐怖と闘いながら必死で本番前の練習に没頭している時、
どこから控室に入り込んだのか、
発達障害と思われる小さな女の子が目の前に現れた。
女の子は私の練習をニコニコしながら聞いていた。
私はその女の子に構う余裕もなく練習を続けていたが、
女の子は時折、満面の笑顔で何度も拍手をしてくれた。

どんなに練習を重ねても
相変わらず恐怖が去ることはなかったが、
私はふと「この女の子の笑顔のために本番で演奏してみよう」
と腹を括った。

そこからどのように本番で演奏したのか記憶はほとんどないが、
次の記憶は演奏終了後の会場の熱い拍手と
終演後の人々の賞賛の声だった。


深い安堵に包まれた帰りの車中、
病床の母から電話があった。
コンサートについて聞かれたので
成功だったことを伝えるととても喜んでくれた。
私が家に帰り着くまで待たずに電話してくるなんて珍しいな、
と感じたのを何となく記憶している。


それから十数年の時が流れ
息子は今年、大学受験を迎えた。
ここ1〜2年、息子は突発的な病気やトラブル、精神的危機に見舞われたが、
なんとか乗り越えて無事に受験の日を迎えた。

その日、私にできるのは、
息子が試験で力が発揮できるように祈ることだけだった。

祈りを捧げた時、
私は十数年前のコンサートのあの日のことを突然まざまざと思い出した。
そしてあの時、母が私のために真剣に祈りを捧げてくれていたことに
初めて気がついた。
それは自分でも驚くような不思議な感覚ではあるが、
まるで実在する物質を見たかのように、
はっきりと確信したのである。
母の祈りの痕跡を。

その日は寒いけれどよく晴れて、
散歩途中に雪をかぶった富士山をきれいに観ることができた。
私は、この日に見た雪に輝く真っ白な富士山を
母への感謝とともに
忘れることはないだろう。





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