Aid to Life -生きることを助けるモンテッソーリ教育-
世の中の様々な教育手法の一つに「モンテッソーリ教育」があります。
100年以上の歴史を誇るこの教育法を、一度は耳にしたことがある人もいるかもしれません。「モンテッソーリ教育」と聞いて、皆さんはどんな教育をイメージするでしょうか。
マイクロソフト創業者ビル・ゲイツ、アマゾン創業者ジェフ・ベゾス、Facebook創業者マーク・ザッカーバーグなど世界の名だたるイノベーター達が学んだことでも知られているモンテッソーリ教育ですが、
ここで誤解しないようにしたいのは、
「モンテッソーリ教育が天才を作るということではない」
ということです。
では、彼らはなぜ、世界を変革する一人として活躍しているのでしょうか。
キーワードは、Aid to Life(生きることを助けること)です。
■Aid to Lifeとは
冒頭でも述べたように、教育手法の一つとして知られているモンテッソーリ教育ですが、
モンテッソーリ教育を確立したマリア・モンテッソーリ自身は、
教育法(Method)として捉えるのではなく、
子どもに対する見方や接し方(Approach)を重視しています。
とは言っても、モンテッソーリ教育では、よく「自由」という言葉を耳にすることがあるかもしれませんが、子どもに対してどのようにアプローチしていくのかイメージしづらいですよね。
このアプローチのキーワードこそが、
Aid to Life「生きることを助けること」です。
突然ですが、
子どもの自立のために、身支度をどこまでやってしまっているか、
何事も先回りして与えてしまっていないか、などを考えたことはあるでしょうか。
一見、「子どものため」、「子どもの幸せ」を思った行動が、過保護や過干渉になってしまうかもしれません。
「助ける」とは、子どもが望むこと、望むだろうと思うことを、
大人が何でもやってあげる必要はありません。
子どもが望んでいるのに、無視するなんてできない!、辛い思いをさせたくない!と思うかもしれませんが、
「子どもが望んでいる」と思っていることに対して、
実際は、心のどこかに「子どもに嫌われたくない」、「子どもを自分の理想通りにコントロールしたい」という気持ちによって行動していることはありませんか。
このような態度の結果、子どもは、何でもしてくれる大人の影で自立できず、いつまでも大人に頼り、自分で選択、行動できなくなってしまいます。
では、真に「生きることを助ける」とは、どういうことでしょうか。
もちろん、子どもの年齢に応じて援助の仕方は変化していきますが、
共通していることは3点です。
■現在の教育システム
少し視点を変えて、私達が受けてきた既存の教育を考えてみましょう。
皆さんの学生生活を思い出してみてください。
黒板に向かって並べらえた机、1週間の決められた時間割で先生が授業をする一斉教授、家に帰るとたくさんの宿題に、テスト勉強。暗記のために一夜漬けした人も数なくないかもしれません。
もちろん、既存の教育システムの良さもありますし、現在では少しずつ教育環境も多様化が進んできています。
しかし、皆さんが想像した学生生活は世代が違えど共通することも多いのではないでしょうか。このように、画一的な一斉教授スタイルの教育が明治時代以降から変わらず大半を締めているのも現状です。
この写真は、海外で話題になった「教育システム」と題された風刺絵です。絵の中の先生らしき男性は動物に向かって
「公平に選ぶために、全員に同じ試験をします。
そこにある木に登ってください」
と話しています。
私たちはそれぞれ、得手不得手があるのが当たり前なのに、学校の試験は画一的で、全員が同じものさしで測られています。
全員同じテストで評価することが、果たして公平と言えるのでしょうか。
かつて、アインシュタインが言ったとされているこの言葉。
当然、魚は木登りはできません。木登りができるか否かだけで、全てを判断すれば、魚は何もできない生き物と言われてしまいますが、本当にそうでしょうか。
魚は泳ぐことができます。現実世界で、魚に木登りを求める人は誰もいないですし、木登りができることが全てではありません。
しかし、人々の生活を考えると…。
もちろん、木登りができるか否かで人が評価されないと思いますが、
既存の学校教育では、テストを通じて、通知表を通じて、同じものさしで評価することが当たり前になっていませんか。
そのような環境で、子どもは他の誰でもない「自分」を確立して、
自らの使命に導かれるように行動することができるでしょうか。
■みんなほんもの
相田みつをの詩にもあるように、トマトをメロンにすることはできないし、
トマトがトマトのままでいるから本物なのです。
一人ひとりは異なる人間であり、
同じクラスにいる子ども一人ひとりが異なることはもちろん、
親と子もまた、異なる人格の持ち主です。
子どもの可能性は無限大ですが、
子どもの個性や才能がどのようなものかは誰にもわかりません。
私たち大人が、無理やり自分の希望を押し付けて子どもを作り上げることもできません。
だからこそ、私達は一人ひとりの子どもを信じて、尊重し、子ども自身の持つ個性や才能を大切にしながら、子どもが本来持つ力を発揮できるように環境を整えて、援助していくことが求められています。
■個性を大切にするとは
モンテッソーリ教育を受けてきたと言われている著名人たちの共通点に、
幼少期から好きなことをとことん追求して学びを深められる環境と、
そのような学びを援助する大人の存在があります。
例えば、Facebookの創始者のマーク・ザッカーバーグの父親の教育方針は
「周囲に流されるのではなく、自身が本当にやりたいことを全力でやらせる」
でした。そのため、自ら「やりたい!」と思うものでなければ、頼み事は一切聞かなかったそうです。
その中で彼の好奇心に火がついたのがパソコンです。彼はパソコンを手に入れると、プログラミングに夢中になって取り組み、その姿を見て父親は、プログラミングの専門家を家庭教師として連れてきました。好奇心の赴くままに、みるみるパソコンの技術力を身に着けた彼は、もはや家庭教師が教えることがないレベルまで習得していきます。
こうして、ザッカーバーグは若干12歳ではじめて「ザックネット」というソフトを父親のために作りました。
このように好きなことを熱中して学びを深めていく過程では、先生や家庭教師の助けなどいらないほど、子ども達は知らず知らずのうちに自ら学びのカリキュラムを立てて学びを深めていきます。
そして、そのように学んでいくと本人も無意識のうちに、一つの関心事から派生して学びが広がっていきます。
一方で、興味関心が惹かれず、「やらされている」感覚で学べば、
つまらなさを感じ、もっと知りたい!学びたいという内なる欲求が湧き出ることはないでしょう。
とは言っても、子ども自身が最初のきっかけを手に入れるのは難しいです。
だからこそ、子どもが熱中できるものに出会うきっかけと、好きなことを熱中して学び続けられる環境を正しく援助する大人が重要なのです。
周りの大人たちの愛に支えられながら、自らの好奇心に導かれて学んでいく子ども達は、知性の宝庫であるこの世界を愛することができます。
そして、その知性は自分のためだけでなく、この世界をより良くしていこうと、自らの使命に導かれるように変革を起こしていきます。
■Scuola dei Bambiniの願い
▼私たちが目指す子どもの姿
誰しもがこの世界のかけがえのない存在です。
そして、この世界をこれから担っていくのは紛れもなく、子ども達です。
子どもたちは決して無力な存在ではなく、可能性に満ち溢れています。
子どもたちが、自らの使命を見出し、使命に導かれるように社会で活躍している社会を想像するとどうでしょうか。
Scuola dei Bambiniでは、
子どもが自発的な意欲の中で社会を探究していき、
「自分には世界を変える力がある」という自己肯定感を育むことが
できるように、個別最適化した教育環境を提供することを目指しています。
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